31話「天使」
ページを開いて頂きありがとうございます。
あじたにと申します。
温かい目で見守って頂ければと思います。
私は走っている。
何の為と聞かれれば、それはもちろん、吸血鬼に襲われている人を助ける為だろう。
もっとも、近くに吸血鬼が出没したというだけで今現在、何処かで誰かが襲われているという訳ではないだろうが…
ともかく私は吸血鬼に襲われてしまうであろう誰かを助ける為に走っている。
と…まぁこれは私が天使だった頃の行動原理である。私が自身を天使だと誤認していた時の思考回路である。
今の私は自分自身が堕ちた天使…堕天使であることを自覚している。
なのに私は今も誰かを助ける為だと如何にも天使らしい動機で足を動かしている。
何故だろう。何故なのだろう。私は心のどこかで天使としての在り方を諦めたはずなのに。
捨ててしまおうと心では決心していたはずなのに。
湊音に堕天使であることを打ち明けて、今までの目標…すなわち夢の一切を捨てるハズだったのに。
どうして今、私は走っているのだろう。
「はぁ……はぁ……」
息が切れる。
ただでさえ梅雨入り前だというのに、雨上がりで更に高い湿度の空気が肺をいっぱいに満たす。
空気を吸っているハズなのに、水の中にいるようだ。汗で髪が額に張り付く。
雨で濡れた補装された通路は妙に滑りやすく、水たまりは避けるのも面倒になるほどに大きい。
そのせいで靴も靴下もびしょ濡れになってしまった。せっかく乾いてきていたのに…
「何処にいるのよ…」
走りながら心の中で愚痴を溢す。
これで吸血鬼の影の形も無かったらアリアを代わりに叩きのめしてやろうと思った。
……吸血鬼にそもそも影はあるのだろうか?と必死に足を回してる時だというのに関係の無い疑問が頭に浮かぶ。
しかし、湊音は無事に家に帰れただろうか。
咄嗟の判断だったとはいえ、突き放すように駆け出してしまったので少々心配だった。
と、私はあることを思い出す。走る身体を微塵も緩める事はせず、ただ思い出す。
その記憶は一週間ほど前、湊音の首元に感じた強烈な違和感。それは黒く滲んだ痣のように私の目には移った。
もっとも、湊音本人には自覚も無ければ目視確認も出来ないだろうが…
その痣に私は心当たりがあったのだ。
父の残した書物、その後半に記されている内容。
そこには悪を打倒する為の天使の御業が書き連ねられていた。その中に、湊音の痣によく似た記述があったのだ。
あれがもし…私の予想通り天使の仕業だというのなら…もし天使が、湊音を手に掛けようとしていたのであれば…
私は…本当の意味で…
そう思うところで、走ることに集中した。吸血鬼以外の事を考えないようにした。
けれど揺れ動く心に決着が付くのは、そう遠くないのだろうと微かに悟った。
ーーーーー
私は怒っている。
吸血鬼という生き物がこれほど愚かだとは思わなかったから。
あぁ…ですが彼女は良かった。
人間の作り出す物語には悪の美学…?というモノがあるそうですが、彼女はまさしくその悪とするには惜しい美しさを持ち合わせた吸血鬼でした。
一人の幼気な少年を守るために私のような絶対善に抗うその姿は何とも言い難い…そしてそれを覆すかのような強さがありました。
彼女の存在を認める事は出来ないが、それとはまた別に会ってみたいとも思います。
もっとも、私は彼女の事が大嫌いですがね。
「しかし…貴方は…」
そうして私は前方を見やる。気分は放置された肥溜めの中身を覗き込むよう。
「天使、風情が…」
私は本来の目的を果たす為、彼女との戦闘にて負った傷を癒した後に再びこの地に戻ってきた。
が…またしても横やり。不測の事態ならぬ不要な事態。
目的の存在を探していたのにも関わらず目についたのはこの薄汚れたプライドの欠片もない唾棄すべき駄鬼。
しかしこんなカス吸血鬼ですら私たちの愛する人間の平穏を脅かす為、無視は出来ないのです。
「害虫駆除の割には、少々面倒なんですよねぇ」
やれやれと首を振る。
わざわざ人目に付かないように廃墟となった空き家に誘導して拘束するのは、害虫駆除というよりも狩猟のようでは?と思ったがあまり関係が無いのでその思考は放棄することにした。
「離せ…正義に酔った泥酔者が…」
光槍で四肢を壁に固定した黒を基調とした趣味の悪い服装をした吸血鬼が吠える。
鼓膜に触れるだけで不愉快な声だったので、先に喉を潰しておくべきだったと後悔した。
あ、今潰せば良いではないですか。
「締める前の下準備ですね」
光槍を一本作り出し、未だに罵詈雑言と思われる聞くに値しない妄言を発している吸血鬼の喉元に突き刺した。
「…ッ……がふ」
良かった、これでもう言葉は発せないようですね。
しかしそのせいで出血も多い。大変汚らしい。どうしてこうも醜いのか…
ですが私は鬼ではなく天使であるので、それすらも大らかに受け入れましょう。汚くても良い。醜くても構わない。ただ死ねばよいのですから。死にさえすればどんな悪も赦してあげます。
あぁなんと可憐な善性…なんと優雅な正義…
天使として生まれてきて良かった。こうして一生悪者を排除し人間を守ってゆく。人々の豊かな幸福こそ我らが天使の使命なのです。
あぁああああ…なんとも甘美な…
おっといけません、最後までキチンとこなさなければ。私の悪い癖…ですね。
そう思い光の剣を作り出し、一歩近づいた時に私は気づいた。
「既に…死んでいるではありませんか」
私の手に掛かる前に絶命するとは…なんとも嘆かわしい…大天使である私の救いを受けず……
最後の最後まで…全く…
そこで私は嘆かわしくも思ったが、新たに一つの結論を導き出すことに成功した。
……もしやこの吸血鬼は最後の最後で正義を果たしたのでは?
この救いのない愚かな吸血鬼が罪を贖う為には死ぬしかなかった。
そうしてやっと今までの悪行は赦される…であれば!その行いを誰の手を借りることなく自身の手で果たしたのであればそれは彼自身が出来る最大で壮大、最初で最後の善行と言えるのではないだろうか!?
あぁ、申し訳ない。名も知らぬ吸血鬼よ。
私は貴方を誤解していた。貴方もまた己の愚かさに嘆き苦しんでいたのですね。
であれば最後に私に出会えた事は幸運であったと言えるでしょう。
なにしろ私との邂逅をきっかけにその罪を清算することが出来たのですから。
あぁ良かった…やはり吸血鬼だからと言ってその全てが悪では無かった。その事実が分かっただけでも良かった。
成長です。
天使は人間と違い成長する生き物ですから。その機会を下さった吸血鬼には感謝を…
「どれ、祝福をもって彼を見送ってあげましょう」
両手を組み、その亡骸に対し最大の慈しみを注ぐ。慈悲を哀願を、悲哀を注ぐ。
曇り空の下にある一軒の廃墟、その中で大天使は降臨した。
翼を大きく広げ、天使の輪は煌々と輝き、光の粒子は吸血鬼の亡骸を優しく包み込む。
「どうか次は私の庇護に下ると良いでしょう」
そうして吸血鬼の死体は綺麗さっぱりと霧散した。
一滴の血も残さず、骨も残さず、痕跡と言えるものすべてを消し去った。
さて、一仕事終えましたので…この調子でもう一仕事と行きましょうかね…
私は本来の目的を思い出す。
私がこの地に降り立ったのは、今回のような吸血鬼退治の為などではないし、ましてや人間の皮を被った悪魔の駆除でもない。
なんとありがたい事か、探す手間が省けた。
そうして私は振り返って口を開いた。
「そこの堕天使、すぐに済みますので出てきなさい」
陰に隠れていた私の目的、標的と言ってもいい。
私の言葉を聞いて姿を現したのは…
「…気色の悪い化け物よ、アナタは」
地べたに這いずるのがお似合いな天使であった。
お付き合い頂きありがとうございました。
少しでも楽しめましたでしょうか。
今後の糧になります。感想、評価等よろしくお願いします。




