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16話「逃走」

ページを開いて頂きありがとうございます。

あじたにと申します。

温かい目で見守って頂ければと思います。

 まずいことになった…アリアは心の中で嘆いた。


「こんな子供を悪だなんて、ちょっと酷いんじゃない?」


 目前の天使に対しそのような軽口を叩いたが、これは精一杯の虚勢だった。


 普段のアリアなら、逃走や先手を打った攻撃などは容易かっただろう。


 しかし、太陽の下に晒され続けた彼女の能力は著しく低下している。


 先ほどまでは湊音を前にしていたので平気なフリをしていたが、その実限界に迫っていたのだ。


「確かに外見だけ見れば幼気な少年でありますが…中身はそうと限らないのが恐ろしい…」


 大袈裟に、そしてわざとらしく両手で自信の体を抱きしめて身震いする。


 それを見たアリアはつい眉をしかめてしまう程に不愉快だと感じた。


 しかしその天使は湊音みなととエルが対面した下級吸血鬼などよりも上位の存在であり、現在のアリアではまともに太刀打ちが出来ない。


 その事をアリアは一目見た時に理解していた。


「話が見えないね、この子が一体何をした?悪人だなんて言われる筋合い無いはずだよ」


 不調で重苦しく感じる身体に鞭を打ち、なんとか口を回す。


 今アリアに出来ることは弁舌を持ってこの天使にひとまず引いてもらう事のみであった。


 対して天使はアリアの問いに即答する。


「ソレは悪人ではなく悪そのもの。人であるなら救済の余地はありますが…」


「湊音くんが人間じゃないって…?」


 天使の発言にアリアがキレた。


 自身が愛してやまない少年を侮辱されたその吸血鬼は、頭に理性よりも早く血が上った。


「おや怖い。しかし無理をしないで…もはや貴女の体は限界に近いでしょうに…」


 その言葉聞いたアリアは頬に冷や汗を一筋落とした。


 こちらの現状がバレている。


 ただでさえ天使って生き物は厄介なのに…と考えを巡らせ、どうにか都合よく逃げられる手段は無いものかとアリアが思考を巡らせている時だった。


 そんなアリアを逆撫でするかのように、心配するかのような表情で天使は次の言葉を発した。


「大丈夫ですよ、戦ったりするつもりはありません。なにしろもう仕事は終わりましたから」


「何を…」


 吸血鬼がその発言の意味を理解するのに少しの時間を要した。


 ふと、背負っている湊音を見た。


「これは…?」


 アリアは目を細め眉をくいっと寄せ上げた。


 湊音の首元に見知らぬチョーカーが取り付けられていたのだ。


 見た目は白く綺麗な皮質であったが、こちらに不利益をもたらすものであるとすぐに理解した。


「何をした…これはなんだ!!」


 吸血鬼の怒号が草木を分けて響き渡る。


 今のアリアの表情はさながら鬼の面。湊音に見せる普段の優しげな雰囲気は何処かに消え失せていた。


「着用した生物の体力を奪い、安らかに衰弱死させ…」


 その説明を全て聞き終える前にアリアは湊音を地面に優しく寝かせ、天使の喉元へと鋭い爪を走らせた。


 が、それは難なく躱わされてしまう。


「取れ。今すぐに」


 低く圧力のある声での命令。


 普段は隠れている鋭い八重歯があらわになる。


 手は普段よりも硬く尖り、爪は形を変えてナイフのようにすら見える。


 今のアリアが取れる最大限の臨戦体制である。


「理解不能です。ソレは将来人間にとって害悪になる…貴女程の吸血鬼がわからないはずないでしょう?」


 この天使の発言にアリアは大きな心当たりがあったが、現状どうでも良い事だった。


「黙れ」


 天使の言う事に聞く耳を持たず、再びナイフの様な爪で攻撃を加えた。


 直撃すれば確実に喉の気管を切り飛ばせる勢いなのだが、それも軽く避けられてしまう。


 駄目だ、上手く力が入らない…アリアは内心で自分自身の身体に愚痴を吐いた。


 攻撃を寸前の所で避けた天使は、喉元の無事を確認するかのようにさすった。


 もし避けていなければ切られていたことを理解すると、大きく長いため息を吐いた。


 そして天使は、涙を流した。


「そうですか……貴女も…救えない悪でしたか…」


 ふと、天使は嘆いた。


 酷く肩を落とし、目頭に手を押し付けて酷く悲しんだ。


 声は上擦り、鼻をすする音も聞こえてきた。


「まだ助かる道もあったのに投げ捨てるとは…自ら縄に首をかけるのと同義…」


 吸血鬼の行動を嘆いた。


 一人の少年を守ろうと奮闘する吸血鬼の行いを哀れんだ。


 ボロボロと大粒の涙を地面に落とし、激しく同情した。


「あぁ…愚かだ…愚かで…救い難い…」


 繰り返し、嘆いた。


 酷く絶望して、この世の救いのなさにまた絶望した。


「そんな愚か者はこの世に必要ない」


 嘆きは止まった。


 涙も止まった。


 アリアはその天使の異変に気がついた。先ほどとは明らかに雰囲気が変わったのが肌で感じ取れた。


「これだから、正義に溺れた天使は嫌いだ…」


 生ゴミを口に含んだ様な顔で悪態をこぼし、身構える。


「この世は正義の為に、正義はこの世の為に」


 天使は両の手を握りしめ、祈りの姿勢を取った。


 するとどうだろうか、天使の背中から大きな白い翼が広げられた。その羽は大変美しく、光すら発している様にも見える。


 さらに注目すべきは頭上に浮かび上がる天使の輪であろう。真っ白な光を放つそれは、エルの物とは全く別の物であった。


 大きく広がる純白の翼、あたりを照らすほどに光り輝く輪っか。


 そう、これが本来の天使の姿なのである。


「残念です、吸血鬼さん。貴女はまだ救いがあったのに…」


「余計なお世話だよ、クソ天使」


 天使が腕を天に向けた瞬間、空中に無数の光の槍が顕現した。


 その数…軽く添えて五十本はくだらない。


 アリアは急いで湊音の元へと駆け寄り抱き上げた。


「さようなら…愚かな命よ…」


 腕が振り下ろされたと同時に、無数の光槍がアリア達へと降り注ぐ。


 それを、アリアは自身の体を無数のコウモリに変える事で回避しようと試みる。


 しかし何匹かは撃ち落されてしまった。


「まだこんな余力が…」


 そう感心した時、すでにアリア達の姿は無かった。


 コウモリの何匹かを天使の顔付近で飛び回らせることで、目眩しの役割を担い天使の目から逃れたのだ。


 アリア達が山登りで持っていたリュックサックのみがその場には残されていた。


 天使はこの時、吸血鬼の行いを素直に賞賛したい気持ちだった。


 未だ太陽は沈みきらず、弱り果てた体に鞭を打ち見事自分から逃げ仰たのだ。


「なおのこと救い難い…」


 だが天使にとって、悪は何をしようと悪。


 アリアがどれだけ必死に湊音を助けた所で結局、必死になって悪を助けている正義の敵に過ぎないのだ。


「仕留め損なったのは、失敗かも知れませんね」


 天使は落ちているコウモリの残骸を眺めながら、静寂の中でつぶやいた。



ーーーーー



「危なかった、いや…手遅れかな…」


 なんとか天使から逃げ切ったアリアは、寝室に湊音を寝かせた後すぐに倒れ込んでしまった。


 もう彼女は体力の限界であった。


 天使からの逃亡を図るために使用した全身を無数のコウモリに分割する能力、あれがまずかった。


 通常時であるならばなんの制限もないのだが、太陽に晒され著しく体力を消耗した状態での使用は無茶が伴った。


 それに何匹か撃ち落されたのも痛手だった。一匹一匹は小さいが、確かに体の一部なのだ。当然一匹でも殺されればアリアの身体に傷がつくのは道理だった。


 その影響か小さな傷すら塞がらず、更には無数のコウモリを一つの身体に戻すことが出来なくなっており、かろうじて人の形を作ってはいるが酷い有様である。


 所々肌の色が戻らず黒く濁り、皮膚からはコウモリの羽が戻り切らず飛び出してしまっている。加えて顔色も悪く不健康に青白い。


 普段の美しい姿は見る影もない。


 もはや自然回復で賄える損傷を遥かに超えていた


 このままでは天使に借りを返す前に力尽きてしまうし、なにより湊音を助けることが出来ない。


「このままじゃ……まいったな…」


 頭痛、めまい、吐き気、耳鳴り、手足の震えに少量の出血。


 それらがアリアを苦しめ、危うく意識も失いかけている状態だった。


 如何に人外である吸血鬼でも、太陽の元では余りにも無力であることを証明していた。


 せめて湊音くんだけは助けないと…と思いなんとか立ちあがろうとするが叶わない。


 手足に力が入らない。重度の熱中症状態だった。


 普通の人間ならば、なんの処置もしなければすぐにでも命を落としてしまうだろう。


 だが吸血鬼はそうはいかない。持ち前の生命力で命にしがみ付き、死から逃げる様に争い続けること数時間苦しんだのちに、死亡する。


 助かる方法は一つ。


 人間の血を補給すること。


「……っう」


 逆流する吐瀉物が出てこないよう口元を押さえてジッと堪える。脂汗が体の全身から滲み出てくる。


 体の抵抗力がいよいよ狂い始めた証拠だった。


 本来なら湊音の血液を少しでも貰えば全ては解決するのだが、アリアはそれに酷い抵抗があった。


 それは湊音の身体を自身の延命のため、言い換えれば利己的な理由で傷を付けたくないからである。


 先日にアリアが湊音の血液を摂取したのは、あくまで湊音自身からのお礼という形でそれを断るのは湊音の誠意に対する侮辱だと考えたからである。


 しかし、今回は違う。


 闇の帝王とも呼ばれる吸血鬼がそこまでして一人の少年の身体を大事に思うのか、それを知る者はこの世にはいない。唯一知っているのは湊音の母親だったが…


「でも…私が死んだら…」


 そう、ここでアリアが命を落とせばどのみち湊音は衰弱して死ぬ。


 なんて失態だ!心の中で手を叩きつけた。


「アリアさん…?」


「湊音くん…」


 少年は目を覚まし、そばで倒れこんでいる過保護な吸血鬼の名前を呼んだ。


 ただならぬ雰囲気であることは察することが出来たが、詳しい状況は何もわからない湊音は静かにアリアの方を見つめているのみだった。


「…どうか、したんですか?」


 天使に取り付けられたチョーカー。その力で衰弱しているにも関わらず少年は起き上がろうとする。


 それをみたアリアは当然止めようとしたが、もはやそれすらも出来ない状態で情けなく「寝てなさい」と言うことしか出来なかった。


「顔色が悪いです、身体も変だし」


 普段とは明らかに異なる姿を確認し、不安そうな眼差しを吸血鬼に向けた。


 その表情は今にも泣き出してしまいそうに暗く、沈みこむように落ち込んでいた。


 湊音がアリアの頬へと手を伸ばし、撫でる様に触れた時だった。


「冷たい」


 その瞬間、少年は大粒の涙を両の目いっぱいにため込んだ。


 自分自身の状態、天使とそのチョーカーの存在、アリアの容態、その全ての状況を湊音は把握などしていなかった。


 だが、目の前で最愛の人が辛そうに、苦しそうにしている。


 そう思った時にはすでに少年の涙腺は解放され、ダムから涙がこぼれて落ちていた。


 悲鳴は無い、嗚咽も無い、泣き声だって無い。ただ静寂を守りながらもひたすらに涙を流していた。


 アリアはその光景をただ黙って見ていた。


 そうしてどれほどの時間がたっただろう?


 湊音の流す涙が布団のシーツを濡らしてぐしゃぐしゃになっている。その間もアリアは朦朧とする意識の中で少年の涙が落ちていくのを眺めていた。


 この時に何を思い、何を感じたかは彼女本人ですら言語化し伝えるのは至難であろう。


 今もなお無音は守られ、二人の耳に入るのはシーツに溜まった水と涙とが弾く音のみだったが…


 そんな静寂を破ったのはアリアだった。


 何故だか気が付いた時には喉が震えていたのだ。


「血を、吸わせてくれないかな」


 その言葉を絞り出すのにどれほどの時間を要しただろうか。


 二人が共に築いてきた時間は一か月と数日であるが、彼女にとってはもっと長い時間を必要とした感覚であった。


 それを聞いた少年は弱々しい笑顔を浮かべ、たった一言分だけを音に乗せた。


「もちろんです」


 その言葉を最後に湊音は再び、眠りについた。

お付き合い頂きありがとうございました。

少しでも楽しめましたでしょうか。

今後の糧になります。感想、評価等よろしくお願いします。

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