第252話 心棒者
View of ラットオルク=セゲーラン 魔王国レシュトオルグ子爵 元使節団書記官
圧倒。
その言葉がこれほどまでに相応しい状況は無いだろう。
我が国を苦しめ続けた災厄を、全く寄せ付けないエインヘリア王とその臣下。
エインヘリアの飛行船に乗り、エインヘリア謹製の遠見筒を使い、遥か遠くの戦場を見る。
以前演習を見た時も思ったが、やはりこの遠見筒の性能は桁違いだ。
肉眼では爪の先程の大きさの物でも、これを使えばすぐ傍で見ている様な大きさで見えるのだ。
まぁ、あまり大きくし過ぎると一瞬で対象を見失ってしまうのだが……。
しかしこれのお陰で、あの凄まじい戦いから遠く離れた飛行船の上で安全に戦いの趨勢を見守ることが出来たのだから文句はない。
だが……見えた光景そのものに納得できるかと言えばそれは別問題だろう。
災厄……そう、あれは災厄の獣と呼ばれる存在だ。
只人では抗うどころか逃げることさえもほぼ不可能。
超越者でさえも相対すれば生きて帰ることが出来ず、軍が挑めばどれだけの規模の軍を編成しても全滅する。
街も人も自然も、全てを滅ぼす災厄。
そんな存在を相手にたった四人で挑み、こともなげに圧倒するエインヘリア。
途轍もない大きさの木、騎士を模した人型、宙に浮かぶ巨大な球体……次々とその姿を変えていく災厄。
そのどれもが凄まじい攻撃を繰り出し、その全てがあっさりとあしらわれる。
途轍もない破壊をまき散らす攻撃が、まるで予定調和であるかの如く防がれる。
どこまでもふざけた舞台。
化け物による蹂躙劇。
本来であれば現在蹂躙されている災厄側が敵対者を蹂躙する舞台だった。
しかし、エインヘリアという外来種の化け物によって、本来蹂躙する側だった配役が変更された……そんなできの悪い舞台。
そう。
出来の悪い舞台だ。
もしこれが王都の劇場で上演された舞台であれば、時間の無駄だとか金を返せだとか……そんな怒号に溢れることだろう。
終始一方的な戦い。
盛り上がりも、逆転も、多少のピンチすらもなく、唯々淡々と戦闘……いや、駆除が進められていくだけの光景。
物語として語られるなら、災厄の方が観客に配慮している……様々な形態へと変化し、一度は完全に倒されたと思わせておいての復活。
しかし相対する相手は、害虫駆除……もしくは草刈り程度の淡々とした作業的な感じで対応するだけ。
そこに意外性も盛り上がりも何もない。
だが、それでいいのだ。
ここは劇場ではなく、飛行船の甲板……視線の先は戦場。
誰もが速やかな災厄の排除を望んでいた筈だ。
しかし、それでも……それでも言わせて頂きたい。
これはない。
この場にあるのは歓声や興奮ではなく静寂。
いや、先程まではこの場も大層な喧騒に包まれていたのだが、今や完全に静まり返っている。
まぁ、かくいう私も……暫く言葉も思考も忘れ茫然としていたのだが。
何が起こったかはちゃんと覚えているし、走り書きのメモも残している。
エインヘリアからもらったこのバインダーというものは非常に便利だ。
机と文鎮を持ち歩いているかのような快適さでどこでもメモが取れる……さすがに長文となると厳しいが。
何にしても、このメモを見る限り……私はしっかりと仕事はしていたらしい。
書記官として記録は残さなければならない……身体は仕事をしっかりと覚えていた。
問題は……内容がとんでもなさ過ぎて、エインヘリアで見聞きした内容以上に信憑性がないというか……。
私の残す公文書は、後世で信憑性の薄い与太話とか言われないだろうかと不安になる。
そのくらい、今回の報告書も突拍子もないものというか……親エインヘリア派の筆頭と称されるかもしれないくらい、エインヘリア王やその臣下を持ち上げた文章になるだろう。
百年以上我が国を苦しめた災厄……その被害報告や討伐失敗の記録は数多く残されているが、最終的にエインヘリアの超越者が四人……いや、八人で討伐してしまった等と、礼賛にも程があると言われるな。
だが、残念ながらこれが事実なのだ。
災厄は、木の姿で現れ、人型になり、分裂して、最終的に球状になったが、そのどれもが鎧袖一触といった有様で蹴散らされた。
エインヘリア王は闇を操る魔法と剣技で災厄をバラバラに砕いた。
宮廷魔術師は雷や火、光や闇など多彩な魔法を操り……まるで災厄にはどの魔法が通じるのか実験でもしているかのように災厄を消し飛ばした。
近衛騎士長は盾で切り裂き、盾で殴り飛ばし、災厄を爆散させた。
弓聖は変幻自在の矢を放ち、災厄の体を一欠けらも残さずに撃ち抜いた。
全て現実の話だ。
私の記憶ではそうなっているし、無意識のうちにとっていたメモにもそう書かれている。
……現実かぁ。
思わずため息が出そうになったが、自分のとったメモが嘘をついていないことは、今もなお鮮明に残っている記憶が肯定している。
この地に出現した災厄は一匹と呼んでも良いものか……最終的には四体の災厄になったからな。
そんな事を考えながらメモを見ていてハタと気付く。
先程作業のようだと称したが、エインヘリアと災厄の戦闘はすさまじいものだった。
災厄出現直後は騒がしかった我が国の貴族たちが、顔を青褪めさせながら言葉を失うくらいには超常の光景であったのは間違いない。
だが……。
違う。
圧倒的に温い。
エインヘリアの……エインヘリアで見た、エインヘリアの将同士の模擬戦は、こんなものではなかった。
大地を、天を裂き、炎が、氷が、雷が、嵐が、光が、闇が……この世界に存在するありとあらゆる天災を越える何かがそこにはあった。
馬よりも早く駆ける歩兵。
手にした剣を振れば巨大な岩山を切り裂き、矢を放てば爆発を引き起こす。
魔法の一つ一つが天変地異を引き起こし、そんな中でも軍は足並みを崩さず平然と戦い続ける。
あの光景に比べこの戦いは控えめというか……凄まじいことには変わりないし、その光景の全てに理解が及ぶという訳ではないのだが、それでもあの時感じた、世界の終わりさえ引き起こせるのではないかというような圧は感じなかったように思う。
それはつまり……。
エインヘリアの将にとって、災厄との戦いよりも同僚との模擬戦の方が力を込めなければならない……本気になれるということだ。
我が国を百年以上に渡って苦しめた災厄でさえも、エインヘリアにとっては本気になるまでもなく処理できる相手ということ。
……。
後年、私がどう称されようと、この事はしっかりと記しておく必要がある。
私はそう結論付け、バインダーに挟んだメモに走り書きをして……顔を上げた時、飛行船がゆっくりと動き出したことに気付いた。
災厄の討滅を完了したエインヘリア王たちを迎えに行くのだろう。
急ぎ陛下の下へ向かった方がいいだろう。
陛下は、甲板ではなく船内のサロンにて幾人かの上位貴族の方々とこの戦いを見ている。
勿論この場にいる方々も上位貴族ではあるのだが……サロンに居るのは最上位の方々ということだ。
サロンがどんな状況になっているかわからないが、とりあえずここにいる方々を正気に戻してから陛下と合流……エインヘリア王を出迎えにいくとしよう。




