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【10】君が幸せになるのなら

――エリーゼを救いたい。


彼女から「連れていってほしい」と請われた瞬間、彼女を救いたいという想いに駆られていた。


メライ大森林の奥で出会ったエリーゼ・クローヴィア公爵令嬢は、か細い肩を震わせながら、切実な目で俺に救いを求めてきた。青ざめた美貌も、傷だらけで壊れてしまいそうな華奢な体躯も、彼女のすべてが痛々しかった。


彼女を痛めつける者がいるのだと、俺はそのとき理解した。同時に蘇ってきたのは、遠い昔に出会ったエリーゼの姿だ。……俺はエリーゼに会ったことがあるのだ。11年前に、一度だけ。


まだ6,7歳くらいだった彼女はとても可憐で、自分をエリィと名乗っていた。ころころと鈴のように無邪気に笑い、仔犬のように愛らしい、とても優しい少女だった。エリィは、誰からも憎まれていた俺のことを『優しくて温かい』と言ってくれた。出会ったばかりの俺を『ギル』と呼んで、大切な友人のように扱ってくれた。――あの日エリィに出会えていなかったら、俺は今、この世にいない。


エリィが王太子妃になる女性だということは、以前から理解していた。


二度と会えないと思っていたエリィに再会できたことは、俺にとって喜び以外の何物でもなかったが……王太子妃となる彼女の人生を狂わせるようなことがあってはならないと思って、敢えて冷淡に振る舞っていた。


――だが。


救いを求めるエリィを見て、たがが外れた。放っておけるわけがない。エリィから受けた恩に報いたい……俺が願うのは、そればかりだ。エリィが俺を覚えていなくても構わない。


「クローヴィア嬢が俺の庇護を求めるのならば、俺は拒まない」

俺は彼女の前にひざまずき、その白い手に唇を寄せた。――敬愛と忠誠を誓う騎士の口づけだ。


エリィを害する全てから、俺がエリィを守り抜く。君がかつてのように笑ってくれるのならば、誰を敵に回してもかまわなかった。


「長居は無用だ。今すぐザクセンフォード辺境伯領へ戻る」

俺がそう言うと、エリィは表情をぱっと明るくした。さっきまで固いつぼみのようだった彼女の美貌に朱が差した瞬間を見て……俺の胸は、わずかに高鳴った。


足を痛めていたエリィを抱き上げ、俺は馬をつないでいた場所へ向かった。見ず知らずの俺に抱かれて、エリィはひどく怯えていた。

「な、なにをなさるのです……」

「魔獣が来るのも、他人の目に触れるのも厄介だ。一刻も早く出発したい――こんな場所で人に出くわすことは、そうそうないだろうが。貴女をさらうからには、念には念を入れたい」


さらうのだ。

このまま彼女をさらって、俺のもとで隠し通す――クローヴィア公爵家からも、王太子からも。だが、彼女が本当にそうなることを望んでいるのか、最後にもう一度確認しようと思った。

「最後にもう一度問うが。本気で俺にさらわれる覚悟があるのか? 自分で選べ。魔狼騎士(おれ)が怖いなら、逃げた方が賢明だ」


一瞬の戸惑いののち、エリィははっきりと言った。

「……あなたと行きます。助けてください」

細い指で自分自身を抱きしめながら、自身に言い聞かせるようにそう発言していた。――怖くない訳がない。震えを押し殺す彼女を見て、とても哀れだと思った。


手荒に扱えばすぐに折れてしまいそうなほど、エリィの体躯は華奢だ。大切なものを抱えるように柔らかく抱き、俺は彼女を馬に乗せた。


  *


馬を駆り、幾度もの休息を挟んで数日。たどり着いたザクセンフォード辺境伯領で、俺は人目を避けるように、エリィを自分の屋敷に住まわせた。


最初は怯えていた彼女が、傷が癒えるとともに少しずつ安らかな表情を見せてくれるようになった。彼女の安らぎは、俺にとっての幸福だ。


このまま生涯、彼女を隠し通せたら――

二人だけの閉鎖された時間の中で、彼女と見つめ合えたら――

そんな考えが頭をよぎったことは、何度もあった。だが、現実は俺の願いとは逆方向に向かっていく。


「説明しやがれ、ギル! クローヴィア公爵家のエリーゼ嬢が、どうしてお前の屋敷にいるんだ!?」

と、主人であるユージーン・ザクセンフォード辺境伯閣下が、ある日、唐突に介入してきた。


そして閣下が来た翌日、エリィは俺に訴えてきた。

「ギルベルト様。私を騎士団で働かせてくれませんか? 騎士団には、女性も働いていますよね。騎士たちの身の回りのお世話をする『雑役婦ざつえきふ』になりたいんです。どんな雑用でもしますから……お願いします!」

……何の作業もせずに囲われているだけの日々は、やはりエリィには苦痛だったらしい。


エリィは、自分の意思でザクセンフォード辺境騎士団の雑役婦となる道を選んだ。どう考えてもエリィには不向きな仕事だが。ユージーン閣下が快諾していたから、俺が口を挟む余地はない。話はとんとん拍子で進み、今日からエリィは騎士団の雑役婦として働くことになったのだった。


屋敷から出て、騎士団の基地へと向かう馬上で。俺とともに馬に乗っていたエリィが、俺に礼を言ってきた。

「……ギルベルト様。私に仕事を与えてくださって、ありがとうございます」

「嬉しそうだな。そんなに働きたかったのか?」

「はい。私、必ずお役に立ちます。……ご迷惑をかけないように気をつけますから、よろしく願いします」


希望と不安を入り混じらせた表情で、エリィは上目遣いに俺を見ていた。そんな彼女の可憐さに見惚れてしまった俺は、どうしようもない間抜けに違いない。


「無理をしなくていい。困ったことがあったら、俺に言え」


騎士団で働くことが、彼女の幸せにつながるのなら。

俺はただ、彼女を見守るだけだ。



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