第276話 土いじり子爵の穏やかな夜:表と裏
View of ヘルミナーデ=アプルソン スラージアン帝国子爵
「今日も働きましたわぁ。セイバス、明日は何か普段と違う予定はあったかしら?」
最後の書類にサインを入れたわたくしは、背筋と肩をほぐすように動かします。
「明日は週に一度の帝都への作物納品日ですが、こちらはいつも通りですね」
執務机の上を片付け始めた執事であるセイバスに予定を聞くと、そんな言葉が返ってきました。
「いつも通り……陛下やラヴェルナ様とのお茶会もですわね」
「もう慣れたものでは?」
しれっとした表情のままそんなことを言うセイバスに、力の限り首を横に振りながら答えますわ。
「い、いつまで経っても慣れませんわ……いつも内臓が口から出そうになるのをお茶で押し戻しているのですから」
田舎者の中の更に田舎者であるアプルソン子爵家……もともと男爵でしたが……そんな立場のわたくしが皇帝陛下の直臣になっただけでも驚天動地ですのに、その上週に一回私的なお茶会に誘われるなんて、天地開闢にも劣らぬ奇跡ですわ。
数年前の私が聞いたら、鍋を振り回して湯を沸かす方が現実的だとでもいうでしょうね。
「お嬢様が蚤の心臓で日々過ごされていることは、この際置いておくとして……」
「悪かったですわね……」
「いつまでも緊張しているのは、皇帝陛下たちに対し不敬ではありませんか?」
「うぐ……」
と、唐突に正論を言わないで下さいまし……。
「確かに土いじり子爵とスラージアン帝国皇帝陛下では、うっかり衣服に張り付けたまま放置してしまったカピカピのご飯粒と炊き立ての白米くらい差がございます」
「その例えはちょっとわかりにくいですわ」
「しかしながら!」
わたくしのツッコミを大声で塗りつぶそうとするセイバス……これ結構恥ずかしがっているのではなくって?
「皇帝陛下が望まれているのは気の置けない関係……お嬢様に求めているのは友人としての関係ではないでしょうか?」
「そ、それは……」
悔しいですが、それはセイバスの言う通りですわ。
陛下はことあるごとに、もっと気楽にして欲しいとわたくしにおっしゃられます。
それはわたくしへの気遣いもあるのでしょうが、そうされることが陛下の望み……それは理解しているつもりですわ。
エインヘリアという最大級の秘密……それを共有しているわたくしだからこそ、そういう関係を求めているのだと。
ですが……。
「臣下として、望まれたとしても一線を引いてしまう。そうしてしまうお嬢様のお気持ちもわからなくはありませんが、臣下としては仕える御方の想いこそ優先するべきではないでしょうか?勿論、それが間違ったことであるならば正さねばならないでしょうが、この件はそういった類のものではないでしょう?」
「そ、それはそうですが……」
いつになく熱量を込めて語るセイバス……反論の余地がありませんわ。
「常に主人のことを考え、誰よりも主人に寄り添い、主人以上に主人のことを知り、主人の願いを叶えるように動き、時に主人を諫める。これは使用人としての私の心構えではありますが、お嬢様も陛下の想いを大事にしてみてはいかがでしょうか?」
「……」
「その想いに比べれば、自身の緊張なんて如何ほどのものでしょうか?」
確かにセイバスの言う通り、自身の緊張なんて陛下のお気持ちに比べれば大した問題ではありませんわ。
寧ろ、気合で緊張を抑え込んでこそではありませんか?
「セイバスの言う通りですわね。わたくしは随分と皇帝陛下に無礼を働いていたようです」
「自らの過ちを素直に認めるのはお嬢様の美徳ですね。土いじり以外にも誇れることがあるのは喜ばしい限りです」
……これは確実に馬鹿にしていますわね。
ですが……為になる話も聞けましたし、何よりいちいち反応するから面白がっているのだと思うのです。
ここで華麗にスルーしてみせれば、セイバスも大人しくなることでしょう。
「土いじり以外にも誇れることがあるのは喜ばしい限りです」
「……」
「土いじり以外にも誇れることがあるのは喜ばしい限りです」
「……」
「土いじり……」
「しつけぇですわ!」
執務机を両手で叩きながら叫ぶと、満足そうに……勝ち誇ったように頷くセイバス。
くっ……あまりのしつこさに、つい乗ってしまいましたわ。
「それはそうと、明日はもう一つ予定がございます」
「……」
これ以上ないくらいに満足気に明日の話を続けるセイバス……。
「明日はバンガゴンガ様がこちらへ来られる予定です」
「まぁ、バンガゴンガ様が?こちらで会うのは久しぶりですわねぇ」
しかし、その内容はセイバスの態度なんてちり芥の如く気にならないものでした。
以前まではバンガゴンガ様がエインヘリア式農業指導役兼監督役として農業指導に来て下さっていたのですが、ご多忙な方ですし……指導兼監督役は他の方に引き継がれていました。
ですが、学校の帰りなどの時間を使って次に作る作物等の相談をさせて頂いたりしておりましたが……。
「何かありましたの?」
「いえ、最近こちらに来ていなかったので様子が見たいとのことでした」
「そういうことでしたか。歓迎の準備はできていますの?」
「はい。問題ありません」
バンガゴンガ様は華美な催しなんてものは喜びませんし、畑で採れた野菜を使った料理でおもてなしをするくらいですけど……。
「今回はナスを使った新作料理がありますからね。きっと喜んでいただけるかと」
「あぁ、ナス丼ですわね。アレは素晴らしい出来でしたし、楽しみですわね」
焼いたナスに甘辛な醤油系のたれを絡め、それを白いご飯の上に載せたナスのどんぶり。
エインヘリアにはない、アプルソン子爵領産のレシピですわ。
まぁ、カルビ丼のナスバージョンって感じですが、カルビ肉は帝国では入手が難しいのでナスを使ったレシピの方が民に普及しやすい筈ですわ。
味も勿論ですが、そういった点でも当領の自慢のレシピですの。
「帝都への納品および皇帝陛下のお茶会は午後からとなっておりますので、おもてなしもしっかりできるかと」
「そうですわね。こちらからバンガゴンガ様に相談するようなことはなかったと思いますが……」
「はい。アプルソン子爵領の運営は順調です。まぁ、お嬢様の婿取りが上手くいっていないことが大問題ではございますが」
「うっ……」
確かに旦那様は必要なのですが……こんな辺境の地に婿に来てくれる奇特な人物はそうそう居ません。
それにこの領の現状を考えると、適当な人物を招くわけにはいきませんし……。
「その辺りは皇帝陛下も心配されているのではないですか?」
「……陛下というよりも、ラヴェルナ様から言われていますわね」
「どこぞの畑から適当に収穫してきますか?」
「何と結婚させるつもりですの!」
それが野菜や羊でなかったとしても、畑に埋まっている様な殿方は嫌ですわ!
「ではご学友の方々はどうですか?」
留学を許される時点で将来は安泰ですし、わざわざ辺境の子爵家に婿入りする意味がありませんわ。
「うーん、皆さん立場が御有りですし、厳しいと思いますわよ?まぁ、最悪ラヴェルナ様が世話してくれるそうなので……」
「変な男に引っかかるよりは遥かに良い案ですが……辺境の子爵領への婿入りですからね。陛下の直臣とはいえ権力はないにも等しく、贅沢が出来る訳でもない。待っているのは土いじりの日々……とんだ不良債権ですな。紹介したラヴェルナ様の立場も悪くなりかねません」
「酷い言われようではありますが、一つも反論できませんわね」
全て事実ですし。
「ふむ。お一方、心当たりがないでもないのですが……」
セイバスが顎に手を当てながらそんなことを言います。
……セイバスの交友関係ってどうなっているのかしら?
「まぁ、今日はこの辺にしておきましょう。そろそろ就寝時間なので」
「あら、もうそんな時間でしたか。ではわたくしは休ませてもらいますわ」
明日も朝から収穫ですし、バンガゴンガ様もいらっしゃいますからね……早く寝て明日に備えなくてわ。
「お疲れ様です、お嬢様。良い夢を……」
何故か窓の外を見ながら挨拶をするセイバスに手を振り、わたくしは寝室へと向かいました。
View of バラル スラージアン帝国スプラモ伯爵家所属 諜報員
ド田舎というよりも辺境の地だな。
スプラモ様の命令により、皇帝直臣となったアプルソン子爵領の調査に来たのだが……峻険な山と深い森に囲まれたアプルソン子爵領は要害というか、秘境と呼ぶ方が正しいかもしれない地だった。
この地を使い皇帝が何らかの実験を行っているという情報があり、それを調査しろとの命令が俺たち諜報員に降ったのだ。
少なくともここに至るまで、道の険しさ以外に危険や苦労はなかった。
皇帝肝入りの地であるならば、何らかの警護があってしかるべきだと思うのだが、ここに至るまでそんなものは一切なかったことに逆に不安を覚える。
「隊長。どうします?このまま奥に向かいますか?それとも夜が明けてから向かいますか?」
部下の一人が問いかけてきた。
正直それでもいい気はするのだが、与えられた期限のことを考えると余裕があるとは言い難い。
「夜のうちに村を見つける。子爵領等と嘯いているが、領内には寂れた村が一つあるだけの地だ。皇帝が何をしているにせよ、まずは村の調査から始めねばならんしな」
「では夜のうちに村を見つけて、明日の日中は監視。夜に潜入って感じですか?」
「あぁ。それでいい。村を見つけてからローテーションを決める。森は深いが、大体の村の位置はわかっているから、夜の間に問題なく辿り着ける筈だ」
俺の言葉に三人の部下が頷く。
三人とも村を見つける事自体は問題ないと思っているだろう。
問題は監視や警備がどの程度いるのか、それらに見つからずに村に近づくことができるかどうかだ。
俺たちは密偵としてそれなりの実力は持っているが、だからといって皇帝が機密を守るために派遣した連中を上回る実力を持っているかと聞かれると……少々自信がない。
それになにより、ここが本当に皇帝肝入りの地であるならば、英雄……『至天』が送り込まれている可能性を否定できない。
当然だが……『至天』が居れば、その時点でこの任務は失敗……俺たちは全滅することになる。
分が悪いというよりも、絶望的ともいえる任務だ。
そして上手くいったとしても……いや、それは考えるまい。
ここにきて意味のない葛藤をしても仕方がない……俺は内心かぶりを振ってから部下たちに指示を出す。
「いくぞ」
「いえ、お待ちください」
俺の出した指示に待ったをかけたのは……いつの間にそこに居たのかわからないが、森の奥に佇む正装した若い男。
その唐突な出現に、愚かにも俺たちは動きを止めてしまった。
「御存知ないかとは思いますが、これより先はアプルソン子爵領となっております。そして現在アプルソン子爵領は、外部の方の観光を全てお断りさせて頂いております。速やかにお引き取りいただけるよう、伏してお願い申し上げます」
そういって深々と頭を下げる男……その姿を見てようやく俺は思考が動き始めた。
「やれ」
部下に男の排除を命じると、動きを止めていた部下たちが一斉に動き出し……同時に俺は後ろへと下がる。
部下の内二人は男を殺すために、そして最後の一人は俺と同じように後ろへと下がった。
これは予め決めていた動きだが、村を発見する前にやることになるとはな……。
苦々しい想いを抱きながら先程のことを考える。
潜入がバレた時点で任務はほぼ失敗……無論あの男を殺すことができれば話は別だが、果たして部下二人でどうにか出来る相手だろうか?
それに、男はアプルソン子爵領と口にしていたが……思いの外村の近くまで来ていたということか?
いや、違う。
先程の男は明かりも持たず森の中に立っていた。
明らかに防諜……我々の侵入を防ぐ為にあそこに現れたのだ。
『至天』ではない。
となると……準英雄か?
『至天』となるべき英雄を育成する機関に所属している準英雄。
『至天』予備軍と呼ばれているが、その実力は只人とは一線を画す存在と言われている彼らは英雄程でたらめな存在ではないが、只人に過ぎない我々からすれば雲の上の存在に違いはない。
せめて、あの二人が足止めをしている間に森の中に潜まなければ……。
「ですから、観光はお断りしていると言っているではありませんか」
つい先程聞いた声が再び聞こえ、戦慄を覚えると共に俺は足を止めてしまった。
「あ、申し遅れました。私、アプルソン子爵家当主、ヘルミナーデ=アプルソン子爵閣下に仕える執事、セイバスと申します」
慇懃な仕草で腰を折ながら挨拶をして来る執事を名乗る男。
その様子は堂に入ったものではあるが、今この状況に於いては違和感しか覚えない。
俺は腰に下げているナイフに手を伸ばし……いつの間にか近づいて来ていた執事に手を止められる。
「ご安心ください。観光はお断りしていますが、移住者は大歓迎でございます。まぁ、少々研修を遠方で受けてもらうことになりますが……心配はいりません。何があろうとも立派なアプルソン領民となり再びお会いできるでしょう。その日を楽しみにしております」
「な、何を……」
その言葉を最後まで言えず、俺の意識は途絶え……目を覚ました俺は、部下三人と共に地獄すら生温いと思えるような何処かにいた。




