『声』-Voice from the Abyss
【Now1】
──────殺せ
それは私の中で絶えず響く声。
「うきゅぅ……」
私は今泥まみれである。
手には複雑な機構を持った武器が一つ。
黒というより闇色の、吸い込まれそうなほどの禍々しさを雨天の下で誇る銃がある。
「……っきゅ!」
肌にぴりっとした物を感じて私は慌てて動き出す。
場所を知られた。流石に何度も同じ目に遭えば魔法使いでない私だってそれが何なのかはわかるようになってきた。
直後、数秒前まで自分の居たところが爆発し、はじけ飛ぶ。
殺せ
殺さねば殺される。
否────
屍になろうとも、殺せ
余りにもどす黒い、魂が呑み込まれそうな声に視界が揺らぐ。
ぬかるんだ土に足を取られ無様に転ぶ。
殺せ。
殺せ。
殺せ。
痛みと寒さと、全てがごちゃまぜになりながら、なおその声は何よりも大きく、強く私の心に染み入ってくる。
小刻みに震える体に、銃の重みが辛い。
でも、この手はそれを離す事は無い。
どれだけの時間、考えていたのだろう。
我に返った私は慌てて物陰に隠れる。
隠れたところでまた発見されるだけ。
だから十数えたら動く。
無茶苦茶に鳴る心臓と、呼吸のたびにひっくり返りそうな胃と肺と、感覚の無くなりつつある足と、手と、疲れきって霞み淀む頭と。
その全てに力を込めて一歩を踏み出す。
思い出すのは言葉のみ。
雨が草木を叩き揺らす音に紛れ、私は言葉に従い視線を走らせる。
殺せ
その言葉じゃない。
ぎりっと奥歯を噛み締め、私にとって大切な言葉を思い出す。
また『ぴり』と肌に触れる何か。
体を前に送り出しながら私は空を見上げる。
見えた。
生まれる光源。
打ち出されるのは余りにも大きな力。
それを受ければ骨も残らず消え去る悪夢。
けれど目を閉じない。
あれは私に当たらない。
疲労以上に恐怖が全身の力を奪う。
殺せ。
殺してしまえ。
あれは殺すものだ。
怖い、排除したい。
けれども声に従ってはいけない。
言葉に従う。
鼓膜が破れそうなほどの爆音が至近距離で響く。
私は当たらなかったことへの安堵も力に銃を天空へ向けた。
【Before1】
その日その時。
私は雨の中に居た。
そこそこ大きな村。
降りしきる雨の中、複数の足音が村を駆け回る。
私はただ物陰に隠れ、震えるしかなかった。
「『兎』は居たか?」
「いや、まだ小さい方は見つかってない」
「畜生、面倒だな。
これだけ雨が降ってるってのに」
「全くだ。
だが槍が降っても『兎狩り』を途中でやめないだろうぜ」
「なおさら面倒だ。
早く見つけて追い立てねえと」
二人の男が忌々しげに言葉を交わし去っていく。
痛いほど鳴り響く心臓と、がちがちと鳴る歯の音が男たちに届かないようにと必死に願いながら我が身を抱く。
『兎狩り』
それは余りにも唐突に訪れた不幸。
私と父は旅商人だ。
村を渡り歩き商いをして暮らしている。
わりかし大きな商会の末席に居るため商売できる範囲は広い。
私と父は放浪の旅をするように、旅をしている。
基本的に大きな町で生活雑貨を買い込み、小さな村で名産品と交換をする。
私たちは今日、小さな村へとやってきた。
山間にあり、街道から外れた村。
いつも通りの商い。
けれども一つだけ違った事。
その村は『狩場』であり『養殖場』だった。
宿を取った私たちはそろそろ寝ようとした時間に兵士に踏み入られた。
あっという間に取り押さえられた私たちの前に現れたのは一件温和そうな男。
身なりからそれなりの身分だとは判る。
ニコニコと私たちを値踏みするように眺める男に父がおずおずと口を開いた。
「僭越ながら、我々は真っ当に商いをする身、このように取り押さえられる覚えはないのですが……
私の身分が怪しいと仰るならば、ローデンミス商会にお問いあわせください」
旅の途中、私は父にいろんな話を聞いた。
将来私が父のように行商をすることは無いだろうと言いながらも、商売の事を語って聞かせてくれた。
その中の知識。
かつて旅芸人や行商人は諜報の隠れ蓑だった。
それ故に不当な逮捕、取調べをして財産を巻き上げる領主もいたそうだ。
商人は寄り集まって情報を交換し、また助け合うために商会を結成した。
万人に通用する身分証なんて存在しない。
あってもいち商人なんかに配られはしない。
だから旅商人はこの様な事態になったとき、大きな町にある自身が所属する商会を頼る。
「黙りなさい」
けれども、それは相手が真っ当だった場合の保険に過ぎない。
「君が何処の何者かなどどうでも良いのです。
私の今夜の『食事』に貴方は適しているか否か、だけです」
風刺画の狐のような細い目がゆっくりと開かれ、私は呼吸を忘れる。
その目は明らかに歪んでいた。
私は今までいろんな人に遭った。その経験が告げる。
あんな目をする人間は普通じゃない。
「あ、あの……仰っている意味が分かり……」
がす という音。
まるで世界が止まったかのように、私の思考は停止する。
多分10秒も経っていないとは思う。
父が苦痛のうめきを漏らし蹲っていることにはっとし、慌てて立ち上がろうとして転んだ。
「黙れ。
……良いだろう。
お前らにしよう」
目が合った。
体の芯にこれまで感じた事の無いほどの悪寒が込み上げ、けれども硬直した体は眼球一つ動く事を許さない。
「話は簡単だ。
朝まで逃げろ。
そしたら助けてやる」
男は懐から真っ黒な塊を取り出す。
『暴力と狂気を練り合わせて恐怖のカタチで削りだしたモノ』
私は直感的にそれを恐れた。
酷く冒涜的で、あってはならないモノだと感じた。
「『兎狩り』の始まりだ」
一切の猶予もなく───
──────────悪夢が始まる。
【Now2】
「……にゅぅぅううう」
さっきの雨は何処へやら。
すっかり雨雲は流れてしまい、澄み切った空が広がっている。
その下で私はまだずぶぬれになっていた。
「ほれ」
差し出されたふわふわのタオルと着替え。
「ありがとう……なの」
それを受け取って泥を落とした体を拭く。
ようやく開けた視界に、とても綺麗な人が居た。
さらさらとした銀の髪にものすごく白い肌。
ドレスのようなひらひらの服を着て、でも表情が乏しいから本当にお人形のように思える。
「早う着らんと夏とて風邪をひくぞ」
「……はい、なの」
せかせかと服を着た私は『のーと』と言う白紙の束に何かを書き込んでいる女の子の前に立つ。
彼女は『先生』だ。
あの夜、私を助けてくれた人。
そしてあの夜に得てしまったモノをなんとかするために、私の先生になってくれた人。
殺せ
ずぐりと、脳の奥から声が滲み出す。
先生から思わず一歩離れる。
そうしてから気まずそうに先生を見上げる。
「良い。
詮無きこと故。
むしろ抗う意志こそ良い」
体を洗うために無造作に置かれたそれを胃が痛くなる想いで拾い上げ、背中に設えたホルダーに納める。
すこしだぶだぶの服はそれを包んで隠してくれる。
殺せ。
殺せ。
殺せ。
目の前の───を殺せ。
どうしたって声は響く。
先生の前に居ればなおさらだ。
だけどそこから逃げられない事はもう理解している。
「先ほどの模擬戦闘、合格じゃよ」
「うきゅう」
良い事なのか、悪い事なのか。未だに心の奥底で迷う。
「最初の頃なぞ、始まる前に撃ち込んで来たからのぅ」
「……うきゅぅ」
思わず縮こまる。
殺せ。
殺せ。
殺せ。
殺して──ろ
先生と出会って数ヶ月。
私は辛うじてこの『声』と『衝動』から自分の精神を護る術を身につけていた。
もし先生と出会わなければ私は殺人者として誰かを殺し続けているか、誰かに殺されていただろう。
「流石に驚いた」
あの日、壊れかけの心で放った弾丸をあっさりと止めてくれたから、私はここに居る。
「そろそろ頃合かものぅ」
先生は不意にそう言うといつも通り一冊の本を取り出した。
帳簿をつけるため、契約書を読むために読み書きはお父さんから教わっていた。
だから読み書きには不自由していない。
けれども先生の持ってくる本は日に日に難解なものになっていて、少し困る。
「まぁ、ともあれ『ぬしがぬしを救うために』わしが教えられる事は教えてやろう」
先生はいつもの無表情を少しだけ緩ませて、『授業』を開始した。
【Before2】
前も後ろも分からなくなっていた。
自分がここに居ることすらわからなくて、ただ心臓の音と呼吸の音だけが煩かった。
物音が響くたびに気が狂いそうになる。
お父さんはどこに行ったんだろう。
わずかばかりに残った理性が疑問を招き出す。
一緒に逃げることすらできなかった。
誰も居ない。ひとりっきり。
ぞぐりぞぐりと恐怖が皮膚から入り込んでくる。
皮膚を突き破って潜り込み、血管を蹂躙し、内蔵をかき回し、脳裏を歪ませる。
目の前が真っ白になり、真っ黒になり、世界が曲がって、歪んで
ああああああああああ
ガタン
気が遠くなる。
「ここら辺調べたか?」
すぐにはっとして息を潜める。
「ったく、どこに行きやがった……」
「まったくだ、いい加減終わらせて眠りたいぜ」
「親の方はあっさり狩られたんだろ?」
え?
「ああ、無駄に騒ぎまわってな。
二人くらい油断してやられたらしいが、魔銃の前にはちょっとやそっと腕が立っても無力だったな」
何を……言ってるの?
「足をぶち抜かれて、たっぷり10発くらい食らって死んだらしいぜ」
「なんてもったいねえ。
あれ一発で二日くらい騒げるってのに」
「全くだ。
たかだかウサギごときにンな無駄弾使うなら給料でも上げて欲しいもんだぜ」
……死んだ?
「お前言ってみろよ?」
「馬鹿言え。
あの方に意見すりゃぁ俺たちが『兎』だ」
「違いない」
お父さんが……死んだ?
……殺された?
「嘘……」
「んあ?」
漏れ出た声は止まらない。
「嘘……お父さんが……」
「おい、いやがったぜ」
「こんなところに潜んでたのか。
兎は駆けずり回れよ!」
突然の上昇。
首根っこを捕まれた私はボールのように広いところへ投げ出されていた。
隠れるために強く縮めた体は雨に打たれて固まりきっている。
恐怖を超えて、生きるための本能が体を動かそうとして足掻くけど、上手く行かずに泥を掻く。
「兎が居たぞ!!」
「追い立てろ!!」
足音が集まってくる。
来る。
死ぬ。
でも──────
「なんだ、逃げないのか?」
「いいじゃねえか。
さっさと終わらせてもらおうぜ」
逃げれるわけがない。
逃げても……お父さんは居ない……
私は─────
顔を上げると、真正面にそれが居た。
まるで這い寄る悪夢のように、ゆっくりとこちらに歩き寄る男が。
終わり。
終わり。
体の隅々から力が抜ける。
何もかも考えられなくなっていく。
死ぬんだ。どうしようもない。
どうやってもこの小さな体が周囲を取り囲む集団から逃げることなんてできやしない。
「逃げないのですか?」
木霊するほどの雨の中、男の声はあまりにも明朗に響く。
「動かぬ兎では余り面白くない……
どれ、同じくらいの子供をもう一人追加しましょうか」
絶望が真っ黒に閉じた思考に流れ込む。
まだ、死ぬの?
まだ殺されるの?
私はゆっくりと、立ち上がる。
一度転んで、それでも立ち上がる。
「ほぅ?」
苦しくて、痛くて、悲しくて、怖くて、怖くて、怖くて。
体はただ震えるばかりで、膝はまっすぐに立つこともできず、歯の根は合わないのに
私は『絶望』をしっかりと見ていた。
「宜しい。
今宵の獲物。
お前を食わせろ」
男の腕がもったいぶったように挙がっていく。
手には暴力。
黒よりも深い闇色の暴力。
抗えない死を吐き出す暴力のカタチが王のようにそこにある。
「兎─────
殺させろ。
私は殺したい」
「ぅ……あ゛」
声なんてまともに出るはずがなかった。
よろめくように逃げようとした真横を衝撃が走りぬける。
「ああ、殺させろ。
そして食わせろ」
どうしたら良いかなんてもう頭にはなかった。
生きようともしていない。
死ぬことが分かりきった今、死のうとも考えられなかった。
ただ足掻くように体を動かしていた。
何のためかわからない。
ただ余りにも絶望が深くて、深すぎて。
その絶望が他の人にまで及ぶことがどうしても悲しすぎたのかもしれない。
「あ…… あああ……」
周囲には取り囲むように人。
動かず、ただ見守るだけ。
目の前には絶望。
どん という『声』が私の右を砕く。
髪が巻き込まれて首が曲がり、体までひねって地面に押し付ける。
上下左右が分からなくなり、どうしようもない吐き気を我慢できない。
「……ぎ……コロ……」
音が変だ。
遠い。
思考なんてどこにもなく、ただ立ち上がろうとした体は先ほど以上によろめいて、どしゃりと崩れた。
手足がわけもわからず動いて、体を泥に染め上げていく。
目の前に絶望がある。
時間の感覚もすでにない。
いつの間にか絶望は目の前に居て、倒れてる私に向けられている。
「まだ、立つか、兎」
ああ、なんて楽しそうなんだろう。
痛い、苦しい。
やだ。
やだ。
もう。やだ。
自分が幾つにも分かれたかのように、いろんな思考が、思いが、ぐちゃぐちゃに荒れ狂う。
「殺したいんだ」
──殺したい
声が二重に響き、絶望も私に囁きかける。
──殺したい。
殺したい。
殺せ殺せ殺せ殺せ。
──殺して食わせろ。
殺したい。
殺せ殺せ
殺す。
殺さないと。
死ぬ。
──否。
殺して、食う
誰の声。
私の?
男の?
それとも ────
「ああ……?」
訝しげな声が左の耳だけに届く。
ごりと頭に当てられた金属の感触。
冷たくはない。
ただとても冷たい感触。
──殺したい。
食いたい。
ワタシは、魔術師を食いたいんダ
「死ね。
兎」
──殺せ。
魔術師を
それはもう音ではなかった。
ただ衝撃。
頭の中が真っ白になって、痛みすらなく、時間が飛んだ。
「───────────────── アアアアアァァァアァアア!!!」
ただ、声だけが届く。
──殺せ
体、は、どこだろう。
もう、わからない。
──殺せ
でも、私がそれを手にしていることだけは、分かる。
──殺せ
引く。
上手く行かない。
指が挟まっている。
血が滑って持ちにくい。
周囲が煩い。
雨の音。
人の声。
ああ、どうでも良い。
──殺せ
私は死ぬ。
死んだ。
だから、私はもう
──魔術師を殺せ
この声に従おう。
絶望が、喚起の咆哮を挙げる。
【Now3】
「あと三日もすらばアイリーンに着く。
着いたら暁の女神亭を訪れるがよい」
「……うみゅぅ」
先生は神出鬼没だ。
ふらりと現れては私にいろんな事を────特に対魔術戦闘を教えてくれる。
生き方、戦い方を仕込んでくれる。
……というか、先生って運動音痴っぽいけど。
「そこならぬしが……ソレが望むだけのモノは手に入るじゃろう」
「……」
お尻の少し上、腰に隠された重みは今も煩くわめき続けている。
「この数ヶ月で一般人への殺意は抑えられるようになったじゃろうが、魔術師に対する殺意はまだまだのようじゃの」
「……うん」
「あそこの宿のものならぬしが多少暴れても取り押さえてくれる。
安心せい」
なんかすごいこと言ってるよ。先生。
「先生は?」
「わしはちとルーン方面に用があっての。
ようやくあの年寄りに説教ができる」
相変わらず先生は主語を隠して話す。
数ヶ月間、ずっと一緒だったわけじゃないけど、むしろほとんど一緒には居なかった気もするけど、先生の事は『凄い魔法使い』としかわからない。
「ともあれ、あそこであれば、悪くてもそれの食欲を満たす事件が、良ければそれを壊す手段もあろう。
ああ、じゃが猫は頼るな。
それの醜悪さからして、ただの代償で済むと思えぬ」
「猫?」
「行けばわかる……」
と、不意に上から下まで私を見る。
「ぬしは冒険者をすることになる。
性別は隠して、問われれば男と名乗っておく事じゃ」
それは理解できる。
女なんて商人としても、そして冒険者としても良い目で見られないし、別の意味で危険だし。
「特に……いや、あの猫に謀りは無意味かのぅ……」
「先生……わけわからない……かも」
「……まぁ、あれは殺しても死なんから適当に応戦すらばよい」
「……自己完結……だし」
いつもこうだ。
先生は全くこっちの言い分を聞く気はないらしく、いきなり転移呪文の詠唱を始める。
私はとりあえず頭を下げて、消えてしまった先生の痕を見つめる。
それから振り返り、街道の遥か先にあるはずの花の都を幻視した。
【Before3】
死んだ。
死ねた。
それが生きている私の想いと気付き、私は目を開ける。
天井。
暖かい空気が私を包んでいる。
暖炉……。
毛布。
体の痛みはなくて、何一つ理解できない頭はこれを夢かと
───────殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
───────殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
───────殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
!?!?!?!?!?!
濁流。手が動き、見もせずにそれがそこにある事を私は知っていた。
知っているから、手に取り、私は絶望を解き放たなければならない。
そこに
『魔術師が居るから』
暴力が『声』になる。
それは『轟』という罵声であり、『餓得』とい渇望。
その先にある者に絶望を与え、命を対価に奪う『声』
そこに居る魔術師を喰らう『声』
「ふむ」
けれども、それは余りにも抑揚のない声で
「流石に驚いた」
と、呟いた。
からんと床に落ちる届かなかった『声』
「《聖域》でも《解呪》でも解けなかったソレ。
やはり禍物であるか」
「え……」
───────殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
指が動く。
『轟』と絶望を吐き、『餓得』と吐き出し続ける暴力は、全て彼女の前で止まる。
「精神支配……インテリジェンスアイテムの中でもタチの悪い部類じゃな。
己で無限に弾を作り出せぬのが幸いか」
『声』が遠い。
「推測するに、あの男よりもぬしの方が適正が高かった。
故にそれが自分で乗り換えた……
見たことないほど醜悪じゃな」
そうして私はようやく我に返る。
この手にある『絶望』に、心臓が凍り付く。
「きゃぁあああああああああああ!!!!!!」
全力で投げつける。そうして尻餅をついて、一歩でも遠く、
うあ
頭が。
心が、痛い。
一歩下がる度に、体が頭が、引きつる。
苦しい。
苦しい。駄目。
視界が反転。
気が付けば私はそれを。
おぞましく恐ろしいそれを無我夢中で掴んでいた。
理解できない。
なんで?
どうして?
「落ち着け、というのも無理じゃな。
ともあれ聞け。
そしてまずは理解せよ」
少女は自分が殺されかけたことにも気付いていないように、のんびりと私に語りかける。
「これも縁。
ぬしにわずかばかりの希望を見出してみよう
……余計なお世話かもしれぬがの」
私は無心で引き金を引きながら。
遠い声を聞きながら。
涙を流した。
【Now4】
そうして私は暁の女神亭に居る。
まず驚いたのは、ここの魔力の多さ。
水を得た魚の様にざわめきだす『声』。
先生ほどでないのが幸いだけど、つい気を抜いてしまえば誰かに銃口を向けかねない。
なるべく距離をとること。
それが一番の解決策だ。
最初のころはまだしも、ずっと目の前に居て、自分が気を抜くということがなければ『声』に支配されたりはしない。
しないと、信じる心は先生に鍛えてもらった。
私は復唱する。
まずは生きる事。
そしてこの『絶望』の飢餓感が高まりすぎぬように、『仕事』に手を染める事。
先生の教えをただただ繰り返す。
「あんたがジニーかい?」
男はいつの間にか私の部屋に居て、無害そうな笑顔で不意に告げた。
「お嬢ちゃんから聞いている。
魔術師ギルドからの異端狩りの依頼だ」
私は身を硬くし、それでもその紙を受け取る。
ふと、我に返って、私は思う。
死んだほうが人として幸せであったのではないか。と。
実際そうしようとした時もあった。
だけど、先生は。まずは生きてみろと、私に言った。
生きるとは他者を殺す事だと、苦笑しながら言った。
「されど心が許さぬ。
なれば仕事として、心が悔やまぬように取り計らうくらいはできるがの」
実際私は弱いんだろう。
死ぬだけの勇気がなく、生きる未来も自分だけでは掴めなかった。
だから、今は私を助けてくれた先生の言葉に従おう。
いつか自分に強さが持てた時、私は自分の未来を決めるだろう。
過去を悔やみ死ぬかもしれない。
未来を見定めて生き続けるかもしれない。
『殺せ』
と囁く『声』と
『生きよ』
と語りかけた『言葉』が私の中にある。
私は、今この時。
そんな曖昧な存在でしかないのだから。
「大丈夫かい?
お嬢ちゃんの推薦だからそんなナリでも疑いやしないが……」
「……大丈夫……かも」
「かも、って」
男は唖然として、それから肩を竦めて居なくなる。
手に残されたのは絶望と暴力の餌場。
あの男と同じく、私は世に後ろ指をさされる道を歩く。
お父さん。
音にならない呟きを唇に預けて、私は先生の『言葉』を復唱する。
行こう。
まずは私が強くなるために。