第145話 そん時の聖地:壱
View of コルネイ オロ神教 教皇
聖地と呼ばれるこの地の建てられた大聖堂。
荘厳で静謐……聖地の厳しい入国審査を越えることの出来た信徒は、大聖堂をそのように称してありがたがっている。
私にはよく分からない感覚だが、彼らにはこの地が神聖なものに見えているらしい。
実にお手軽な神聖さだろう。
内側がどうであろうと、金をかけ、外側を白く塗りたくれば神々しく見える……法衣が白ベースなのも当然だな。
個人的には汚ればかり目立つので、普段から気が休まらないが。
とはいえ、この教皇にのみ許された法衣を長年に渡り着てきたこともあり慣れはしたが。
最初にこの法衣を纏ってから数十年は経っているが……教皇になるまでの下積みの時代の方が遥かに長かったように感じる。
実際そんなことはないのだが……当時は力も手駒も少なく、一つ一つの細工に心血を注ぎ私自身が慎重に動く必要があった。
『スルラの影』を手に入れてからは戦力も人手も十分なものが手に入ったが、それでも先代の教皇や当時の枢機卿たちは手ごわい相手だったと言える。
少なくとも私が教皇になって以降、彼らほど厄介な相手はいなかった。
まぁ、私が教皇となったことで『スルラの影』が聖地の中で動きやすくなったというのもあるのだろうが。
教皇となって以降は国外の連中も相手にすることになったが、謀略という点で私に脅威を感じさせるものはランティクス帝国にもいなかった。
このまま何事もなく天寿を全うする……流石にそれほど都合の良い未来を夢想することはできなかったが、教皇になるまでの波乱に満ちた日々に勝る事は無いだろう
そんな風に淡々と日々を過ごしていたのだが、レグリア王国を使った策略……それによって召喚された英雄の手で情勢が一気に変わった。
『スルラの影』は封殺され、耳目を失った状態ではまともな策を立てられず。
辛うじて送り出した捨て駒もあっさりと躱され、逆に宣戦布告を受けてしまう。
しかし、怪我の功名と言えば良いのか、使節団に紛れ込ませてなんとか『スルラの影』……その頭領をエインヘリアに送り込むことができた。
頭領の力をもってしても得られた情報は決して多くは無かったが、それでも最低限エインヘリアに対抗できるだけの情報は得られたと言える。
すぐに軍を編成して国境付近の平原に防衛陣を敷かせ、攻めには二つ目の切り札である聖騎士ガルロンドを出した。
考え得る限り、我々の最高戦力を揃えた……それは間違いない。
後は戦場から届く報告を待つだけだ。
策が上手く成れば、開戦からそう時間を置かずにエインヘリア軍は動きを止めるだろう。
北部で暴れるガルロンドへの対処はエインヘリア王でなければ不可能だ。
しかし、南部で神聖国軍を放置することも出来ない……しかも南部には四人の聖騎士だ。
ガルロンドの侵攻速度は、北部を見捨てればどうにかなるなどという楽観を許さないものになる……エインヘリア王は北と南で板挟みになる。
苦肉の策として単独、ないし少数で北部に向かい、南部には軍を残す。
無論自分の不在はこちらに悟られないように動くだろうが……。
しかし当然、『スルラの影』はその動きを監視している……ある程度エインヘリア王が離れた時点で戦場に残されたエインヘリア軍一万を刈り取り、南から侵攻を開始。
この時点で向こうから和睦の申し出があるだろう。
多少、ヒヤリとさせられた部分もあるが、これで今回の騒動も決着となる。
後は海の向こうにあるというエインヘリアの力が気になる所だが、海の向こうから我々と戦えるだけの戦力を派遣するのは容易ではない筈だ。
もしそんなことが可能であれば、とうの昔に海の向こうにある国の存在を我々は知っていただろう。
そんな事を考えながら、私はペンを置く。
エインヘリアとの和睦、そしてその後に結ぶ条約に関する草案を作っていたのだが、やはり海の向こうにあるという本国が問題だな。
どの程度の力を有しているのか。
それが把握できない事には、結ぶ条約の内容も決められない。
『スルラの影』からはその辺りの情報が一切上がってこない……いや、恐らくエインヘリア内でもそれを知っているものが殆どいないのだろう。
かといって、エインヘリア王の周りを嗅ぎ回るのは如何に『スルラの影』といえど危険が多い。
その存在が僅かばかりでも漏れてしまえば、絶対的に有利な立場を失いかねないのだ。
危険を冒す必要はない。
此度の戦争が終われば、その辺りの情報も収集しやすくなるのだから。
書いていた草案から顔を上げ、傍に置いていた鈴を鳴らす。
長時間集中していたようで、喉の渇きを覚えたのだ。
涼やかな鈴の音が響き渡り、すぐに助司祭がやってきた。
「お茶を貰えますか?」
やってきた助司祭に柔らかく告げると、緊張した面持ちながらすぐに動き出す助司祭……その姿に違和感を覚える。
今の助司祭は……『スルラの影』の者ではない?
あの者達であれば私の前で緊張を見せる等という事はしない……子供であっても徹底的に訓練された人材を寄越す。
私の信頼を損なう様な真似は絶対にしないだろう……だが、今の助司祭は……どういうことだ?
この部屋は、私にすら分からぬように『スルラの影』の者達が警備についている。
私が呼び掛けても、けして姿を見せないが……ふと疑念を覚える。
私付きの助司祭は全員が『スルラの影』だ。
だというのに先程の者はただの助司祭にしか見えなかった……その事に気付いた瞬間、背筋に氷を当てられたかのような感覚を覚える。
私にとって『スルラの影』は切り札であり急所だ。
連中とは互いに利益があるというだけの関係で、弱みを握るといったやり方はしていない。
それは勿論信頼という意味では無く、諜報の全てを担っている連中相手に弱みを握ったとしても余程致命的な……それこそ一撃で『スルラの影』を全滅させるようなものでない限り、意味がないからだ。
中途半端に……いや、無駄に相手の敵愾心を高めるだけの弱みなぞ、百害あって一利なし……そんなものを得るくらいならば、信頼しているというポーズを見せる方が利になるだろう。
だが……その分、束縛は薄くなる。
利益だけの間柄であれば、それ以上の利益を提示された場合……確実に寝返る。
だからこそ、私は連中にオロ神教の教皇という立場だからこそ与えられる利益を彼らに与え続けた。
この大陸に於いて、私以上に彼らに利益を供給することができる存在はいない……ランティクス帝国の力があれば可能かもしれないが、あそこは私のように独裁で色々と動かすことができないからな。
だが……エインヘリア。
海の向こうに本国を持つエインヘリアの王であれば、私以上の提案を出来てもおかしくは……。
慢心していた。
こんな簡単な話になぜ今まで気付かなかった!
久しく覚える事の無かった怒りと焦りに、椅子を蹴り飛ばす様に私は立ち上がり……。
「教皇猊下!」
血相を変えた助司祭が私の部屋に飛び込んでくる。
『スルラの影』ではありえないその姿に怒りが増すも、私は教皇の仮面を崩さずに尋ねる。
「どうしましたか?随分慌てているようですが……」
「も、申し訳ありません!ですが……その……そ、空に!」
「空?空がどうしました?いえ、まずは落ち着いて下さい。ゆっくりで構いません。落ち着いて、何が起こったか教えてください」
「は、はい!……そ、空に船が……こちらに向かって来ています!」
「……空に、船?」
どうも要領を得ないが……何かが起きているのは間違いないようだ。
ジワリと広がる胸の内の黒いものを握りつぶし、私は自らの目で確認するために部屋の外へと向かった。




