海月少女は今日も逝く 前編
「幽!」
私を呼ぶ声が聞こえる。
姉さんがまた私を見て顔をしかめる。いつものことなのに、何時までも姉さんは私が傷付くと酷く悲しそうにする。――いつも私を囮にするのは姉さんたちなのに。
意識が段々と沈んでゆく。ふわふわと眠くなる。嗚呼、次はいつまで生きてられるかな。
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沈んでいく意識の中で、私は静かに目を閉じる。
――大丈夫。次の私は、もう用意してある。
他のユウレイクラゲと違う私は、他のクラゲと交わり、孕み、そして自分の子供に魂を植え付けることで生き続ける。私はいつも予めそこら辺に産み落とした子供の中に、私の魂の大半を入れておいている。だから、こうして死ぬのも怖くない。次に目覚めるとき、私はまた新しい体を得る。疲れるだろうなぁ。
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目を開けると、淡い水の中に漂っていた。小さな体が水に溶けるように揺れている。
「……ん」
手を動かす。まだ小さい。髪は前より透き通っている。何度も繰り返してきたことだから、違和感はない。私は息を吸い、水面を見上げる。そこには、沈んだ顔をした姉がいた。
「また……生まれたの」
「うん。また戻ってきたよ、姉さん」
姉の顔が歪む。泣きそうな顔をしている。私が生まれ変わるたびに、姉さんは悲しそうな顔をする。
「どうして、そこまでして……」
「……姉さんたちが、私を必要とするから」
囮になるために生きる。それが私の役割。私を拾ってくれた組織での役割。だから、また生きる。何度でも、何度でも。幽は無意識に微笑む。何度も繰り返してきたことだ。それでも、心の奥底で少しだけ違和感が広がる。こんなに大切にされているのに、私は何も返せていないような気がして。乃亜が肩をすくめ、ふっと息を吐く。
「私は幽を守りたいだけなの」
その言葉が胸に響く。どんなに守りたいと思われても、私はただの囮に過ぎない。それでも、乃亜が自分を守ろうとするのは、何故なんだろう。
「姉さん、私を守ることに疲れた?」
幽がふと尋ねると、乃亜は笑って首を振った。
「疲れないわ。私は幽のために何かしたい。それだけだよ」
その言葉に、幽は小さく頷く。私も、彼女のためにできることを何かしないといけない気がする。でも、私は本当に何もできない。ふと、目の前に一匹の小さなクラゲが漂うのが見えた。それを見つけた瞬間、幽は自然にそのクラゲを捕食する準備をしていた。そういえば、起きてから何も食べていないな。
「行ってきて、幽」
乃亜の言葉が、どこか寂しげに響く。
「うん、行ってくる」
幽は、目の前に漂うクラゲへと触手を伸ばす。乃亜が私をこんなにも守ってくれるからこそ、私は何度でも生き返り、どんなに強くなれる。だって、私には姉さんがいるから。目の前に浮かぶクラゲを静かに捕まえ、幽はその柔らかな触手を絡める。クラゲの体が僅かに震え、ほんのりと光を放つ。それは生命を感じさせる一瞬の煌きだった。
「姉さん…」
幽は、クラゲを飲み込む直前に小さく呟く。幽の中で、少しずつ満たされる感覚が広がる。だが、胸の中には何とも言えない空虚感が残る。私は一体、何のために生き続けているのだろう。囮として、何度も繰り返し死に、また生まれ変わる。ただ、それだけのために。
(私、もっと……姉さんに返せることがあればいいのに)
幽は心の中で呟くが、声には出さない。
「でも、これも私の運命。私がやらなければ、誰がやる」
それでも、ふと感じるのは、これが本当に私の望んだ生き方なのかという疑問だ。私は、ただ生きて、死んで、また生きる。その繰り返しを、いつまでも誰かに強いられて生きていくのだろうか。
「幽、食べ終わったらこっちに来て」
乃亜の声が、静かな水面を伝って届く。幽は頷き、クラゲを飲み込むと、ゆっくりと水面に浮かんでいく。
「うん、姉さん」
水面に上がった幽は、乃亜の目を見つめる。姉の表情は、どこか優しさと哀しみが交じり合ったものだった。
「姉さん、どうして私のことをどうしてこんなにも守りたいと思うの?」
思わず口からこぼれた問いに、乃亜はしばらく黙っていた。しかし、その後、ゆっくりと語り始める。
「幽、私が言ったこと覚えてる? 私がいないと、幽はどうしても寂しくて、何かに頼らなきゃいけない。だから、私が守るしかないって思ったの。幽が一人で悩んで、辛くて、誰にも頼れないようなことがあったら、私は必ず、あなたの側にいる。ただそれだけなの」
幽は、その言葉に深く胸が締め付けられるのを感じた。姉さんは、私が強くなりたいと思っていることを知っている。でも、守ってくれることの大切さを、私は理解している。
「……ありがとう、姉さん」
幽は、心からそう言うと、静かに目を閉じた。次に目を覚ましたとき、また新しい私が待っている。そのときは、もっと姉さんの役に立てるように生きよう。だって、私は姉さんのために生きる。それが家族ってものだから。
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乃亜は幽の言葉を聞きながら、そっと幽の髪を撫でた。生まれ変わるたびに少しずつ変わるその髪は、今回も前より透き通っていて、まるで幽自身の存在がどこか儚くなっているようだった。
「幽、本当に何も返せてないなんて思ってる?」
乃亜の問いに、幽はゆっくりと瞬きをする。
「……私はただ、囮になってるだけ。姉さんに助けてもらって、生まれ変わって、また囮になる。それしかしてない」
「それだけじゃないよ」
乃亜はそう言うと、幽の手を取った。指先は冷たく、まるで水の中に溶けてしまいそうなほどに脆い。
「幽がいるから、私は戦える。幽がいるから、私はここにいられる」
「……姉さん?」
「だからね、幽。私はあなたが生き続けることに意味がないなんて、思わせたくないの」
乃亜の瞳はまっすぐで、幽を捕らえて離さなかった。いつもどこか寂しげで、悲しそうな目をしているくせに、こういうときだけは強くなる。それが私の姉さんだった。
「私は、幽のためにここにいる。幽が私のために生きるなら、私は幽のために戦う。それでいいんじゃない?」
幽は、その言葉を静かに噛み締める。姉さんがそう言うのなら、私は。
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その夜、幽は海の底で漂いながら考えていた。乃亜の言葉が、心の中に響き続ける。
(私が生きることに意味がある……?)
そんなこと、考えたこともなかった。生まれ変わるのは当然のことで、それ以外の選択肢なんてなかったから。けれど、もしも。
生き続けることに、本当に意味があるのだとしたら。
「……私は、どうしたいんだろう」
静かに呟いた言葉は、泡になって水の中へ消えていった。幽はまだ、その答えを見つけられずにいた。
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人魚姫特有の美しいシアン色の尾が、淡く光を反射しながら水中を揺らぐ。彼女の存在は、まるで深海の光のように幽を包み込んでいた。
「幽、あなたは私にとって特別よ」
スフィは優しく言いながら、幽の頬にそっと触れた。その指先は海の冷たさを纏いながらも、どこか安心できる温もりを持っていた。
「……すーちゃん」
幼い頃から、ずっとこうだった。スフィは、どんなときでも幽を気にかけ、支えてくれていた。幽が生まれ変わるたびに、変わる髪や瞳の色を見ても、変わらない笑顔で迎えてくれた。
「あなたが何度生まれ変わろうと、私はずっと幽を大切に思ってるわ。それは、あなたが"幽"だからよ」
「……ただ囮として存在しているだけなのに?」
幽の問いに、スフィは静かに首を振る。
「違うわ。幽は“幽”よ。囮とか、生まれ変わるとか、そんなことは関係ないわ」
スフィは幽の手をそっと握りしめた。その指は細くしなやかで、幽がどれだけ壊れやすくても決して離そうとしない。
「私は、ずっと見てきたのよ。幽がどれだけみんなのために生きて、どれだけ大切なものを守ろうとしてきたのかを」
「……でも、それは……」
「それは、あなたが“したい”と思ったことじゃなかった?」
幽は息をのむ。
「幽が望まないことなら、私は止めていたわ。でも、あなたはいつも、自分の意思でそうしてきた。違う?」
幽は目を伏せる。確かに、幽が囮となることを選んだのは、誰かに強制されたわけではない。ずっとそれが“当然”だと思ってきた。私だけ、私だけは死んでもいいから。
「もし、それが苦しくなったなら、違う道を選んでもいいのよ」
スフィの言葉は、まるで海の波のように幽の心に静かに響く。
「……私が、違う道を?」
「そうよ。私は幽がどんな道を選んでも、あなたを支えるわ」
スフィのシアン色の尾が、そっと幽の身体に触れる。幼い頃から何度もこうして寄り添ってきた。
「ねえ、幽。もし今の生き方以外に“やりたいこと”があるなら、私に教えて?」
幽は、答えられなかった。今まで“やりたいこと”なんて考えたこともなかったから。でも、スフィがこうして手を握り、まっすぐに見つめてくれていると、不思議と怖くなかった。
「……少しだけ、考えてみる」
幽がそう言うと、スフィは微笑んで、そっと額を重ねた。
「それでいいわ。幽は、幽のままでいてくれたら、それだけでいいの」
幼い頃と変わらないスフィの優しさに、幽はほんの少しだけ心が軽くなるのを感じた。
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幽は、スフィの言葉を胸の中で何度も反芻する。
(ジヴォートナイを抜ける……? 私が……?)
ジヴォートナイは海の生態系を守る組織であり、幽もその一員として、何度も犠牲となり、命を繰り返してきた。それは当然のことで、誰も疑問を持たなかった。少なくとも、今までは。でも、スフィは違った。
「……すーちゃんは、私がジヴォートナイを抜けることに、反対しないの?」
幽がそう尋ねると、スフィは静かに微笑んだ。
「反対する理由はないよ」
「でも……すーちゃんはジヴォートナイの姫でしょ? 海の生態系を守るために、私たちが必要なんじゃ……」
「幽」
スフィは幽の肩にそっと手を置いた。その瞳は優しく、でもどこか切なげだった。
「私は、人魚姫である前に、幽の幼なじみよ」
「……すーちゃん……」
「確かに、ジヴォートナイは海の生態系を守るために存在している。でもね、幽。私はあなたが"ジヴォートナイのために存在しなければならない"なんて、一度も思ったことはないの」
幽は、何か言おうと口を開きかけて、閉じた。
「幽がいてくれたおかげで、今まで多くの危機を乗り越えてこられた。それは事実よ。でも、それと同じくらい、私はあなたに幸せになってほしいって思ってるの」
「幸せ……?」
「そう。もし、今の生き方が幽にとって苦しいものなら、それを変えることを考えてもいいんじゃないかしら?」
スフィの言葉は、まるで穏やかな波のように幽の心に染み込んでいった。
(……私が、幸せになる……?)
今まで考えたこともなかった。ただただ犠牲となり、命を繰り返すことしか選択肢にないと思っていた。だって、皆には恩があるから。でも、もしそれ以外の道があるのだとしたら——。
「……すーちゃん。もし私がジヴォートナイを抜けたら、どうなるの?」
「幽がいなくなったら、きっと組織としては困るでしょうね」
スフィは正直に言った。でも、すぐに続ける。
「でも、それでいいのよ。幽一人が犠牲にならなければ守れない生態系なんて、私は間違っていると思うもの」
その言葉に、幽は息をのむ。
「……すーちゃんは……ジヴォートナイよりも、私を優先してくれるの?」
「当たり前でしょ?」
スフィは迷いなく言った。
「幽がいなくなったら、私が悲しいもの」
スフィのシアン色の尾が、幽の触手にふわりと絡まる。その感触は、温かく、どこか懐かしかった。
「私はね、幽がどんな選択をしても、それを支えたいの」
幽の心が、少しだけ揺れ動く。
「……すーちゃん……」
「だから、焦らなくていいわ。もし、少しでも今の生き方に疑問を持ったのなら、じっくり考えてみて」
スフィは幽の手を優しく握る。
「あなたが本当に“生きたい”と思う道を、一緒に探しましょう?」
幽は、スフィの言葉を静かに噛み締めた。
(……私は……本当は……)
海の静寂の中で、幽は初めて「自分のための未来」を思い描こうとしていた。
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幽は、スフィの言葉を受け止めながらも、どこか不安を拭えずにいた。
「……私がジヴォートナイを抜けたとして、どこで生きていけばいいの?」
その声は小さく、どこか震えていた。
「私は普通の人魚じゃない。ただの海の生き物でもない。他のどこかで生きられるなんて、思えない」
私は、本来ユウレイクラゲの特性とは違う、生まれ変わりのための力を持つ人魚。その半透明な髪と体は、光の加減で揺らぎ、まるでこの世に定まらない存在のようだった。何度でも生まれ変わり、何度でも海に還る。それが"当然"だと思っていた。
(私は、他のどこにも居場所なんてない……)
そんな思いを抱えていると、スフィは静かに微笑んだ。
「幽、私だって同じよ」
「……すーちゃん?」
「私は、人魚の王の血を引いている。でも、同時に雪女の娘でもあるの」
スフィのシアン色の尾がゆっくりと揺れる。その動きに合わせるように、彼女の体から冷たい蒸気がふわりと立ち昇った。
「普通の人魚とは違う。純血の人魚の間では異端視されることもあったし、雪女として生きるには、私はあまりにも海に近すぎた」
スフィは静かに幽を見つめる。その瞳は、まるで透き通った氷のように冷たく、けれど確かな温もりを宿していた。
「でもね、それで居場所がないなんて思ったことはないわ。むしろ、私は私だからこそ、この海に生きているのよ」
「……すーちゃんは、強いから……」
「幽も強いわよ」
スフィはふっと微笑んで、幽の頬にそっと手を添えた。その指先は、雪女の血の影響か、少しだけひんやりとしていた。
「私はね、幽が"他と違うから生きられない"なんて思っているのが悔しいの」
「……悔しい?」
「そうよ。他と違うからこそ、幽にしかできない生き方があるはずなのに、それを自分で閉ざしてしまっているのが、すごくもったいなく感じるの」
幽はスフィの言葉をゆっくりと噛みしめた。
(私にしかできない……生き方……?)
そんなもの、あるのだろうか。
「幽、もし今の生き方が苦しいなら、私はあなたのために道を作るわ」
スフィの声は穏やかだったけれど、どこか芯の強さを感じさせた。
「あなたがどこで生きることになっても、私は必ずあなたを迎えに行くし、支える」
「……すーちゃん……」
「だから、ここでしか生きられないなんて思わないで」
スフィは微笑みながら、幽の手をそっと握る。
「だって、幽は幽でしょう?」
その言葉は、幽の心にじんわりと広がっていった。
(……私が、私だから……?)
今までずっと、誰かのために生きてきた。でも、スフィの言葉が心に響くたびに、自分のために生きる未来を望んでみてもいいかもしれない、そう思い始めていた。
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幽はひとり、静かな海の中を漂っていた。
スフィと別れたあとも、彼女の言葉が何度も頭の中で反響する。
——幽は幽でしょう?
(……私は、私……)
その意味を考えながら、幽は緩やかに水の流れに身を任せた。海の深い青に溶け込むように、半透明の髪がゆらゆらと漂う。淡い光が射し込むたびに、幽の体はぼんやりと海の色に染まる。本当は、どこへでも行ける。それなのに、自分の行きたい場所がわからない。
(私は、何がしたいんだろう……)
クラゲたちが群れをなし、流れに揺られていくのが見えた。彼らには明確な目的はない。ただ、波のままに、気の向くままに。
(あの子たちは、考えたりしない……)
幽も同じように漂うことはできる。けれど、心のどこかで、それでは満たされない気がしていた。ただのクラゲと人魚は違うから。
スフィは「あなたにしかできない生き方がある」と言った。
(私にしかできないこと……)
それがなんなのかは、まだわからない。けれど、今まで考えようとすらしなかった未来に、幽はほんの少しだけ向き合い始めていた。ふと、彼女は手を伸ばし、水をかき分ける。ただ流されるのではなく、自分の意思で進んでみたらどうなるのか。
幽の傘がゆっくりと動く。
水を蹴って進むたびに、まるで生まれたてのような感覚が広がった。どこへ行くのかは、まだわからない。けれど、幽は初めて自分で動こうと思った。それだけで、今までのどの瞬間よりも自由になれた気がした。
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幽はゆっくりと海の中を進んだ。半透明の傘がふわふわと揺れ、光を受けて淡く輝く。周囲には色とりどりの魚が泳ぎ、珊瑚が揺れている。けれど、幽はそれらをただ眺めるだけで、どこか自分だけが異質な存在のように感じていた。
(……私にしかできないこと)
それは、なんなのだろう。
ぼんやりと考えながら進んでいると、目の前を小さな影が横切った。それは傷ついた魚だった。片方のひれがちぎれ、必死に泳ごうとしているが、うまく進めずにいる。周囲には捕食者の気配もあった。
だが、幽は迷わなかった。
このまま何もしなければ、この魚はきっと食べられてしまう。それが海の摂理だ。だが、ここは弱肉強食の世界であり、無駄な情を持つと危険になるのは自分だから。
幽は、じっと傷ついた魚を見つめた。その矢先、海の奥から黒い影が鋭く飛び出してきた。次の瞬間、魚はぱくりと飲み込まれた。幽の目の前で、何の躊躇もなく、ただ食べるという行為が行われた。何かが砕ける音がして、赤い血がじわりと水中に広がる。魚の形をしていたものは、もはや何の痕跡もなくなっていた。幽はまばたきもせず、その光景を見ていた。
(……これが当たり前)
この海では、食べる者と食べられる者が存在する。それだけのこと。自分が特別だと思う理由はない。そう考えていると、ふいに視線を感じた。幽はゆっくりと顔を上げる。そこにいたのは、さっき魚を食べた捕食者だった。暗い海の奥から現れたのは、大きな影。鋭い歯がちらりと見え、冷たい目が幽をじっと捉えていた。
(……私も、食べられる?)
幽が気づいた時には、すでに捕食者が目の前まで迫っていた。
大きな顎が開かれ、鋭い歯が海の冷たい光を反射する。幽は逃げる間もなく、そのまま動けずにいた。
衝撃とともに、激痛が駆け抜けた。視界が一瞬で蒼く染まる。そこに舞うのは、海に溶ける自分の欠片。
(……あ……)
幽はゆっくりと下を見た。そこには、喰いちぎられて無くなった自分の腹部があった。半透明の体が裂け、内側からぷかぷかと浮かぶものがある。それは幽の臓器であり、ユウレイクラゲの人魚としての"中身"だった。水圧に押されるようにして、内臓がゆっくりと流れ出していく。幽は痛みを感じながらも、どこかぼんやりとその光景を見つめた。
(……私……食べられてる……?)
捕食者はまだ満足していなかった。鋭い歯が再び幽に食らいつこうとする。幽は逃げることを選んだ。次の生を、まだ用意していなかったからだ。幽の一部が広がる海の中、捕食者の影が再び迫る。幽は傷の痛みに耐えながら、この短時間で少し再生した傘を震わせたが、逃げるにはあまりに遅すぎた。
(……間に合わない)
鋭い牙が再び幽を捉えようと迫る。その瞬間、体が押し退けられ、嫌な音が鼓膜を震わせる。衝撃で声を上げることさえできなかった。捕食者は私たちを見ている余裕もなく、ただもがき苦しんでいる。
私は異常に軽くなった姉を抱きしめ、必死にその場を離れた。