第64話 予告の無い巡視
アルベロさんが陛下へ手紙を持って行った翌朝、わたしは久しぶりに職場に向かっていた。
昨日の昼過ぎに帰って来たアルベロさんは、話し合いでとりあえず一段落したと表情を緩ませていた。そして、もう明日からは普段通りの生活に戻っても良いよと言ってくれたのだ。
馬車を降りて歩けば、見慣れた風景だと言うのにどこか清々しく感じる。まだ解決していないこともあるけれど、一歩踏み出せた気がして心が少しだけ軽いのだ。
軽い足取りで詰所に向かったが、いざ到着すると少し緊張する。ふぅと息を吐いて扉を開けると、もう何人か先にデスクに着いている。
「おは……って、ロゼッタじゃない!」
誰かが部屋に入ってきた気配でいつものように挨拶をしようとしたヴァネアさんだったが、入ってきたのがわたしだと気が付いて驚きの声を上げた。
その声を聞いて、先に部屋にいた人達もこちらを見る。
「おはようございます。長くお休みして申し訳ありませんでした。」
「謝らなくていいのよ!でも心配したわ。」
そう言いながらヴァネアさんが駆け寄ってきてくれた。心配そうな顔でわたしを見る。
「お家のことでいろいろあったって聞いたけど、もう大丈夫なの?」
「はい。少し落ち着きました。」
「そう…。何にしろ、久しぶりに顔を見れて嬉しいわ。」
そう言ってヴァネアさんはにっこりと微笑んだ。その後ろの先輩方も、手を振ったり、優しく笑ってくれている。
その後も先輩達が次々に出勤してきて、会う度に挨拶すると、みんなあたたかい反応を返してくれた。そんな柔らかい雰囲気を感じて、やっぱりわたしはここが好きだなぁとしみじみ思う。
「おはようございます。…あれ!ロゼッタ!」
「ラルフ!おはよう。」
ラルフにも久しぶりに会う。一昨日の夕方、レイドと一緒に幼竜舎に来ていたのをナクティスの目を通して見たけれど、やっぱり直接会えると嬉しい。
ラルフはキョロキョロと周りを見渡したかと思うと「レイドはまだか…。」と呟いた。そして、わたしに近付いてきて、内緒話をするように声のボリュームを落とした。
「なあ、レイドとは会ったか?ちょっと一昨日いろいろあってさ、すぐにでも会いに行きそうだったから。」
いろいろあったとは、ナクティスと話したことを言っているのだと思う。
「…うん、会ったよ。」
一昨日のことを思い出して、少しだけ頬が熱くなる。
わたしのそんな反応を見て、ラルフは目を見開いた。
「え、まさか…。」
驚いたようにそう言って固まる。
すると、ミラさんと合流したヴァネアさんが、わたしの後ろから肩を組んできた。
「ねえねえロゼッタ、貴女がいない時に一番落ち込んでたのは誰だと思う?」
「えっと…誰でしょう…?」
「うふふ、それはねぇ…。え?なんで顔真っ赤なの?…ラルフ何かした?」
わたしの顔が赤いことに気が付いて、すぐ近くのラルフに疑いがかけられた。
「いやいや俺何もしてないです!そんな目で見ないでください!こんなとこ、レイドに見られたら…。」
「俺に見られたら?」
タイミング良く、レイドが登場した。ラルフはレイドを見てびくりと肩を振るわせ、すぐに両手を上げて何もしてませんとアピールする。レイドはそれをじとっとした目で見ている。そんな二人の様子がおかしくて、わたしもヴァネアさん達も笑ってしまう。
笑いながら、そっと視線をレイドヘ向ける。
…レイドを見るとやっぱり少しドキドキする。少し前まではこんなことがなかったのに、自分の気持ちを自覚したからだ。
「あまりラルフをいじめるなよ。」
苦笑いしながらラルフの肩をポンポンと叩いたのはヴァイツさんだ。レイドと一緒に出勤してきたようだ。
ヴァイツさんに助けられたラルフはきらきらとした目を向けていて、なんだか可愛い。先輩達に可愛がられるのがわかる気がする。
そんなヴァイツさんへみんなと一緒に挨拶すると、ヴァイツさんはわたしを見た。向けられた微笑みには何か意味が含まれているように見える。それはきっと、レイドから話を聞いたよということなのだろう。
「久しぶりだなロゼッタ。元気そうで良かった。」
「はい。お休みありがとうございました。」
レイドとのことをヴァイツさんも知っていると思うと少し気恥ずかしい。わたしを竜騎士に誘ってくれたこともあってかヴァイツさんは面倒見が良くて、お兄さんみたいな存在だから。
…それに、もしレイドと結婚したら、ヴァイツさんは本当にお義兄さんということになる。何だかとても不思議な感じだけど、嬉しい。
ダイスさんは微笑みながら軽く手を上げて、自分のデスクへ向かって行った。
その後もダイスさんや団長、次々にみんなに会って、久しぶりの仕事がスタートしたのだった。
……………………………………
竜舎に来て久しぶりに竜達のお世話をする。
掃除や餌やり、体に異常がないかのチェックなど、やることはいろいろある。頭数が多いので忙しいけれど楽しい。デスクワークの大切さも分かるけれど、こういうメンテナンスや訓練で竜達と触れ合える時間が一番好きだ。
箒で床を掃いていると、背中を軽く押される感覚があった。振り返ると、いたずらっ子な竜がわたしの気を引こうとしたようだ。
『最近来なかったね!寂しかった!』
かわいい。竜はあまり表情が動かない分、可愛いことを言われたり行動されたりするとキュンとする。
このこはフォードさんのパートナーで、素直に気持ちを表現する性格だ。頬を撫でてあげると、わたしの手に鼻を当ててすぅーっと息をする。独特な癖もかわいい。
「それはフォードさんに禁止されてなかったか?セクハラだって。」
そんなわたし達を見てラルフが笑いながら声をかけてきた。
『そんなのは人間の都合でしょ?ボクには知ったことじゃないよ。』
そう言われたラルフは頭をかきながら困った顔で笑った。
「…うーん。そう言われるとなぁ…。」
このこの言うことも一理あるような気がしてくる。動物が手とかを舐めてくるのと同じでスキンシップの一つなのかも。
「わたしもセクハラって感じはしないよ。犬が手とかを舐めるのと同じ感覚だと思ってるわ。」
「いいえダメよ。」
そう言ってわたし達の間に入ったのはヴァネアさんだ。フォードさんのパートナーをくるりと振り返って言う。
「あなた、感触とかどんな匂いだったとか、悪気なく他の竜に自慢するでしょう?それにフォードにだって伝えるじゃない。」
『…?うん。だって良い匂いだからね。』
ほらね、とヴァネアさんが苦笑いしながらわたしを見る。竜同士で話されるのはまだいいけれど、フォードさんにも伝わってしまうとなると恥ずかしい。
人間と同じような感情を持っていて、意思疎通が図れてしまうとなると、犬や猫と同じスキンシップを許すのはまずいこともあるんだ。
「わたしも気を付けます。」
されるがままになっていたけれど、これからはしっかり止めなくては。そう思って言うとヴァネアさんは頷いたが、フォードさんのパートナーは不満そうにした。ちょっと可哀想だけど、わたし達にとってはデリケートな問題だから覚えてもらわなくちゃ。
ヴァネアさんが離れていくと、ラルフがそっと近づいて来た。
「なあロゼッタ、もしよければ教えて欲しいんだけど。」
「ん?どうしたの?」
聞き返すと、ちょっと黙ってから小声で話される。
「さっきは詳しく聞けなかったけど、レイドとうまくいったってことで良いんだよな?」
「…うん。そうよ。」
「そうか。…良かったな。」
優しい微笑みを向けてくれて、わたし達のことを本当に喜んでくれていることが伝わってくる。好きな人と同じ想いになって、それを大切な友達に祝ってもらえて、とても嬉しい。
その後も竜舎での仕事をして、合間に少し話して、もうそろそろ終わりだと言う頃に、それは起こった。
餌桶に入った肉を食べていた竜達が、ピクリと反応して食べるのをやめた。そして竜舎の出入り口の方を注視し始めたのだ。そんな反応に、竜舎で作業していたわたし達は戸惑う。
「どうしたの?外が気になる?」
『…人がいっぱいいる。』
「俺見てくるよ。」
竜の言葉を聞いて、先輩の一人が出入り口に向かった。そのまま扉を開けて外へ半身を出した体勢で止まった。扉のすぐ外に人がいたようで何か話しているように見える。
少しすると先輩は中に戻ったが、なんだか険しい顔をしている。何かあったのかなと心配すると、先輩の後ろからすぐにヴァイツさんが竜舎に入って来た。ヴァイツさんは今の時間、ダイスさんやレイドと色付きの竜舎にいるはずだ。
「突然ですまないが、これより軍部の巡視が入る。竜達が驚かないようにフォローしてくれ。」
軍部の巡視?
あらかじめ通達もなく?
軍部は騎士団、竜騎士団、近衛騎士団を総括する位置にある。巡視することはたまにあるけど、普通は数日前に通達がある。
若干のざわつきを見せたが、すぐにみんな動き出し、竜舎内に散らばった。そんなことはないとは思うけど、万が一、竜が巡視員を襲うことのないように、フォローできる位置につく。
みんなと同じように動きながらも、わたしは少し嫌な予感がしていた。
軍部と聞いて、普段は仕事上の最も上の人達くらいにしか思わない。しかし、陛下に影響を及ぼしていた一人が軍事大臣だったはずだ。それを知っている今、突然の巡視は嫌な予感がする。
わたし達の準備ができたのを見て、ヴァイツさんは扉を開けて巡視員を中に入れた。




