第二話「モブメイドとしての役割」
目を開けた瞬間、まず感じたのは、布団のふかふかさだった。
いや、布団……っていうか、これはベッド?
それも、やたら豪華なやつだ。刺繍入りの白いシーツ。超高級ホテルでもこんなの見ない。
超高級ホテルなんか泊まったことないけどね!
起き上がると、窓の外に見えたのは、広大な庭園と、遠くに広がる山脈――。
……完全に、見たことない景色だった。
「……本当に来たのね、異世界」
口に出してみても、実感は半分くらいしかない。けど、胸の奥で確かに何かが始まっている感覚だけはあった。
一般人、だけど!モブメイドだけど!
コンコンと、ノックの音がした。扉の向こうから誰かが声をかけてくる。
「お目覚めでしょうか、新入りさん。時間ですぞ、働きましょう!」
────働きましょう!
この異世界、どうやら私に休ませる時間なんて与えてくれないらしい。
私が配属されたのは、「ルミナス王国」の王家直属の使用人室だった。
“王直属”とはまぁ、名ばかりで、実際は小間使いとか皿洗いとか、雑用全般。
最底辺の立場だ。まぁ神様が言ってたとおり、モブ中のモブで、本当に一般人って感じだ。
でもなんてったって制服が超可愛い。ロングメイド服でよくある黒白のメイド服ではなくって、ブラウン調でレースの模様も細かく、胸には黒いリボンがついている。
メイド服一度でいいから着てみたかったんだよな〜!!
ニヤニヤしながら、洗濯物を指定された場所で干していると声をかけられた。
「カノンさん」
振り向くと、落ち着いた声に顔を上げると、そこに立っていたのは、私を今朝起こしに来た
この屋敷の使用人長──ヘスティアだった。
柔らかい栗色の髪をシニヨンにまとめた、
大人の女性。
年齢は40代後半くらいだろうか。物腰が柔らかく、まるで淑女のような佇まい。
「洗濯が終わったなら、次は裏庭の草むしりを頼みますね」
「は、はい、わかりました!」
…あの、次から次へと仕事を任されるんですけど。
私転生して初めにやってんの洗濯と草むしりなの?
……まぁ、それでも現実世界よりはマシかもしれない、なんて思ってしまうあたり、心が荒れてるかも。
しかし、労働ばっかりやって半年終えるのは絶対嫌だ。なんとしてでも大切なものとやらを見つけて、さっさと現世に帰らないと。
私はヘスティアから道具を受け取り、裏庭へと向かった。
ヘスティアによると、裏庭は人目につかない場所で、使用人たちもあまり足を踏み入れないらしい。
草を抜くのもかな〜り久しぶりらしい。
完全に押しつけじゃねえか!!!と思った。
新人メイドの私はもちろん、そんなことは言えず「そうなんですね〜」と言うことしかできなかった。
西の壁沿いに広がるその一角は、柵で囲まれていて、どこか見捨てられたような空気をまとっていた。
伸び切った草をひたすら引っこ抜いていると、ぼろぼろの石畳の奥に、不自然に立つ古びた建物が見えた。
(……あれは…温室?)
くすんだガラス。蔦に覆われ、まるで廃墟のように見える。
たまにミーチューブで廃墟めぐりの動画を見るからか、どこか惹かれるものがあった。
気になってしまった私は道具を置いて建物に近づいた。
錆びついた扉に手をかける。
鍵はかかってない。好奇心が勝ってしまった私は軋む音と共に、重たい扉が開けた。
その瞬間、薄暗い温室の中から、一人の人物がこちらを振り向いた。
そこにいたのは。
黄金色の少し長めの髪。
白と黒の刺繍が入った美しいコートを身に纏う、背丈の大きな男性。
こちらを見つめる、
氷のように冷えきった、深い青の瞳。
紛れもない…そこには。
「リ、リリオ様!?!!?!」
私の大好きなアニメ「王子様の憂鬱」に登場する推し、リリオ様そっくりの青年がいた。
あのクソゴミ元彼よりもずっとずっと似ている、いやていうかもう本人レベルだった。
突然推しが目の前に現れる光景にアワアワしている私。よそに、彼の瞳には冷たい拒絶の光が宿っていた。
「誰だ貴様」
ぴしゃりと突き放す声だった。
その声音に私は引き戻され、かなり失礼な事をしたと自覚する。
「も、申し訳ございません!えっと、私は使用人でして、今日からこのお屋敷に仕えることになりました!一ノ瀬奏音と申しますっ!!
え、えと裏庭で草むしりをしてたら…
偶然このお部屋を見つけたものでして…。
本当、勝手に入ってしまって申し訳ありません!」
慌てて深く頭を下げる。
いくら興味深いからとはいえ勝手に入るのはリスキーすぎる。王家で無礼を果たせば、罰を受けることになるかもしれない。それは避けたい。
私はとにかく誠心誠意謝り、ゆっくりと顔をあげる。
「言い訳などどうでもいい。見せ物ではない、早く出ていけ。」
彼は謝罪に興味を持たず、そう言い捨てて視線を逸らした。
彼の前には、ぼろぼろの鉢植えが並べられていた。花と呼ぶにはあまりにも色の薄い、枯れかけの植物たち。
それでも彼は、手にしたジョウロで一つひとつに丁寧に水をかけていた。
水をかけたところで生き返る様子は無さそうなのに。なんのために…?
「…何故…こんな花に?」
つい、呟いてしまった言葉に、彼の手が止まる。
「“こんな”?」
少しだけ、声に棘が混じった。
「…彼らは誰にも望まれなかった花たちだ。
しかし、必死に咲こうとするのが俺には理解る。
誰に見られなくても、ここでちゃんと、生きているんだ。」
その言葉には、不思議な重みがあった。
自分自身の姿を、どこか重ねているような──
そんな雰囲気を感じた。
しかし彼は、それ以上語ることはなかった。
そっけなく背を向けて、鉢に手を伸ばす。
「兎に角、早く出ていけ。お前には関係のないことだ」
背中越しにそう言われ、私は何も言えず、そのまま温室を後にした。
夕方、使用人室へ戻ると、すぐにヘスティアに声をかけられた。
「カノンさん、裏庭の仕事は終わりましたか? ご苦労さまでした。」
「え、ええ……一応、草むしりは……はい。」
私は曖昧に答えながら、少し目を逸らした。
すると彼女──ヘスティアは、何かを思い出したかのような、はっとした顔をして、口元を手で覆った。
「大変……ひとつカノンさんに大事なことを
伝えるのを忘れておりました。
裏庭にある小屋──いえ、“温室”には、立ち入らないようにと…あぁ、嫌だわ私ったら。」
……あ。やばい。
完全にやらかした顔になる私。
バリバリ立ち入っちゃいました。
「え、えっと……あの建物って、なんか、あるんです…?」
ヘスティアは、少し困ったようにそっと眉を下げて言った。
「……このお屋敷で長く仕えるのでしたら、いずれ知ることですが…。
あの小屋には彼がいるのです、
──リオル=ルミナス殿下が」
殿下……?
「ルミナス王国には王子が三人おります。リオル殿下は、末の王子。
けれど──彼は正妃ではなく、側妃の血を引いておられます」
その響きに、私は少しだけ察した。
「……つまり、庶子である、と。」
ヘスティアはゆっくり頷いた。
「しかも、その側妃は政治的に厄介な一族の出身でした。
王宮の多くの者は……リオル殿下を“居ないもの”として扱っております。
我々も最低限の接触しか許可されておらず…。
なので、温室には近づかないようにと強く言われているんです。
お誕生日も祝われず、衣服も食事も必要最低限。
……誰にも認められない殿下は毎日、誰も手をつけないあの温室で、誰も育てない花に水をやり続けておられるのです。
きれいになってと、そう願うように。」
その話を聞いた瞬間、胸がぐっと苦しくなった。
「……そんなの……彼には、何の罪もないじゃないですか……」
私はそう口走っていた。
するとヘスティアは、小さく首を横に振りながら言った。
「お気持ちは、わかります。
ですが、ここはルミナス王国のお屋敷。
あくまで私たちは、“仕える者”であり、口を出す立場”ではありません」
どこか、寂しそうな声音だった。
そう返された私は、何も言えぬまま俯いた。
私はその夜、自室のベッドの上で、ぼんやりと天井を見上げていた。
あの目。
誰にも甘えられない目。
泣いているのに、強がっている目。
──そういえば、あんな目を見たことがある。
昔、塾で担当した子どもがいた。
家庭の事情で、親からも先生からも無関心に扱われていた。
しかしその子は気にする様子もなく、淡々としていた。
…ずっと「平気なふり」をしていた。
でもある日、ぽつりと「家に帰りたくない」と呟いた。
“平気なふり”ほど、誰かに見てほしいサインはない。
私はそっと布団を握りしめた。
リオル王子を「推しに似てるから」とか、そういう理由じゃない。
彼の孤独に、ちゃんと気づける人間でいたい。
そしてその時、私は彼を「推し」ではなく──
「一人の人」として見始めていた。