第147話 そん時の聖地さん
View of ドルトロス オロ神教 大司教
「爆発系は~止めてって言ったでしょ~?」
「仕方ないでしょぉ。アレが一番手加減しやすいんだものぉ」
エインヘリアの重鎮である、内務大臣イルミット殿と宮廷魔導士カミラ殿が何やら言い合いをしている。
「ところでぇ、フェルズ様がエルディオンの城を消し飛ばしたのってぇ、闇属性だったわよねぇ?」
「そうですが~それがどうかしましたか~?」
「私も同じにするべきよねぇ?」
「ダメですよ~今回は光でいってください~」
「なんでよぉ。フェルズ様と一緒でいいじゃなぃ」
「あの時は~恐怖が必要でしたから~。でも今回は~畏怖も必要ですが~同時に荘厳さがいるんですよ~」
お二人とも翻訳の指輪を外している為、その内容は分からないが……あまり剣呑な雰囲気ではなく、じゃれ合っているだけにも見える。
しかし、この場を囲んでいる空気はそんな暢気なものではない。
大聖堂を見上げるような場所に位置する中央広場……その中央に置かれた舞台の上には、後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされている教皇たちが跪いている。
私達は壇上には登っていないが、既に周囲の全てを怒れる信徒たちに囲まれてしまっており、逃げ場はない。
いや、エインヘリアの英雄達であれば、怒れる民衆の百や二百なぞ物の数ではないのだろうが……私としてはいつ暴動が起きて信徒たちに踏みつぶされるか気が気ではない。
恐らくそうなった時、私はあっさりと見捨てられるに違いないからだ。
勿論、舞台と信徒たちを遮るように完全武装したエインヘリアの兵士たちが立っているが……一度彼らに火がついてしまえば、十人程度の兵達ではその暴威を止める事は不可能だろう。
その後に起こる惨事は……目をそむけたくなるようなものになるであろうことは想像に難くない。
今信徒たちの目には、自らが敬愛する教皇たちの悲惨な姿しか見えていない。
だから、いま舞台に上がった桃色の髪をした少女のことなぞ、一切気にしてはいないのだろう。
だが……見た目こそ、ただの少女に過ぎないが……その身に纏う空気は、常人のそれとは一線を画している。
早くその事に気付いて貰いたいものだが……私がそう祈るとほぼ同じタイミングで少女……大司教エイシャ殿が口を開く。
「オロ神聖国、オロ神教の民よ、聞きなさい」
レグリアの地で借りた翻訳の指輪を身に付けている為、エイシャ殿の言葉はしっかりと理解出来る。
驚くべきことはそこでは無く……普通にしゃべっただけだというのに、騒ぎ立てていた信徒たちの声にかき消されず、普通に聞こえてきたことだろう。
しかもそれは舞台の傍にいる私だからというわけではないのだろう。
潮が引くように……過熱していた信徒たちが静まり返っていったのがその証拠だ。
そんな……目の前で起こった現実が恐ろしい。
興奮した信徒たちをただの一言で静まり返らせる……そんなことが本当に可能なのだろうか?
何かの魔法を使っているのではないだろうか?
寧ろ、何かの魔法を使っていて欲しい……只の一言でこの光景を作り出したという現実よりもよっぽど安心出来るというものだ。
そんな私の心境を他所に、エイシャ殿の澄んだ声が静まり返った広場に響く。
自分達の事、エインヘリアという国の事、教皇たちの犯した罪。
一つ一つを丁寧に、感情を見せずに語るその姿は……情に訴える様な熱こそ無かったが、確実に心に潜り込んで来る何かを持っていた。
しかし、信徒たちもそれだけで納得するはずもなく……次第に反論するような声が方々で上がり始めた。
このままでは、すぐに先程のように暴動寸前といった状態になるはず……そう私が考えた瞬間だった。
壇上のエイシャ殿が手のひらを天へと向け……ただそれだけの動きで信徒たちは静まり返る。
信徒たちも怒りで完全に目が曇っているという訳では無いようだな。
「問いましょう、罪の在りかを。問いましょう、正しきがどちらにあるのかを」
そう言ったエイシャ殿が上げていた手を下ろし、左手で右の拳を包み込むように持つと僅かに頭を下げる。
我々の物とは違うが……祈りを捧げているのだろう。
私がそう思った次の瞬間、壇上を見ている信徒たちが俄かに騒ぎ始める。
いや、違う……信徒たちが見ているのは壇上のエイシャ殿や教皇たちではなくその背後……大聖堂か?
その事に気付いた私が振り返り聖堂を視界に納めるとほぼ同時に、聖堂が激しい光に包まれる。
「なっ!?」
それが私の出した声だったのか、それとも他の誰かが出した声だったのか……それが分からない程、この場が一気に騒がしくなった。
神々しささえ感じられる純白の光が大聖堂を包み込み、信徒たちは祈りを唱えながら跪きその光景を見ている。
アレが個人の魔法によるものなのか……。
事前に軽く話は聞いていた……聞いてはいたのだが……現実にそれを見せつけられると、いや、これは現実なのか?
大聖堂を包み込んだ光はその輝きを次第に消失させ……同時に大聖堂もこの世界から姿を消した。
信徒たちの祈りの言葉が数を増し、広場を包み込むように広がっていく。
「これが神の御意志です。偽神を生み出し、私利私欲に塗れ、善良なる子らを騙し、私腹を肥やした大罪人。それがここに並べられている者達の正体です。貴方がた敬虔な信徒を餌として、自らはより強い権威を求め権力闘争に明け暮れる……それが聖地、大聖堂と呼ばれる地で行われていた蛮行。搾取の見返りとしてほんの僅かな施しを、苦境に喘ぐ民に与える……それが貴方達が救いだと信じた、この者達の下卑たやり口なのです」
祈りの言葉を止め、ざわざわとどよめく信徒たち。
エイシャ殿の言葉はほぼ真実ではあるが……そのような言葉で信徒たちを翻意させるのは無理だろう。
……エイシャ殿がただの少女であるならば。
「ですが、確かに現世救済という考え方は尊いものです。苦難に満ちる生に差し伸べられた僅かな助けがどれほどありがたいものか、それはよく理解出来ているつもりです」
大聖堂を包み込んだ純白の極光。
あの神聖な輝きは、信徒たちの心を揺らすのに十分過ぎる程の威力があった。
「しかし、だからこそ私は悲しく思います、貴方達の苦しみを。私は怒りを覚えずにはいられません、貴方達の苦難をほんの少し、ほんのひと時手助けしただけで、大仰にこれが救いだと吹聴するこの者達を。そして……貴方達は知らなければなりません。真の恩寵が、神の愛がどれほど大きなものなのかを……」
そう言ってエイシャ殿が、今度は手にしていた華美な装飾の施された杖を天に掲げる。
その瞬間、広場を包み込むように光が広がり、信徒たちが恐慌状態に陥った。
誰しもが、先程地上から姿を消した大聖堂の事を思い描いたのだろう。
冷静になれば、あの時の見た神聖ながらも激しい光と、今広場を包み込んでいる柔らかな光が別物であることに気付くはずだ。
しかし、恐怖は伝播する。
一瞬にして恐慌状態に陥った信者たちは、我先に逃げ出そうとして……押し合い、転び、蹴られ、踏まれ、下手をすれば死者さえも……それほどの惨事が起こりそうだったのだが……方々から困惑するような声があがり、次第に騒ぎが別の色に塗り替えられていくのを感じた。
「落ち着きなさい。大丈夫ですよ……これは神の愛。善良なる貴方達を害するものではありません」
涼やかな、そして慈愛に満ちた声が……相変わらず普通に話しているだけのように見えるのに、騒いでいる信者たちの耳にもしっかりと届いたようで……広場は再び静寂に包まれた。
「我が神の前に、怪我や病気などというものは存在さえ許されません。見守り、癒し、育む。貴方達は強欲ではない……多くを望んでいない事は承知しています。ですが、我々の元であれば、誰もが笑顔でいられる普通……健全な生活が送れると確約いたしましょう」
慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、とんでもない事を口にするエイシャ殿。
しかし、その笑みには狂信的なものは見えず……ただただ清浄で清廉なものだけがあるように見えた。
「ここにいる罪人たちはこの地の収容施設に拘束し、後に正当な裁きの場に出します。恐らくその時は、我が国だけでなく、この大陸に存在するいくつかの国からも傍聴にこられることでしょう。嘘偽りのない正当な裁きが下されることを約束いたします」
エイシャ殿……エイシャ様の言葉に反論するような信徒は……もはや一人もいなかった。