1話 退屈と暇
「今日も今日とて暇だね~。」
「そうだね、生徒も二人しか来てないしね。」
「これって、図書室の役目を果たせてないってことなんじゃない?」
「まあ、図書室って本の貸し借りもあるけど、本の管理・貯蔵の面もあるからね。全く役目を果たせていないわけではないと思うよ。ほら、文化的価値をってやつだよ。」
「このど田舎な一高校の図書室なんかに文化的価値がある本なんてないでしょ。」
「それは、まあ確かに。」
「うーん。どうすれば図書室にみんなが来たくなるんだろうね。」
「藤崎さんがメイド服を着て、図書室のアイドルになるのがいいんじゃないかな。『お帰りなさいませ、ご主人様!』って言ってもらって。絶対流行るよ!。というか僕が入りびたる!」
「キモイね~。」
キモイ・・・・。何だろう。美女にキモイって言われることを嬉しく感じる自分もいる。これがMへの扉か?
新たな性癖に目覚めようとする僕こと君嶋蒼と、優しい言葉で僕を新たな世界へ誘おうとしに来てくれた大天使こと藤崎美桜がいるここは石山高校の図書室。
今日も、ここでたまに来る生徒の相手をしながら、二人横並びで座り、退屈を紛らわせるかのようにどうでもいいことを話していた。
「そうだ! 逆に君嶋君が執事になればいいんだよ! そしたらここももうちょっと経営がよくなるよ!」
「経営って・・。 僕じゃ無理でしょ。スーツとか似合わなそうだし。」
「いやいや、今着ているブレザー制服すごく似合ってるじゃん。それで、お帰りなさいませお嬢様って言ってくれればいいんだよ。ほら、練習してみよう!」
「いや、だから僕の容姿じゃそんな・・・・。」
「いいから、やれ。社長命令だ。」
「いや、もうパワハラじゃん、社長。」
就職した会社間違えたか?
僕はため息を吐きながら、どうにでもなれと彼女に笑顔を向ける。
「お帰りなさいませ、お嬢様。本日もお連れ様でした。今お茶を入れますね。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「いや、無言はやめて~。」
全力でやった僕の執事を彼女はポカンとした顔をしながら固まる。
そんなに似合わなかったか・・・。
落ち込んだ僕に、正常復帰した彼女は満面の笑みを浮かべながら、興奮気味に声をあげる。
「いいじゃん! いいじゃん! まさに理想の執事だったよ。どこか余裕のある笑顔と落ち着いた雰囲気! どこかでやってた? 異世界転生してた?」
「やってないし、してない。からかわないでよ。」
「いや、マジでよかったって! これは天性のものだよ。磨けば光るって!」
「光らせたくない。そのままの石ころでいいです。」
「えーもったいないなぁ。」
彼女は口をとがらせながらすねた顔をする。
「せっかくさっきのキモポイントを帳消しにしてあげようと思ったのに。」
「え。それってポイント制なの? たまったらどうなるの?」
「10ポイントで、蔑んだ目であなたを見始めます。 50ポイントで罵声を浴びせ始めて、100ポイントで鞭でたたき始めます。」
「おいおい。ご褒美じゃないですか?」
「はい、1ポイント追加~。」
これは秒でたまるな。コンビニのポイントカードもこんな簡単にためられればいいのに。
「いや、でも本当に良かったよ。昔はまってた執事キャラと同じ雰囲気・・。」
「え?」
「え?・・・。 いや。今の、なしで。聞かなかったことにして。」
「・・・・。」
なんだよ。藤崎さんの趣味じゃん!
だったら僕のメイドも返してほしい。とがめられる理由ないじゃないか。同じ穴の狢じゃん。
まあポイントがたまったからいいんだけど。
まさかのカミングアウトで黙ってしまった僕と恥ずかしそうにする彼女の間に微妙な雰囲気が流れる。そんな雰囲気を打破するかのように彼女は話し始める。
「いや~でも暇なのは重大問題だよ!ゆゆしき課題だよ!! どうする!?」
「でもしょうがないんじゃない?仕事が退屈なんてのは社会ではそうなんだろうし。」
「受け身はいかんぜよ!図書室を開国するぜよ!!」
「なぜに坂本龍馬?」
左手を腰に当て、右手で窓の外を指し、遠い目をしながら話す彼女。
その姿が後に世界と日本をつなげる一人の男と重なったり。重ならなかったり・・。
世界でも戦える日本を考えていそうで、考えていなかったり・・・・
いや、やっぱり考えていなさそう。中世ヨーロッパの執事のことでも考えてそうだ。
「何かない?何かない?」
「うーん。じゃ前回言ってたことでも話そうか。」
僕はおもむろにカバンから一冊の本を取り出して、彼女に渡す。
「お?なになに?本?」
「うん、この前、本を教えてほしいって言ったから面白そうな本をもってきてたんだ。」
「覚えてくれたんだ!そして即実行してくれたんだ。ありがとう! それを見れば何が分かるの?」
「本のタイトルが『退屈と暇』だから、ちょっとは藤崎さんの疑問が解消されるんじゃないかな。じゃあ大体のストーリーを話してくね。それではゴホン。」
『「退屈と暇」はその名の通り退屈と暇のことについての筆者が考えたことを述べています。話は退屈・暇の歴史からスタートします。人類が地球に誕生したのは約40万年前になります。その時人類は狩猟生活をしていました。狩猟生活は暇なんてありません。今日を生きるために獲物を探し、移動をし続け、危険が常に隣合わせだからです。明日の状況は今日の状況と違い、今日の状況は一年後と違うので、人間は常に変わり続け、環境に適応し続けなければいけませんでした。
そこから長いこと経過し、約一万年前に人間の農耕生活が始まり、人間が定住し始めます。定住することによって、人間は生活に“慣れ”を感じます。狩猟生活とは違い、農耕によって安定的な生活ができるようになったため、今日も明日も変わらない生活を送れるようになったのです。変わらない生活=余裕のある生活=暇が生じる生活となりました。つまり人間に暇ができたのは農耕生活が始まったからといえます。
そこから人間は様々な暇つぶしの考え方をそれぞれの時代でしてきました。中世ヨーロッパでは暇というのは選ばれし者たちのステータスとされていました。お店で売っているウサギをわざわざ自分で狩猟して楽しんでいる貴族たちとかですね。そこから産業革命を経て機械が登場するとますます人間は暇になります。暇が増えた人間は労働する=暇ではないことこそが素晴らしいことではないかと考え始めたりします。今でいうと社畜が急増したんですね。
本はそこからハイデッカーと呼ばれる哲学者によって語られた退屈について解説しています。ハイデッカーは環世界という概念を持ち出します。環世界とその生物が持つ、自分独自の世界とのことを指します。
例えば、他の生物から血を吸うダニは生物が周囲に放つ「酪酸」をかぎ分け、「摂氏37度のモノを検知し。」それに対して「血を吸う」という独自の環世界を持っています。逆に言えばその世界以外持っていません。
ハイデッカーは、人間はこの環世界を持っていない=自由であることが退屈してしまうことと結論付けました。つまり退屈をなくすには決断=自由から逃れることであるとハイデッカーは言っているのです。しかし、筆者は違います。人間は個人個人がいくつかの環世界を持っており、しかもその世界を比較的容易に移動することができてしまう。つまり、一つの環世界に止まり続け、没頭することが逆に難しくなってしまっているから人間は退屈してしまうと話を展開します。
例えば、藤崎さんも色々な環世界を持っています。普段友達と遊ぶときの藤崎さん。家族といるときの藤崎さん。授業を受ける藤崎さん、スマホを見る藤崎さん。この時、藤崎さんがたった一つの環世界しか持っていない場合、ここではスマホのSNSを見る藤崎さんであったら、退屈は感じないです。なぜなら他の世界を知らない、つまりは没頭できるから。ですが、藤崎さんは人間ですので、スマホを見ているときに没頭できなかったらすぐに友達と会話する世界に移動できます。この移動の容易さ=没頭できないが退屈を引き起こすメカニズムだと筆者は語っています。
では、我々はどうすれば退屈を無くすことができるのでしょうか?これに関して筆者の言葉を僕なりに解釈した結果、「新たな世界を探し、経験し、楽しんで、考えること」と結論付けました。
一つの環世界にいてはどうしても慣れが生じ、どこかで退屈が生まれてしまいます。だから僕はまず、退屈した世界から脱却し、新たな世界を創造できるように様々なことを経験します。新たな世界を創造したら、次はその世界を楽しみます。環世界の楽しみ方は思考することです。ご飯を食べておいしいと感じる。これだけでは一瞬の楽しみしか感じることができず、すぐに退屈してしまいます。その時に思考するのです。なぜ僕はこのご飯をおいしいと感じるのかと。店の雰囲気がいいからなのか?五味のバランスが僕好みなのか?作っている人の間柄か?などなど。
このとき僕はこのご飯がおいしいという世界に没頭していると言えます。
以上のことから、退屈を無くすには、「新たな世界を探し、経験し、楽しんで、考えること」です。
この本の大まかなあらすじと僕の考えの説明は以上です。ご清聴ありがとうございました。』
「なるほどね。探し、経験して、楽しんで、思考するか・・。ちょっと私にはどうすればいいか具体的にはまだわからないかな。」
そういって彼女は申し訳なさそうに顔を曇らせた。
「いや、実は藤崎さんは退屈をつぶすサイクルをすでに実践していたんですよ。」
「え。どういうこと?」
「藤崎さんは新しい図書委員の仕事につきました。これは新たな環世界の創造です。図書委員の仕事を実践していく中で最初は没頭できたのですが、やっぱり変わらない仕事に飽きてきて退屈になりました。そこで、藤崎さんは退屈を無くすために、僕と二人で話しながら新しい世界を探し、実際に僕が読んだ本の内容を聞くことで経験し、その本の結論をどうすることで実践できるかと、楽しんで思考しています。ねっコンプリートしているでしょう?」
「・・・・。あれ?ほんとだ。今言ったことを知らず知らずに実践していたのか。」
「実際、藤崎さんは眠そうにせず僕の話を聞いてくれました。退屈してそうだななんて僕は思わなかったですよ。」
「・・・・・。そうだね。悔しいけど時間も忘れてたみたいだし。」
そこで丁度よくチャイムが鳴り響く。
『キーンコーンカーンコ―ン』
「さて、藤崎さんの退屈をつぶせたことだし、戸締りをして帰ろうか。」
そういって僕は席を立ち窓の施錠をする。
藤崎さんも前回と同じように奥から施錠をしてくれて、一緒に図書室のドアから廊下に出た。
横に並びながら下駄箱に向かう途中で彼女は僕に言う。
「あのさ。私、図書委員の仕事には退屈しているけど、図書室に来ることには退屈はしていないよ。」
「ん?どういうこと?」
「君嶋君と話すという新たな世界を創造し、経験し、今日はどんなお話をしたら楽しめるかな?どういうネタだったら食いついてくれるかな?って楽しみ、考えながら図書室に向かうの。そこで君嶋君と話して、やっぱりこれだったら楽しんでくれた、意外にこの話題も知っているんだって経験してまた新たな世界を創って、そこで君嶋君と楽しくおしゃべりしている。」
「・・・・・。」
「だから、ありがとね。わたしの退屈をつぶしてくれて。」
窓の外の夕日に照らされながらにこやかに笑う彼女はとても綺麗だった。
「いや、僕もお互い様だよ。藤崎さんと一緒にいて退屈と感じたことはないよ。だから僕は新しい世界を楽しんでいるよ。ありがとう。」
「ほっほう! それは何よりだ。ところで君嶋君。また、新しい世界を創造してみようではないか! 実はこの店に新しい執事服が販売されるようでね・・・。」
「・・・・。」
そのあとのことはほとんど覚えていない。
次の日の朝。僕のクローゼットの中には後ろの裾がとても長い、世間的には燕尾服と呼ばれる物がたたまれ、その上には白の手袋が置いてあった。
・・・。覚えていないってことは退屈せずに没頭できてたんだなあ~。
遠い目をしながら、それを見えないように箪笥の奥の奥にしまい込み、僕は学校にいく準備を進めた。