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【3】獣の王に拾われる

馬車に異変が起きたのは、出発してから半日ほどのこと。


がたん、と大きな音がして、馬車に衝撃が走る。馬のいななきが耳に刺さった。


「どうしたの?」

「お、お嬢様、申し訳ありません。馬車が脱輪してしまい……」


中年の御者ぎょしゃが、おろおろしながらそう答えた。空は夕暮れ――時間がかかると、真っ暗になってしまう。森がすぐそばにあるので、長居していると獣に狙われる危険もある。

御者は慌てて修理を始めたが、手元が暗くて作業が難しそうだった。


松明トーチの魔法なら、お役に立てるかしら」

私は馬車を降りて、手元に小さな光を浮かべた。


「ありがとうございます、お嬢様」

「他にもできることはある? 私も手伝うわ」


松明の魔法は、ごく初級の光魔法のひとつ。手元を明るくするだけでなく、野生動物を遠ざけるのにも効果的だ。私はできる限りのことをして、御者の修理を手伝っていた。――でも、そのとき。


森の奥から、嫌な気配がした。思わず振り返ると、金色のぎらついた眼が、暗い森のなかからこちらを見つめていた。一匹や二匹ではない。十、二十……


「ひぃ!」

御者が悲鳴を上げて、護身用のナイフを取り出した。


金色の眼の持ち主が、森からぬっと姿を現す。ただの獣ではない――これは、


「……魔獣!?」


姿を見せたのは銀色の毛並みの、黄金に光る眼を持つ狼だった。ふつうの狼より、体はふた回りほど大きい。魔狼まろうと呼ばれる魔獣で、森の奥深くで瘴気を吸った狼が魔獣化した姿だと言われている。


「……魔狼の群れが、なぜこんなところに?」


大森林の奥深くを住処とする魔狼たちが、森の出口付近で群れをなすなんて普通ならあり得ない。でも、それより問題なのは……魔狼たちがこちらを狙っていることだ。


ひときわ大きな一頭が、跳躍して馬車の上に乗りあがった。御者は悲鳴を上げて、恐怖のあまりナイフを取り落としてしまった。そのナイフを、すかさず私が拾う。


でも、ナイフなんかで、魔狼と戦えるわけがない。


「……あなたは、逃げなさい」

声を殺して、私は御者にそう言った。


「え!?」

「魔狼は若年女性の血肉を好むの……肉質が柔らかで、魔力の質がまろやかだから。それに私は聖女としての魔力も持っているから、魔狼にとって最高の餌に見えているはずよ。あなたは、逃げなさい。巻き添えで命を無駄にしてはいけません」


「で、ですが……お嬢様ぁ……」

真っ青でガタガタ震えている御者は戦闘要員にはなり得なかったし、彼には帰りを待つ妻や子供がいることも知っている。


「これでも私は、大聖女になるための教育を11年も受けてきたのよ? 守られるべきは、私ではなくあなたです」


これ以上の語らいは無用だった。

私は最大の強さで松明トーチの魔法を両手に灯した。目眩ましには、ちょうどいい。

私は、御者とは反対方向に駆けだしていた。


ウォーン、と地鳴りのような咆哮を幾重にも上げながら、魔狼たちが迫ってくる。まだ、全力で襲い掛かっては来ない。獲物をなぶって、弱らさせてからむさぼり食うのが魔狼の習性だ。


少しでも魔狼を私に引き付けなければ――人里に近寄らせてはいけない。……でも、私一人でどこまで時間が稼げるだろうか。


……本来なら、聖女が単独で魔獣と対峙することはない。常に聖騎士と隊を組んで行動するのが、魔獣討伐の鉄則だ。聖女が扱えるのは、基本的には補助魔法だけ――攻撃魔法は使えない。


(私一人では魔狼を倒すなんてできない。だったら、せめて少しでも人里から遠ざけないと!)


私が目指し続けてきた『大聖女』は、あらゆる聖女の頂点に立つ聖女。だから私も、一般の聖女と同等の魔法を使うことはできる。……でも、そもそも、聖女は戦闘のプロではない。聖騎士に守られながら、後方で補助や回復に徹するのが聖女の戦闘方法だ。


(聖女には、攻撃魔法は使えないわ。……それに、回復魔法は自分自身には効果がない)


私ひとりにできることなんて、高が知れていた。


じりじりと、魔狼たちが私と距離を詰め、群れで追い込もうとしてきた。息を上げながら、私は必死に距離を保って森の深くへと逃れ続ける。


私は、自分が倒れたあとのことを考えた――私の魔力と血肉を食い尽くした魔狼たちは、数日間は満たされるはずだ。しばらくの間は、人里に下りて人々を襲うことはない。逃げ延びた御者が魔狼の報告をすれば、討伐隊が結成されるに違いない。そうすれば、全部うまくいく。私が時間を稼いでおけば、全部がうまく……


「きゃあ!」


しびれを切らした一頭が、牙をむいて飛び掛かってきた。私はナイフで自分の長い髪を掻き切った――切断した月影色の髪を魔狼に向けて投げ散らす。やけどした犬みたいな苦鳴をあげて、その魔狼はもだえ苦しんだ。


高濃度の魔力を宿した毛髪は、私が使える唯一の武器だ。束にして投げつければ、相手の身を焼く魔道具代わりになる。たった一回しか使えない、私の武器。


もう、なにも武器はない。次に襲い掛かられたら終わりだ。すぐ目の前に死が迫っているのだと思った瞬間、怖くてたまらなくなった。足がふるえる、でも、止まれない。


さらに森の深くまで逃げる。こんなに人里から離れてしまえば、絶対に誰も助けには来ない。自分で選んだ選択肢なのに、怖くて怖くて息ができなかった。助けてくれない、誰も――



『かわいそうなエリーゼ。あんたの味方なんて、この世に一人もいないのよ? あんたは独りぼっちだもの』


ララに言われたその言葉が、胸をえぐる。


分かってるわよ。そんなこと。どうせ私は、いつでも独りぼっちなの。

誰も助けてくれないの。正しく強い自分を演じる以外には、生きていく方法がなかったの……


幾重に迫る、魔狼の咆哮。どんどん近づいてくる。


「あっ……!」

足がもつれた、そのまま転ぶ。足をくじいたみたいで、立ち上がれない。

魔狼たちが飛び掛かってきた――

私は頭を抱えて目を閉じ、牙に裂かれる痛みに耐えようとした。


でも。その瞬間は、いつまでも訪れなかった。


断末魔の悲鳴を上げたのは私ではなく、二十余りの魔狼たちだった。


「……?」

おそるおそる目を開けると、魔狼たちの銀の毛並みが、血だまりに沈んでいた。魔狼を残らず切り伏せて剣の血を払っていたのは、二十代半ばの男性で。


「森が騒がしいと思えば――なぜこんなところに女がいるんだ」


その男性の髪は、魔狼のような銀色だった。トパーズに似た金の瞳も、魔狼の目の色に似ている。一分の隙なく鍛えこまれた長身の体躯と、野生の獣を思わせる鋭い気配。返り血を浴びて、鮮烈なまでの赤で染まっている美貌。


彼は切れ長の目で、静かに私を見下ろしていた。すっと高く通った鼻梁も、意志の強そうな凛々しい眉も、堂々とした挙措も……彼のすべてが、獣の王を思わせる。


私は月明りの下で、瞬きするのも忘れて彼を見上げていた。


「立てるか」


問いに答えるのも忘れ、私は呆然と見つめた。死の恐怖が遠ざかり、気が緩んだのか体がどっと重くなった。力が抜けて、姿勢が崩れる。


「……おい」


安心感に飲み込まれ、気が遠くなっていく。私はその場でくずおれて、意識を手放していった。


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