第135話 開戦を待たずに終戦
View of ソルトン=リーフ=ハイゼル オロ神聖国 第一位階ハイゼル家当主
最悪の空気。
エインヘリア方面から飛来した魔物を発見して以降、こちらの本陣の空気は重苦しさを増す一方だった。
ギラン殿を先頭に聖騎士四人が魔物の迎撃に出たが、空を飛ぶムカデの魔物はこちらからかなり距離を空けた地面に降り立った。
無論、距離があるからといって安心出来た者はいないだろうが……それでも聖騎士という圧倒的な存在が魔物に向かっていく姿は、多くの者に安心感を与えただろう。
しかしそれもそこまで……以降の出来事は悪夢という他なかった。
地上に降りた巨大な魔物の背からエインヘリア王が現れ、聖騎士達と対峙した……それ自体は元々予定していた事だったので問題はないといえる。
しかし、エインヘリアの軍一万は一体何処に消えた?
そもそも何故王が一人で……魔物一匹だけを連れて戦場にやってきたのだ?
確かに英雄が居れば一つの戦場を制することは可能だが……それでも兵が全く要らないという話にはならない。
ただ敵を倒すだけが戦争ではないのだ。
色々と疑問はあったが、エインヘリア王と会話をしているのは聖騎士達で、その情報が後方にいる我々の元に届くことはない。
というか……会話の途中でギラン殿がエインヘリア王に突如斬りかかったことで、我々が情報を得る事はほぼ不可能となった。
ギラン殿の様子から、エインヘリア王がタブーであるオロ神教に関する何かを口にしたとは分かったのだが……それは我々にとって最悪の事態とも言えた。
下手をすればエインヘリアとの関係はこれ以上ないくらい拗れるだろう。
教皇猊下はそれを望んではいない……。
エインヘリアの攻めをここで完全に受け止め、そして別行動中のガルロンド殿によって個の強さを見せる……そうやってこちらに有利な条件で講和をする予定だった。
極力リスクを減らし、その上で西側の守りの一つとしてエインヘリアを利用する……教皇猊下の狙いはそれだ。
しかし、ギラン殿が暴走してしまった場合……どうなってしまうかが分からない。
教皇猊下が懸念されていたとおり……エインヘリア王が聖騎士四人がかりで抑えなければならない程の実力者だった場合、冷静さを欠いた状態のギラン殿は……非常にマズい相手だ。
ギラン殿の狂信っぷりやその危険度は周辺諸国でも周知の事実だっただけに、エインヘリア王がそういったタブーを行うとは……いや、それだけ自信があったということだろう。
実際……聖騎士とエインヘリア王の戦いが始まった瞬間、我々が感じたのは困惑だった。
聖騎士とは……英雄とは只人である我々からすれば、雲よりも高き存在。
勝ち負けとは程遠い……同じ勝負の場にすら立てない相手だ。
水の上に立てない事を、素手で城壁を貫けない事を、空を飛ぶことができない事を……一体誰が嘆くだろうか?
それは人として当たり前のことであり、もしそれを成そうとすれば人は道具を、知恵を使って成すのだ。
けして己が身一つで成そうとする者はいない。
そんな、極々自然と受け入れてしまう「当たり前」と同等の存在……生物として全くの別物と言える存在が聖騎士だ。
無論、英雄にも強弱があり、弱い英雄が強い英雄に敗れる事は当然ある。
だが、それにしてもアレはない。
聖騎士達の戦場から、私のいる本陣は相当距離が離れている。
だからこそ物見台の上に立ち、遠見筒の魔道具を使って彼等の戦いを見ていたのだが……その戦いは私の理解の範疇になかった。
ただ一つ言えるとすれば……エインヘリア王を抑えるのに聖騎士四人では全く足りていないという事だ。
ありえない……。
只人と英雄の戦いでも見ているのではないかと錯覚させられるほど、聖騎士達とエインヘリア王の間には隔絶した実力差があった。
遠見筒を持っていない者達には何が起こっているのか分からないだろうが……見えていなくて本当に良かったと言える。
もしこんな光景を兵達が認識してしまえば……絶望したかもしれない。
……この時はまだ、そのくらいの感想でいられたのだ。
いや……空を飛ぶ船が現れなければ、私もそこが最大級の絶望だったと認識していただろう。
しかし、空を飛ぶ船が現れ……そこから人が飛び降りて来て……聖騎士達が一瞬で地面に埋められる姿を見せつけられ……絶望というものに限界はないのだと知った。
何より、空飛ぶ船の出現は……遠目に見る聖騎士達の戦いよりもはっきりとした脅威を……そして絶望を兵達に叩きつけたと言える。
それは、悠々とした足取りで我等の陣に……たった五人でやってきた敵国の王を、あっさりと我々のいる本陣に通してしまった事からも分かるだろう。
エインヘリア王に付き従う騎士が我が国の武の象徴とも言える存在……筆頭聖騎士であるギラン殿を引きずっているにも拘らず、兵達は一切動こうともしなかった。
既に、この地にいる神聖国軍は心を折られている。
義憤にかられた義勇兵達も、もはや何の役にも立つまい。
もしこの場にいる兵達が、ギラン殿のような狂信者であれば己が命を顧みずエインヘリア王に襲い掛かっただろう。
しかし、彼らは理性に従った。
あるいは本能か……。
何にしても、エインヘリア王が植え付けた恐怖は、彼らの信仰心を凌駕し……下手をすれば信仰心そのものを折ったという訳だ。
たった一度。
エインヘリアはたった一度の行動で、オロ神聖国の最大の武器を二つも打ち砕いてしまった。
聖騎士と信徒の信仰心。
この二つを有していたからこそ、オロ神聖国は大国であり……大陸に存在する全ての国に対して影響力を持つことができていた。
しかし……。
「くくっ……ようやく会えたな?ハイゼル家当主、ソルトン=リーフ=ハイゼル」
「戦場で、このような形で会う事になるとは思ってもみませんでしたが……お会いできて光栄です、エインヘリア王陛下」
……冷や汗が止まらない。
我々の本陣まで、散歩でもするかのような足取りでやってきたエインヘリア王の姿を見た瞬間……私は教皇猊下が全てにおいて失敗している事を悟った。
教皇猊下の話ではエインヘリア王は相当強力な英雄で、聖騎士二人で抑えるのは厳しく三人なら問題なく……四人であれば盤石、そういった感じであった筈。
しかし……只人である私の目から見てもエインヘリア王は尋常ではない。
英雄何人なら対応出来そうだ……などと言う事は分からないが、少なくとも聖騎士達よりも遥かに上位の存在の様に見える。
しかも、エインヘリア王が引き連れてきた四人。
いずれも女性だが、こちらに対する敵意も、その身から溢れ出る威圧感も尋常ではない。
原因は考えるまでもなく分かっているが……正直生きた心地がしないな。
「随分と顔色が悪いようだが、風邪でもひいたか?」
「……いえ」
皮肉気な笑みを見せながらそう口にするエインヘリア王に寒気を覚える。
本当に風邪をひいて今すぐ寝込みたくなるな……。
そんな胡乱な事を考えてしまうくらい、私は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
「ふむ、あまり体調が良さそうには見えぬし、手早く話を済ませてしまうとするか。この戦争は、言うまでもなく我々の勝ちだ。お前達は全員捕虜とする。異論はあるか?」
余りにも端的な言葉に一瞬私は言葉が詰まってしまうが、エインヘリアの騎士が引きずってきたギラン殿が目に入り否が応にもなかった。
だが……。
「我々が降伏することに異論はありませんが、全員を捕虜とするのは……些か難しくありませんか?貴方がたであれば、我々を殲滅することは容易いでしょうが……」
上層部はともかく、末端の兵や義勇兵たちは捕虜になると聞かされれば一斉に逃げ出すはず。
なにせ、聖騎士が倒されはしたが彼ら自身は怪我の一つもしていない。
体が無事なうちに逃げ出そうとするのは当然だろう。
そしていざ逃げ出す者が現れた場合……エインヘリアがそれを許すとは思えない。
その結果……逃散する兵をここに居るエインヘリアの者達が虐殺するという流れとなるのは、必然と言える。
「くくっ……問題ない。オトノハ、壁を」
「あいよ」
エインヘリア王がそばに控える女性に声をかけた直後、地響きと共に我々の後方に岩の壁が隆起する。
更に続けて北側と南側にも壁が出来、我々は三方を岩の壁に囲まれてしまった。
「収容施設がないからな。お前達はここに捕えておく。暫くは自分達の持ってきた兵糧で過ごせ。十日程度で食料等は運び込んでやるが、それまでは自分達でどうにかしろ」
「……畏まりました」
「聖騎士はこちらで預かっておこう。それと、見張りは置いておくから逃げようとはしない事だ。お互い、面倒事は少ない方が良いだろう?」
「厳命しておきます」
私がそう答えると、エインヘリア王がこちらに背を向ける。
「身の振り方を考えておくことだ。オロ神教に殉じるというのであれば、それはそれで俺は構わんがな」
そんな一言を残しエインヘリア王は本陣から立ち去り……我々の正面にも岩の壁が隆起し、我が軍は完全に囲まれてしまった。
身の振り方か。
考えるまでもなく、もはや教皇猊下に未来は無いだろう……いや、オロ神教も……だが、オロ神聖国としては……。
私は……第一位階貴族である私は……新しい時代、これからやってくる時代の事を全力で考え始めた。