第23話 湖の竜①
レイド視点
透き通った水色の鱗は水を弾き、陽の光を受けてきらきらと輝いている。
体温を奪い、外の音から遮断されたこの空間で、強く美しい金色の瞳から目が離せない。
この竜と一緒に翔びたい。
それは、ごく自然に心の底から出た言葉だった。
しかし動かした口から音は出ず、代わりに無数の白い泡達が一瞬視界を覆って浮かんでいった。
それでも俺の返事は確かにその竜に届いた。
…………………………
王都から西に飛んで少し、今回の目的地である三日月の森上空にたどりつく。
鬱蒼とした森の中にぽっかりと湖があり、その全体的な形が三日月に見えることからその名が付いた。
「ここにいる色付きを見たことはあるのか?」
『見たことはない。だが確実にいることはこの森に棲む者達の周知の事実だ。』
ここに色付きがいるという情報は、俺のパートナーのようにここで生まれ騎士団に保護された竜から得たものだ。
竜が住む貴重な場所として、また、色付きが潜んでいる場所として、ここは昔から重要視されている。
だがその色付きが荒ぶったことは今まで一度たりとも記録されていない。
この場所に俺とロゼッタが派遣されたのは、比較的安全な場所であり、王都からも近いため何かあった時にすぐ対応できるようにだ。
わざわざ言葉にする必要はないが、俺は竜騎士を輩出する名家の者として、そしてロゼッタは公爵家に養子に入った令嬢として、できるだけ危険に晒したくないとの判断だろう。
王族の血を引くロゼッタはともかく、竜騎士として忠誠を誓った俺は危険なんて今さらだが。
フォードさんの合図で旋回しながら降下し、砂を巻き上げながら着陸する。
パートナーに礼を言ってその背から降り、深呼吸すると清浄な空気が肺を満たした。
街にいる時よりも森の中はひんやりと感じる。
「上空から見た感じだと特に変わったところはなかったな。少し森を歩いて様子を見たら帰還するか。」
「はい。」
竜は待機させ、小枝や枯れ葉混じりの地面を踏みしめながら進む。
風を受けて揺れる草花と、どこからか聞こえてくる鳥の声、そして美しい緑の木々を見ると、仕事中だと言うのに清々しい気持ちになる。
周囲を見渡していると、ロゼッタが何故か小声で俺の名前を呼んだ。
何かあったのかと思いそっと彼女を伺い見る。
「きっと大丈夫だから。でももし嫌だったらちゃんと伝えてね。」
少し不安そうな顔とその言葉の意図が分からず首をかしげると、ズンッと地響きが聞こえた。
「…!止まれ!」
フォードさんの声で三人とも静止する。その何かに備えて片足を半歩引き重心を低くして待つ。
すると、木々の間から現れたのは緑竜だった。
大きめの身体だが、その皮膚の感じからして年を取った竜だろうか。
そのまま通りすぎるのを待とうかと思ったが、金色の双眸がゆっくりとこちらを捉えた。
ロゼッタを見ているのか…?…いや、明らかに俺と目が合っている。
竜の気まぐれにどう対処しようかと思っていると、不意に『こちらへ。』と声が響いた。
それは、他の誰でもない、目の前の老いた竜から俺にかけられた言葉だった。
困惑に固まる俺の背を、小さい手が促すように押す。
その主のロゼッタを見ると、優しい顔でコクリと頷いた。
ロゼッタはこの竜から何か読み取ったのだろうか。
生唾を飲み込んでゆっくり老竜に近付くと、まるで俺を案内するかのように森を進んでいく。
一体どこへ連れていこうというのだろうか。
しばらく歩くと木々が少なくなっていき、視界がパッと開けた。
目の前には、太陽の光を反射して輝く水面が広がる。
頭の中で上空で見たこの森の全体を思い浮かべる。三日月の森の湖に辿り着いたのだ。
老竜はそこで立ち止まり湖をじっと見つめる。
俺も見るようにと言われている気がして、ゆっくり湖に近付き湖面を覗く。
そよ風で波立つ水面。水は透き通り、湖の底まで見えそうな美しさ。
この美しい水が、この周辺の土地を潤しているのだろう。
ここに連れてきて何をしたいのだろうと思ったところで、背中に衝撃を受けた。
「っ…!」
ドプンッという音と同時に、冷たさが身体を襲う。
一瞬遅れて、あの老竜に湖へ落とされたのだと理解した。
そんな風には見えなかったが、あの竜に遊ばれたのか…?
なんとも言えない気持ちになりながら浮上しようと水を掻いたその時、突然水底へ強く引っ張られた。
驚いて足元を見ると何かが絡まっているわけでもなく、強い水流に引き込まれているようだ。
ここは湖なのにこんな特異な水流が生じるだろうか?
水を吸った服は重く、強すぎるその力に抵抗する術を持たない俺は、もがきながら湖の深くへと沈んでいく。
そして俺は出会ったのだ。
水底にも関わらず明るいのは、その竜が光を集めているから。
透き通った水色の鱗は水を弾き、陽の光を受けてきらきらと輝いている。
体温を奪い、外の音から遮断されたこの空間で、強く美しい金色の瞳から目が離せない。
この竜と一緒に翔びたい。
それは、当たり前のように自然に心のそこから出た言葉だった。
しかし動かした口から音は出ず、代わりに無数の白い泡達が一瞬視界を覆って浮かんでいった。
それでも俺の返事は確かにその竜に届いた。
「レイド大丈夫かよ…行かせちまったけどまずかったか…?」
ダラダラと冷や汗をかくフォードさんに「落ち着いてください。」と声をかける。
「あの老竜は案内役で、ここの主に会わせたかっただけみたいですからきっと大丈夫ですよ。」
「ここの主って…、色付か!?それって成り行きによってはまずいんじゃないか…?」
安心させるつもりがよけいに焦らせてしまった。今すぐに追いかけようとするフォードさんを、ここの色付がレイドと一対一で会いたいとう意思を尊重しましょうと宥める。
「俺はさっきの老竜から何も聞こえなかったけど、ロゼッタにはそこまで聞こえたのか。」
「…ええ、そんなところですね。」
やっぱりお前はすごいなぁと感心するフォードさんだが、この時わたしは嘘をついた。
わたしがここまでの情報を得たのは、小鳥達のおしゃべりのお陰だ。
『湖の竜が呼んでるよ。来て欲しいって。』『紫の瞳の子がいいなって。』『おじいさんが案内するよ。』
嘘をついたのは、竜以外の他の動物達とも話せるということを、自分を守るためにも秘密にしておいた方がいいと言われたのを思い出したから。
フォードさんはいい人で尊敬する先輩だけど、言わない方がいいかと思ったのだ。人の口に戸はたてられないというし、どこで情報が漏れるか分からないもの。
湖の竜…すなわちここの色付がレイドを気に入り、自分のもとへ案内させる竜をこちらに寄越すと話していた。
それを聞いてレイドを心配する気持ちもあったけど、現れた老竜を見て大丈夫だと思った。
彼は寡黙でわたし達に何も伝えなかったけれど、ただ優しい目でレイドを見たのだ。
案内役の老竜も、そんな彼が仕える色付きもきっと大丈夫。色付きがレイドと二人きりで会いたいと望んだならば、今わたし達にできることはレイドの帰りを待つことだけだ。
そう思って、一度パートナーの竜達のもとへ戻り待っていたのだが、レイドは驚きを伴って帰ってきた。
遠くでドォンッと音が響いたかと思うと、驚いた鳥達が木々を揺らして飛び立つ。
少し不安になりながらレイドが向かった方角を見つめていると、一匹の竜がこちらへ飛んできたのだ。
「おいおい、まさかあれって…!」
それは風を巻き起こしながらゆっくりとわたし達の前へ降り立った。
太陽の光に透ける水色の鱗と、大きな身体。今までに見た竜達にはなかった鯰のような髭。
そして、輝く金色の瞳。
間違いない、この美しい竜こそ湖の主だ。
そして、その背に乗っているのは…。
「待たせてしまってすみません。ただいま戻りました。」
「レイド!」
無事に帰ってきたことに安堵して、竜の背から降りた瞬間に抱き付いた。
案内役の竜を通して見たこともない色付きへ勝手に信頼を抱き、竜を愛するレイドならきっと大丈夫だと思ってはいたけれど、何もなくて本当によかった。
背中をポンポンと軽く叩かれて離れると、レイドがずぶ濡れなことに気が付いた。そういえば抱き付いた身体も冷たかった。
「大丈夫?まさか湖に落ちたの?」
「落ちたというか落とされたな。そのお陰でこの竜に会うこともできたが。」
レイドの視線の先はいわずもがな湖の竜。互いを慈しむ優しい目。ああ、素敵ね。レイドはこの竜と絆を結んだんだわ。
「…本当に今年の新人は規格外だな…。」
大切な人に大切な存在ができたことが嬉しくてニコニコしていると、フォードさんの呆れたような声が聞こえたのだった。




