間話 かわいいあの子
視点がコロコロ変わります
その姿を見つけてドキリと胸が高鳴る。
あまり見つめては気付かれてしまうので、それとなく盗み見るように視線で彼女を追う。
艶のある髪は三つ編みにして右肩から流されている。
白くて綺麗な肌に整った顔。守りたくなるような華奢な体に纏っているのは、誰しも一度は憧れたことがある竜騎士の制服だ。
体調を崩して出席できなかった兄の代わりに出た交流会では、その美しさに息を飲んだ。あんまり綺麗に微笑むものだから、声なんてかけられず、遠くで見つめるので精一杯だった。
美しさと才能を兼ね備えた彼女に、心奪われたのだ。
「何かの間違いで付き合えたりしないかな~。」
「!ウィル先輩っ!」
びっくりした。心の声が漏れたのかと思った。
肩に手を回して体重をかけてきたのは2年上の先輩。悪く言うようで忍びないが、女性関係がだらしないことで定評がある。
まあ女性が寄ってくるくらいには顔が整っている人でもあるのだが…。
「入隊式の時から目ぇ付けてたんだ。今年入った中で一番…っていうより、その辺のお嬢様より可愛いだろ?」
「はい、まあ…。」
入隊式ってアンタ、珍しく進んで手伝いに行ったかと思ったら品定めが目的かよ。
先輩相手にそんな本音も言えず曖昧に笑って返す。
「でもなあ…。声かけようにもいつも誰か側にいるだろ?特に同期の男達。アイツら気に食わねぇよなあ。」
そう。彼女の回りにはいつも誰かがいる。そのほとんどが同期だという二人だ。銀髪に赤い目の男は名家出身だそうで、品が良く、男から見ても綺麗な男だ。もう一人は地方出身らしいが、物怖じしない明るい男でいつも笑っている印象だ。
その二人がそれとなくいつも周囲を警戒していて、彼女は徹底的に守られているのだ。
話しかけようとして挫けた経験が自分にもある。
「けどよ」と聞こえたかと思うと同時に肩の重みが消える。
「大事に守られている城や砦を落とすのは燃えるよな。」
冗談っぽく笑いながらもその目はギラギラしていて、嫌な予感に汗が背中を伝った。
__________
いくら周りに人がいても、一人にならない瞬間なんてない。
朝、女性用宿舎から出て職場である竜騎士の詰め所に行くまではほとんど一人のことが多い。竜騎士の先輩であろう女性と一緒に歩いていくこともあるそうだが、今日は一人で出てきた。
情報を流してくれるように頼んだ女には、後で適当に何か贈っておくか。まあそいつも、新人竜騎士の男を狙っているからお互い様だ。
「おはよう。はじめまして。」
「えっと、はじめまして。」
努めて爽やかに挨拶をすると、キョトンとしながらも挨拶を返してくれた。まるい目は光を映しきらきらして、長い睫毛に縁取られている。肌も白くてシミひとつない。初めて近くで聞いた声は鈴が転がるようだ。
これは本当に上玉だと、思わずゴクリと喉がなった。
「俺はウィル。見ての通り騎士団所属だ。君はロゼッタだろう?みんな君の噂をしてるもんな。」
「噂?噂って何ですか?何か悪いこととか…?」
こちらの下心を感じさせないように好青年を演じる。不安そうに眉を下げる彼女に小さく手招きをすると、思ったよりもすんなりと近付いてくれた。普段誰かに守られているから、警戒心もあまりないのだろう。
「まさか悪い噂じゃないよ。ただ君が……かわいいってだけ。」
囁くように言うと彼女は「えっ。」とだけ言い固まった。近づきすぎたか?と思っていると、彼女は一気に顔を赤くした。
「え、あの、人違いですっ…!」
おや、これは…。
かわいいなんて言われ慣れてるかと思ったのに、思っていたよりも初心そうだ。
駆けて去ってしまいそうだったところを、逃すものかと腕を引いて捕まえた。ビクッとして更に顔が赤くなり、目まで潤んでいる。
これは楽しくなってきた。
彼女は守られるあまり、警戒心だとか恋愛の免疫だとかは育ってこなかったのではないだろうか。どうしていいか分からないというような顔をしている。思っていたよりも攻略は簡単かもしれない。
「ごめん驚かせて。でも、かわいいって言ってる人はたくさんいるし、君に気を付けてって伝えようと思って。」
暗に、自分は味方だぞ、と伝える。
「俺の名前だけでも覚えていってよ。…ああ、あの同期の男の子達には内緒ね。いらない心配をかけてしまったら申し訳ないから。」
頼むぞー、あいつらには言わないでくれよ。
俺の心の声なんてつゆ知らず、彼女はコクコクと頷いている。手を離すと、小さくお辞儀をして駆けていった。俺は上機嫌でその背中に手を振った。
「…ちょっと強引じゃない?」
建物の影から、今回協力してくれた女が出てきた。
「いや、初心な子にはあれくらいでいい。絶対しばらく俺のことが頭から離れないだろ。」
「ふーん。まあ私はレイド、ラルフが彼女から離れる時間が増えればそれでいいわ。頑張ってね。」
じゃあ、と女は歩いて行った。
俺は収穫があったことに、上機嫌で仕事に向かった。
__________
仲間と備品のチェックをして倉庫に鍵をかける。俺が鍵返してくるからと言うと、お前の分の晩飯とっとくわ!と言って食堂の方へ行った。
ここ数日の俺の気がかりは、かわいいあの子にちょっかいをかけようとしていたウィル先輩のことだ。あれから先輩には会っていないが、その後どうなっただろう。まさかあの子を傷付けるなんてことはしないと思うけど…。
「まさか、あんた…じゃないよな?」
「え?うわ!」
考え事をしていて不意に声をかけられたかと思ったら、そこにはあの子の同期がいた。たしか、レイドとラルフ、とか言ってたはずだ。
ラルフはポケットに手を突っ込んで俺を見ているだけだが、レイドの方は視線すら冷たく感じる。
というか今、あんたって言ったか?俺の方が騎士歴は先輩なんだが…。
「何の話だよ。」
思わず不貞腐れたような声が出てしまう。
「先輩、いつも俺達の同期を見てましたよね?」
同期って、あの子のこと?…え、バレてたのかよ。
恥ずかしさを隠すように「だったら何だよ」と言うと、二人は互いに顔を見合わせ、ずいっと近づいてきた。こいつら身長高くないか?
「俺達の同期が最近様子が変なんです。聞いても本人は答えないから、周りを探ってたら一般騎士が彼女と話しているのを見たと言う人がいて。…あんたの周りで不審な奴がいたら教えて欲しいと思って。」
またあんたって言ったぞ!
なんて、文句を言える雰囲気でもない。さっきから俺に刺々しいのはレイドだが、美人の無表情は怖い。
結局何も言えず、問いかけられたことについて考える。
不審な奴…?そんな奴なんて……。
いるな、一人。
悪い顔で笑っていた先輩を思い出す。
「心当たり、あるんですね。聞かせてもらいます。」
言わなければ通さないとばかりに圧をかけられる。レイドの方は氷のような無表情だし、ラルフの方は笑っているけどなんか怖いし。
…俺、何も悪いことしてないのに。
そうだ、全てウィル先輩のせいだ。
そう結論付けた俺は洗いざらい喋った。
__________
ウィルの奴があの子にちょっかいかけてから、レイドやラルフの一人の時間が増えるかと思いきや、ますます三人でいることが多くなった。
話が違うじゃない。何がロゼッタを落として見せるよ!
気が付けば爪を噛んでいて、ハッと我に帰りすぐに止める。せっかく綺麗に整えていたのに。あれもこれも、うまくいかない。
仕事も終わり、明日は非番だ。このイライラを鎮めるためにもお酒でも飲みに行こうかと歩いていると、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
「あれ、ウィル。ウィルじゃない。どうしたのよこんなところで。」
肩を軽く叩くとこちらを向いた。大口を叩いていたのに成果も出せずに、どんな顔をしているのか見てやろうと思っていたのだが、その顔を見てギョッとする。顔色悪っ!
体調でも悪いのかと聞いたが、力無く首を横に振る。
いつもの彼と違う様子に流石に心配になり、どうしたのよと聞くと、どこか遠い目になった。
……………
俺は浮き立つ心を抑えきれずにいた。胸ポケットには一通の手紙が入っている。
あれは昼休みのこと。
デスクワークで凝り固まった肩をほぐす。書類仕事は体力的には楽だが、これはこれで苦痛だ。ため息を吐くと、少し早めの昼休憩に行っていた隣のデスクの後輩が戻ってきた。そして、「手紙来てますよ。」と白い封筒を渡してきたのだ。
誰からの逢瀬の連絡だ?と軽い気持ちで受け取った。顔が良い自覚はあるし、こうしてお誘いの手紙が届くのもよくあることだ。
裏を見ても差出人は書いてなかったが、中身を見て確信した。これは、ロゼッタからの手紙だと。
『先日は、驚いて逃げてしまい申し訳ありませんでした。もしろよしければ、今日の仕事が終わった後にお会いできませんか。』
女性らしい柔らかな綺麗な字、驚いて逃げてしまったというあの時の状況を示す言葉。間違いない。
「後輩よ、俺は今日、大物を捕まえてくる。」
俺は隣の後輩にそう宣言した。「はあ、頑張ってください。」と、どうでもよさそうに返事をされたがそんなことは気にしない。急いで昼食を摂り、残りの仕事を片付け、そして今に至る。
相手が指定した東の渡り廊下で待っていると、人の気配がした。やっと来た!と自然に上がってしまう口角を落ち着かせて努めて冷静に振り返る。さぞかわいい顔をしているのだろうと思いながら。
「お待たせして申し訳ありませんでした。」
「…は?」
聞こえてきたのはかわいらしい声…ではなく、低い男の声だ。そして、目の前にいるのも、間違いなく男だ。それも二人。
こいつら、レイドとラルフじゃねぇか!!
なんでこいつらが!
「お前ら俺を騙したな!?」
騙された!怒りをそのままぶつけたが、二人は涼しい顔をしている。
「騙したなんてとんでもない。今日俺たちの大切な同期は体調が優れなくて、俺たちが代わりに先輩にお礼を会いにきたんです。」
「はあ?お礼だ?」
ニコニコと犬みたいな方…こいつはラルフだったはずだ。意味のわからないことを言いやがって、腹が立つ。
「先輩はロゼッタに、他の人間に対する警戒心を持つよう忠告したそうですね。確かにあいつは人の悪意に鈍いところがあります。わざわざ女性用宿舎の前に足を運んでまで忠告してくださり、ありがとうございました。」
今度はレイドが淡々とそう言う。ありがとうなんて言うが、その顔は無表情で、とても感謝を述べる顔ではない。
それに、女性用宿舎の前で待ち伏せたことまで知っている。なんだこいつら。
焦る心を悟られないように、構っていられないとその場を立ち去ろうとしたが行手を阻まれる。レイドの赤い目が冷たく光っていて思わずたじろぐ。よく見ればラルフも目が笑っていない。
多少乱暴にでも逃げようかと思っていると、再びレイドが話し出した。
「大切な同期に忠告してくれてありがとうございます。そんな先輩に、俺達からも忠告を一つ。お母様が大変心配しておいでのようですよ。」
そう言って、手紙を差し出される。
こいつら何のデタラメを…と思いつつ見れば、それは確かに見慣れた母親の文字だった。
仕方なく受け取り、開いて中身を確認した。
…そして俺は、顔から血の気が引くのを感じた。
『あなたの子どもができたと訴える娘が三人ほど家に来ています。どういうことなのか今すぐに説明しに来なさい。仕事だと逃げても無駄ですよ。上司に話はつけてありますからね。』
そんなはずはない。
遊んでいることは間違い無いが、細心の注意を払っていたはず。
いや、しかし。まさかそんな…。上司に話をつけたって…?
ダラダラと嫌な汗が流れる。
「早く帰って事実を確認してきた方がよろしいのでは?誤解なら、なおさら説明して差し上げないと。」
逃げることを許さないというように立ち塞がられていたが、途端にスッと道を開けられる。
それは、俺にとって絶望の道に見えた。
……………
なんて、こんなこと、誰かに言えるはずもない。
「なんでもない。…ちょっと、用事で実家に帰る。」
こちらに戻ってくるのはいつになるだろうか。いや、戻って来れるのか…?
「ちょっと、大丈夫?」という女の言葉に手を軽く上げて返事をし、人生で一番重い足取りで実家に向かうのだった。
__________
「ごめんねレイド、ラルフ。わたしどうしたら良いか分からなくて…。やっぱり二人に相談するべきだったわ。」
両頬に手をあててため息を吐く。あのウィル先輩がからかってきてから本調子じゃなくなっちゃって、でも、先輩の言葉を真に受けてレイド達に相談もしなかった。
「先輩、何か言ってた?アドバイスありがとうございますって、伝えてくれたんだよね?」
「ああ、もちろん!でも、先輩もいろいろ大変みたいで、しばらく実家に帰るんだとさ。」
どこからかわたしが悩んでいることの内容を調べてきた彼らは、自分達もその先輩に会ってくると出掛けて行った。他の人に気をつけるようにアドバイスしてくれたことへお礼を言ってくれたのだという。
実家に帰るという先輩のことは心配だが、だからと言ってわたしにできることは何もないだろう。
「何かあったときは、俺たちじゃなくても誰かに相談しろ。ヴァネアさんとかミラさんとか、話しやすい人でいいから。」
「うん。でも、レイドとラルフ以上に相談しやすい人なんていないわ。」
そう言うと、二人は困ったような顔で笑った。
じゃあさっそく相談したいことがある。そう伝えると二人は聞く体勢になってくれたが、「恋愛のことなんだけど。」と話すと、固まってしまった。
「…まさかロゼッタ、好きな人いるの?」
「え、そうじゃないわ!わたしは二人の話が聞きたくて!」
「…俺達?」
ヴァネアさんやミラさんと時々、恋愛の話をするのだ。ヴァネアさんもミラさんも恋人がいて、休みの日はデートをしたり、会えないときは手紙を送り合っているという。わたしには何も話せることがなくて、「ロゼッタはもう少し恋愛に積極的にならないとね!」と言われた。「意外と近くに良い人がいるかもよ。」とも。
近くの人…、そうだ、レイドとラルフにも聞いてみようと思ったのだ。恋愛がよく分かっていないわたしに、それが何たるかを教えてもらいたい。
「良いお家柄の人は小さい頃から相手が決まっていたりするんでしょう?二人はどうなの?」
「いない。」
「俺もべつに。ていうか俺は一般家庭出身だし。」
レイドは即答し、ラルフもそれに倣う。
「じゃあ、気になる人とかは?」
「…さあな。」
少し間を置きそう答えたレイド。
「今の見たかよロゼッタ!こいつ誤魔化した!何かあるぞきっと!」
すると突然わたしよりも積極的にレイドを問い詰めるラルフ。
「お前なぁ…。」
レイドはそんなラルフに呆れたよう大きくため息を吐く。「自分だけ逃げようとしてるだろ」「まさか!俺は誤魔化しを見逃さなかっただけだ!」普段は二人とも大人っぽいのに、たまに子どものように言い合っているのが面白い。
くすくすと笑ってしまう。
今はまだ難しいことはいいか。二人といるのが楽しいもの。




