第225話 何があった……
View of モルド=コールリン 魔王国伯爵 使節団団長
つぅっと……自身の頬に水が……涙が伝ったのを感じる。
涙。
そう、涙だ。
私は今、目の前で行われるあまりにもあんまりな光景に……涙をこぼしてしまったのだ。
もう……許して欲しい。
信じられないような速度で軍が動き、突如平原に氷山が生まれ、剣や斧から斬撃が飛び、放たれた矢は爆発し、雷が降り注ぎ、凄まじい火柱が立ち昇り……演習だというのに何千、何万もの兵が命を落とした。
演習で死人が出ることは、文官である私でも聞いたことがある。
だが……さすがに数千単位、あるいは万単位で犠牲が出るとは聞いたことが無い。
しかもだ。
エインヘリアはすぐさま人員を補充して二戦目を行った。
もはや狂気の沙汰としか思えない。
その事実が気になり、二戦目の内容なんて気にならない……そう思いながら愕然としていた私の前で行われた演習は……理不尽以外の何物でもなかった。
隠れる場所の無い平原なのに突如伏兵が現れて横撃を入れたり、第一戦では普通にその上をあり得ない速度で走り回っていたのに大穴が出現したり、突如平原が泥濘と化したり……岩山が隆起したかと思えば、極光が立ち昇り岩山を消滅させる。
そして、多くの兵が自然災害もかくやといわんばかりの暴威に飲み込まれていく。
百歩譲って……超越者たちが何人も争い合う戦場であれば、天変地異としか思えないような光景も納得しよう。
しかし演習……これは演習なのだ。
自国の兵同士の演習で何故こんなことが……。
いや、実際の戦争でもここまで凄まじい被害は出ない。
それは二つの大国を相手に長年戦い続けて来た我々だから分かる。
普通、被害がここまで出る前に軍は撤退するのだ。
余程一方的な戦いであっても、全軍の半数が犠牲になる事はまずありえない。
しかしこの演習戦では……どう軽く見積もっても万に届く犠牲が……これは、本当に意味のある犠牲なのか?
いや、あるとは思えない。
超越者たちの戦いは、只人である我々にとって悪夢か天上の戦いのように見えると聞いたことがある。
しかし、目の前で起こっている光景が悪夢や天上のもの……?
違う!これはそんな生易しいものではない!
あぁ、そうだな。
間違いない。
あの忌々しい災厄……エインヘリアであればアレを滅ぼすことが出来るだろう。
寧ろ、エインヘリアが倒せなければ……とうの昔に魔王国、いや、我々の住む大陸はその影すらも残っていないに違いない。
そう断言出来る。
しかし同時に、エインヘリアが、エインヘリアの王のことがわからない。
この国を視察し、多くの物を見た。
どの街も、村も、非常に活気があり……生きることに対する不安を感じている民は見受けられず、自分達の未来が明るいものであることを疑っていない……そんな表情をしていた。
それはエインヘリアの王の統治が……エインヘリアという国の政治が、民に寄り添い、国を発展させ、将来に何の不安も感じさせないものだからに違いない。
そんな統治をしているエインヘリアの王が、我々への示威行為の為だけに兵の命を散らす……明らかな矛盾だ。
暴君といってよい行いと、仁政を行い民に慕われる名君……両立する筈がない。
他国に対しては厳しく、自国に対しては慈しみをというのであれば理解できる。
しかし目の前で繰り広げられるこれは、自国に対しても他国に対しても厳し過ぎる行いだ。
兵とは兵として突然生まれるような……武器を持って戦う為だけの存在ではないのだ。
彼らの後ろには家族が、友が、恋人がいる。
それら全てを無視するような行いを……民が許すはずがない。
学ぶ機会を与えられていない民であったとしても、けして愚かではないのだ。
それどころかこのエインヘリアでは、高度な教育を受ける機会を民は与えられている…暴君を打倒する動きを起こして当然の環境といえる。
まぁ……この天変地異に勝るとも劣らない光景を見れば、反抗する気なぞ起きないかもしれないが……いや、圧政に喘ぐ民があのように目を輝かせながら過ごす筈もないか。
私の視線の先では、隆起した岩山が斬撃によって切り裂かれ、降ってくる岩石を弓矢が打ち砕く。
泥濘と化した戦場を馬よりも早く駆けた歩兵が、突然の大火に晒され……それでもお構いなしに突撃を続ける。
「困惑していらっしゃいますね?コールリン伯爵」
不意にかけられた声に驚き、私は覗き込んでいた遠見筒を膝の上に落としてしまう。
「すみません、驚かせてしまって……大丈夫ですか?」
一切の邪気を感じさせず、にっこりと微笑むのはシャイナ殿。
昨日までであれば、その笑顔に安心を覚えていたのだが……今この状況でそんな笑みを向けられては不気味なだけだ。
「シャイナ殿……」
「我が国の演習は、お気に召しませんでしたか?」
「……」
人とは財であり、他では替えのきかない貴重な資源だ。
成長までに十数年、専門的な教育を施すにはさらに数年、その後は様々な仕事に従事し国を潤す。
一人一人の力は国に比べればちっぽけなものだが、そのちっぽけな一人一人の集合が国なのだ。
貴重な資源を損耗させる……それが必要な時は勿論ある。
我々も毎年のように戦争を起こし、多くの民を死なせている以上、偉そうなことは言えないが……しかし、今目の前で行われているこれは……。
使節団の団長として不快感を表に出すことは出来ないのだが……シャイナ殿には恐らくバレてしまっている。
失態だ。
しかし……この事は絶対に本国に知らせなければならない。
気の重い話だ。
ここにきて、エインヘリアという国の評価ががらりと変わってしまうとは……。
「……いえ、その……演習があまりにも激しいものだったので、驚いてしまったようです」
「そうでしたか。演習は久しぶりのことでしたので、随分と張り切ってしまっているのかもしれません」
「張り切る……ですか」
エインヘリアの王、ランティクス帝国の皇帝、それに我々が観覧する演習……エインヘリアの将が張り切りるのも無理はないかもしれないが……。
「えぇ。ですが、今のところ怪我人も出ていないので、そのくらいの分別は残っているようですね」
「け、怪我人が出ていない!?」
それは即死とかそういう……?
「はい。流石に演習で他国の方に血を見せる訳にはいきませんので」
「え?い、いや、それは……しかし……」
血も残さずに蒸発させているとか……そういう?
私が戦場に向けると、丁度巨大な火柱が立ち昇り多くの兵が飲みこまれたところだった。
「あぁ、確かに広範囲の魔法ですが、将には効きません。被害は全て召喚兵のみ……人的被害は皆無となっております」
「召喚……兵?」
「はい、以前ご説明させていただいた魔石により生み出された兵です。ルフェロン聖王国に視察に行った際お話しさせて頂いたのですが、実際に見るのは今日が初めてでしたね」
「ルフェロン……聖王国」
確か……エインヘリアの属国の一つだった筈。
視察……そ、そうだ。
確かに私たちは、エインヘリアの属国支配を確認するためにルフェロン聖王国に向かった。
その折、ルフェロン聖王国の街道警備の任を、エインヘリアから派遣された召喚兵が担っていると話を……聞いた気がする。
そうだ……間違いない。
その時にエインヘリアの兵は、召喚兵という魔石を使い生み出すことが可能な、人の姿をした魔法のようなものと説明をされた!
な、何故そのような重要なことを、私は今の今まで忘れていたのだ!?
このような失態あり得ない!
私が口元に手を当てながらちらりと視線を横に向けると、顔を青褪めさせたベルルト卿や使節団の面々が視界に入った。
誰も覚えていない……?
一体どういうことだ!?
ルフェロン聖王国に視察に行ったのは……確か視察の三日目。
そうだ、確かにルフェロン聖王国に行った……行ったはずだ!
そこで……ダメだ、何故思い出せない?
いや、断片的には覚えている……だが、前後の記憶が非常にあやふやだ。
何かされた……?
いや、今更エインヘリアがそんなことをする筈が……そうだ、書記官であるラットオルク男爵であれば、何か知っているのでは……。
そう思ってラットオルク男爵の方に視線を向けたが……周囲の者達と同様に顔を青褪めさせている。
……まぁ、どちらにせよ話を聞きだす暇はないか。
「……申し訳ありません、シャイナ殿。あまりにも凄まじい演習だったせいか、すっかり失念していたようです」
「然様でしたか。しかし……もしそのことが気になり演習をよく見ていなかったのであれば……予定では二戦でしたが、三戦目を行いましょう」
「あ、いえ!そこまでしていただくわけには……」
そもそも演習には入念な準備、物資や金銭の用意が必要で……予定をおいそれと変えられるようなものでは……。
「大丈夫ですよ。観覧の為の演習とはいえ、将たちは楽しんでおります。それに……まだ不完全燃焼でしょうしね」
ふ、不完全燃焼……?
にっこりと微笑むシャイナ殿から戦場へと視線を戻し……遠見筒を使わずともはっきりと見える天を焦がさんばかりの火柱と、それを飲みこむ巨大な闇。
……一戦目に比べて、二戦目は長いな……。
そんなどうでもいいことを考えながら、私はシャイナ殿の提案に頷いた。




