第202話 空の上の使節団
View of モルド=コールリン 魔王国伯爵 使節団団長
「空を飛ぶ船……子供の読む絵物語に出てくるような代物が、現実にあろうとは……」
「国に戻ったら妻や子供に自慢できますね」
宛がわれた船室の窓の外を見ながら呟くと、ベルルト卿がそんなことをいう。
空を飛ぶというあり得ない経験をしている最中だというのに、ベルルト卿はいつも通りだな。
「家族に限らず自慢できると思うが……」
「それはそうですね。しかし、最初に帝国からエインヘリアの話を聞いた時は何の冗談かと思いましたが、アレが全てが真実だとすれば……」
空を飛ぶ船。
超越者複数人を同時に蹴散らせる王。
強大なムカデの魔物。
両手では足りない……次から次へと現れる超越者。
別の大陸からの来訪者……それがエインヘリア。
「恐らく我が国以上に戦力と技術力を持っている。いや、少なくともこの空を飛ぶ船だけで技術力で負けていることは確実か」
「諜報力でも負けていますね。未だに南側に潜入で来たという報告はありません」
頭の痛い情報ばかりだな。
しかし、だからこそ……あの災厄に対抗する手段があるのはエインヘリアだと確信できる。
「正直信じられないな。どこまでも根を伸ばし、水を吸い上げるように情報を吸い取る『根の者』が一握の情報すら得られないとは」
「結局、帝都にいたエインヘリアの外交官にも一切近づけなかったですしね……帝都という他国の領域でそれです」
他所の家にいるのに完璧な防諜体制を敷く……恐らく、帝国の諜報関係はエインヘリアに制圧されているのだろう。
「今更後戻りはできないが、帝国に入る時よりも不安が大きいな」
「確かにエインヘリアは得体が知れませんが、帝国よりもやりやすい部分もあります」
にっこりとベルルト卿が微笑みながら言う。
凄まじく裏を感じさせる笑みだな。
「……我が国とエインヘリアは戦った訳ではない。それどころか、接点は全く無い。ゼロからのスタート……これから関係を築かなければならない相手だが、マイナスから話を始めなければならない帝国に比べれば確かにやりやすい……」
私の言葉に頷くベルルト子爵だが……嫌な笑みは消えない。
「……とはならんだろうな」
「……」
「帝国の情報は『根の者』から多く齎されていた。相手の内情、強み、弱点、交渉における勘所は交渉が始まる前から私の手の内に合った。それに比べエインヘリアは……その国名すらここ数日でやっと手に入れたのだぞ?マイナスにしろプラスにしろ、交渉材料があるからこそ話ができるのであって、真にゼロからのスタートがやりやすい訳が無い」
ベルルト子爵は微笑んだまま頷くが……先程までと違いその笑みは満足気なものに感じられる。
「そうですね。使節団として潜り込んだとしても、情報を集める時間が……」
そこまで口にしたベルルト卿が凍り付いたように動きを止める。
それと同時に船室の扉がノックされた。
「コールリン伯爵。エインヘリアの外交官、シャイナ殿が挨拶をしたいと来られています」
「お通ししてくれ」
扉の前に居た護衛が少し扉を開けてエインヘリアの外交官の来訪を告げて来た。
当然、会わないという選択肢はない。
私は軽く身だしなみを整え椅子から立ち上がり、少し扉へと近づく。
船室故あまり広い部屋ではないが、出迎えようとする姿勢だけは見せられる。
私が扉の前に着くとほぼ同じタイミングで、ゆっくりと扉が開き……少女?
扉の向こうでは緑の鮮やかな髪色をした少女が、晴れやかな笑みを浮かべながらこちらを見上げていた。
「挨拶が遅くなり申し訳ありません、コールリン伯爵。私はエインヘリア外交官のシャイナと申します。遠き山の向こうの大国、魔王国レシュトオルグより我が国に使節団の皆様を迎えることが出来ること光栄に思っております」
「これはご丁寧に。魔王国レシュトオルグにて伯爵位を賜っております、モルド=コールリンです。此度急な訪問要請にお応えいただき感謝しております」
「いえ、同盟国であるランティクス帝国の皇帝陛下たっての要請でしたし、何より我々エインヘリアにとって貴国と国交を開くというのは重要なことですので」
そういって邪気の無い笑みを向けてくるシャイナ殿。
国交を結ぶのが重要……どういうことだろうか?
「レグリア地方まではもう少しかかりますし、その間にご挨拶と、できましたら、少々お話をと思ったのですが……ご来客中だったのですね。申し訳ありません」
ちらりと部屋の中に視線を向けたシャイナ殿が残念そうな表情を見せる。
来客……?
疑問を覚えた私が振り返り部屋の中を見て……先程話していた時と同じ位置で、こちらに背を向けたまま座っているベルルト卿に気付く。
「べ、ベルルト子爵!」
「は……はっ!し、失礼しました!」
ベルルト卿は何故か放心していたようで、私が名を呼ぶと弾かれた様に立ち上がり頭を下げる。
「失礼いたしました、シャイナ殿。彼はベルルト子爵。私と同じく魔王国の貴族です」
エインヘリアとは気の抜けない交渉になると話していたところだというのに、一体何をしている?
ベルルト子爵はいついかなる時でも飄々としているが、その実、この局面で気を抜く様なタイプではない。
先程までは真剣にエインヘリアへの対応を話し合っていた。
だというのに、一番大事なこのタイミングで何を呆けている!?
「初めまして、ベルルト子爵。お会いできて光栄です」
「失礼いたしました……シャイナ殿。使節団の副団長としてコールリン伯爵の補佐をしております、ディアロ=ベルルトと申します。貴国この目で見る機会を頂けたこと心より御礼申し上げます」
「ふふ、楽しんでいただければ幸いです。立ち話もなんですので、宜しければサロンでお話をしませんか?此度は急なお話でしたし、我が国のことをお伝えしておいた方が良いかと思いまして」
「それはとてもありがたい。ありがとうございます、シャイナ殿」
私がそう応えると、にっこりと頷くシャイナ殿。
ベルルト卿のことは気にしていないように見えるが、外交を担当する方であれば感情や考えを隠すくらい朝飯前だろう。
気を悪くするどころか、明らかな失点を見つけて喜んでいる可能性の方が高いかもしれないが……。
「では、サロンまでご案内いたします。こちらへ」
しかし、ベルルト卿のあの様子は気になる。
どうしたのか聞きたいところだが……今は無理だな。
既にベルルト卿の様子におかしなところはない。
恐らくもう大丈夫なのだろうが……問題は何故そうなったかだ。
大きな問題でなければ良いのだが……。
サロンへと案内してくれる小さな背中を見ながら、私は小さな不安が胸中をぐるぐる回っているのを感じた。
「もう一つのサロンはランティクス帝国の方々が使われているので、こちらにご案内させて頂きました。もし使節団の方々でお話がある際はこちらをお使いください」
「お気遣いありがとうございます」
サロンの奥にある席を勧められ、そこに座った私たちにシャイナ殿が穏やかな口調で言う。
「いえいえ。今回ランティクス皇帝陛下の御厚意とはいえ、貴国にとっても準備をする時間も十分に取ることが出来ず混乱したでしょう。短い時間ではありますがご自由にお使いください」
確かに突然の話だったが……それはお互い様だろう。
特に、その突然の要請を受け入れたエインヘリア側の混乱は相当なものだった筈だ。
勿論、シャイナ殿の姿からは一切その混乱は伺えない。
というか……どう見ても少女といった姿に似合わない、落ちついた余裕を感じられる。
いや、帝国の話を聞く限り、エインヘリアは相当な大国。
そこから派遣された正式な使者なのだ。
その姿で侮るのは危険すぎるだろう。
「重ね重ねありがとうございます。後で皆と打ち合わせをさせていただきます」
「はい。では、その時の為にも我が国についてお話しさせて頂きます。ランティクス帝国の皆様からお聞きしている部分もあるかと思いますが、ご清聴頂ければ幸いです」
そう前置きしたシャイナ殿が、エインヘリアという国について語り始める。
「我がエインヘリアは、魔王国レシュトオルグやランティクス帝国のあるこの大陸からは遠く離れた地……海の遥か向こうにある大陸に存在する国です」
「……」
召喚か……その技術も危険だが、どこに消えたとも分らぬ王を数か月で見つけてしまう事の方が恐ろしいな。
……いや、普通に考えれば不可能だ。
何処に消えたかわからない一人の人物をどうやって見つける?
普通に誘拐されたのであれば、痕跡から犯人の足取りを追うこともできるだろうが……いや、召喚の痕跡から追うことが出来たのか?
何らかの方法でエインヘリアの王の所在が分かったのは間違いない。
そうでなければ、海を越えた別の大陸にいるエインヘリアの王を迎えに来られるはずがないか。
「我等が王、フェルズ様はこちらの大陸に召喚されて……無手でこちらの大陸にやって来て、瞬く間に召喚を行った国を制し、その後ろで糸を引いていた者たち……オロ神聖国の上層部を潰し、自らの手でその罪を裁きました」
「……」
それは実在の人物の話なのか?
エインヘリアの王が超越者であることは帝国から聞いていたが……聞けば聞く程あり得ない。
いや、この話をエインヘリアの外交官であるシャイナ殿から聞いただけであれば、誇張しているだけだと思っただろうが……帝国からも同じ話を聞いている。
そして帝国がエインヘリアの王の功績を誇張する必要性は全く無い。
それに、現にオロ神聖国がエインヘリアに負けたのは確かだ。
何をどうやれば、言葉すら違う大陸に突如として連れてこられた個人が、一年に満たない時間で大国を潰せるというのか……。
「それと、一つ留意して頂きたいお話があります。フェルズ様は魔王国の方と既に遭遇しております」
「っ!?」
き、聞いてないぞ!?




