【17】氷の心とあなたの鼓動
「俺には、エリィがいつも怯えているように見える。……もしかして君は、「役に立てなければ生きる資格がない」とでも、思っているんじゃないか?」
ギルベルト様にそう言われて、その通りだと気がついた。私はいつでも、誰かの役に立ちたいと思ってきた。そのための努力は惜しまなかったし、喜ばれると嬉しかった。でも……実際にはただ、自分の居場所を無理やり作ろうとして良い人ぶっていただけなのかもしれない。
いつの間にか、涙があふれだしていた。
「私……。……っ、失礼します」
居たたまれなかった。浅ましい自分を、ギルベルト様に見られたくない。部屋を飛び出そうとした私の腕を、ギルベルト様がそっと引き留めた。
「待て、エリィ」
「放してください!」
彼の手を振り払って、私はドアノブに手をかけようとしたけれど――遮られてしまった。ギルベルト様の腕が、私の顔のすぐそばにある。彼は掌を扉について、私が逃げ出せないようにしていた。
「……扉を開けてください!」
私は扉を背にして、彼を見上げて訴えた。
「駄目だ。君が聞き入れるまでは、ここから出さない」
金の瞳に真剣な色を灯して、ギルベルト様は私を見下ろしていた。
「…………いやです。私を見ないでください。私の浅ましさをこれ以上、あなたに見透かされたくありません」
「君は浅ましくない。――耳を貸してくれ」
私は、駄々っ子のように首を振っていた。逃げ出したくてたまらない。つらくて苦しくて、息の乱れがひどくなる。
過呼吸を起こしかけてふらついた私を、ギルベルト様が抱きしめた。厚い胸板に押しつけられて、彼の鼓動が直接耳に響いてくる。
「……放して、ください」
「絶対に放さないから、諦めろ」
腕に力を込めて、彼から離れようとしたけれど。力で勝てるわけがなかった。
「君の『生きる価値』を問うような奴は、ここにはいない。怯えるな。ありのままのエリィで居れればいいんだ。……俺の声を聞いてくれ」
とくん、とくんという心臓の音が、とても優しい。
「…………ありのままじゃあ、駄目なんです」
唇から、勝手に言葉があふれていた。――心が痛い。全身が凍えるように、かたかたと震え出す。
「私が頑張らないと、役立つような成果を上げないと、誰も見向きもしてくれないんです。だから、いつも精一杯でした。……でも、それでも足らないみたい。父もアルヴィン殿下も、私のことを出来損ないだと言うんです。無表情で不気味で生意気で、見たくもない女だと。私が氷みたいな、冷たい女だから。私が、妹みたいな可愛い子じゃないから……」
泣きじゃくりながら吐き出し続けた言葉たちを、ギルベルト様は全部聞いてくれていた。
「……私、本当は悔しいです。妹なんて大嫌い。お父様もお義母様も、アルヴィン殿下も大嫌い……あんな人たち……いなくなっちゃえばいいのに」
彼らへの怒りを口にしたのは、生まれて初めてのことだった。ずっと一人で抱え込んできた悲しみが、じんわりと溶けだしてくる。
どれほどの沈黙が流れただろうか。
やがて、ぽつりと密やかな声が、頭の上から降ってきた。
「――俺とそいつ等と、どちらの言葉を信じるんだ?」
「……え?」
灯火のような優しい色をした彼の瞳が、まっすぐに私を見ている。
「君を傷つける奴らの暴言と。君にそのままで居てほしいと願う俺の言葉。どちらを信じる? 決めるのはエリィ自身だ」
……あったかい。
その眼差しも。抱きしめてくれる大きな手も。鼓動の音まで温かい。
「……………………あなたを、信じます」
答えと同時に、たくさんの涙があふれだしてきた。
「私は、…………あなたを信じたいです。……信じます」
泣くなんて、何年ぶりのことだろう。すがりついて子供みたいに泣きじゃくる私の背中を、彼は静かにさすってくれていた――
*
私の涙が収まるまで、ギルベルト様はずっと抱きしめてくれていた。
「……もう、大丈夫です。すみませんでした」
泣き腫らした目をこすりながら、私は笑った。彼は私をそっと手放すと、
「いい笑顔だな」
とつぶやいた。
――いい笑顔?
「そんなふうに褒めてもらえたのも、十数年ぶりです。亡くなった母はよく、私を褒めてくれました。ギルベルト様は、私の母にちょっと似てる気がします」
「母君に?」
少し拍子抜けしたような感じで、ギルベルト様は目を見開いていた。
「俺のような武骨な母親が、いるのか?」
「お姿じゃありませんよ。あなたと一緒にいると、お母様と過ごした頃と同じ気持ちになるんです」
……あったかくて、とても嬉しい気持ちに。
「私が幼いころ。よく、真夜中に起きて怖くて泣いてしまったんです。……お母さまはずっと抱きしめてくれて。一緒にバルコニーに出て、私が落ち着くまで星空を見ながらお星さまの物語をしてくれました」
……星空か、とつぶやくと、ギルベルト様は私の手を取り小さく笑った。
「久々に、星を見ないか?」
「え?」
「遠い昔、君……によく似た人物と、星空の下で出会った。それ以来俺は、星を見るのが好きなんだ」
*
私たちは連れだって、寄宿所の屋上に昇った。空いっぱいの星々が、私たちを見下ろしている。
「わぁ……」
たっぷり泣いたあとだからか、とても気持ちが軽かった。星空を眺めるなんて、何年ぶりかしら。……泣いたり笑ったり、本当に今日は、数年ぶりのことばかりだ。
床に腰を下ろして、二人並んで夜空を見上げる。夜風は少しひんやりしていた。
ギルベルト様は無言で、外套を私の背中にかけてくれた。
「あっ。……あの、ギルベルト様。私、寒くありません」
「夜風は冷える。君は俺とは違って、夜間行軍なんてしたことはないだろう?」
「……ありがとうございます。それなら……」
私は貸してもらった外套を広げて、ギルベルト様と一緒に入れるようにした。
「ね? こうすると一緒に温まれます」
寄り添って彼を見上げると、
「……そうだな」
ギルベルト様は困惑を隠すような素振りで、口元を手で覆っていた。
そのまま。2人静かに星空を見た。
私もギルベルト様もあまりたくさん喋るタイプではないから、自然と沈黙が長くなる。とても心地よい沈黙だ。
「――灯り星!」
先に声を発したのは、私のほうだった。
南西の空に指をさしてそう言うと、ギルベルト様も同じ方向に目を馳せていた。
「……灯り星?」
「はい! お母さまがよく話してくださった、おとぎ話に出てくる星なんです。私、灯り星のお話が大好きで」
興奮して声を弾ませた私に、ギルベルト様は微笑みかけた。
「――聞かせてくれないか? その話を」
「え?」
おとぎ話なんて、大人相手に聞かせるものではないと思ったけれど……。ギルベルト様は、「聞かせてほしい」ともう一度言った。
「それじゃあ……。灯り星のお話は、悪い魔女に呪われて氷に封じ込められてしまった、お姫様の物語なんです」
私は話して聞かせた。姫を閉ざした氷の柱を溶かすために王様が国中の優れた者たちを集めたけれど、どんな方法でも氷は溶けなかったこと。長い年月が経って誰もが姫を見捨てるなか、たった一人の騎士だけが姫を救おうとし続けたこと。
「何十年も呪いを解く方法を探し続けたその騎士は、とうとう神聖な魔法の灯火を手に入れるんです。その灯火を捧げると、お姫様の氷が溶けて――」
神聖な灯火は空を舞う炎になって、騎士と姫君が抱きしめ合うのを祝福しながら空に昇って行った。南西の空に輝く金色の『灯り星』は、その灯火が星になった姿なのだという。
「めでたしめでたし。……でも、退屈だったでしょう? 子供用のお話ですもの」
「いや」
金の瞳を柔らかく細めて、ギルベルト様は首を振った。
「その話は好きなんだ」
「……知ってらしたんですか?」
小さく首をかしげていたギルベルト様の隣で、私は灯り星を見上げた。
「――ギルベルト様の瞳の色は、灯り星にそっくりですね。とても温かくてきれいです」
私が何気なくつぶやくと、彼はとても驚いた様子だった。
「どうしたんですか?」
「昔、同じことを言われた」
誰に? と問いかけたかったけれど、やめておいた。人の思い出に、無遠慮に踏み込むのは良くないと思ったから。
「……俺の目を美しいと言ってくれるのは、エリィだけだよ」
ギルベルト様は少し寂しそうに笑いながら、灯り星を見つめている。
彼の言葉は、とても矛盾しているように聞こえる。私ではない誰かに同じことを言われたと言っているのに、『私だけ』なんて、おかしい。でも……深く聞いてはいけない気がして、私は口をつぐんでいた。
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