第127話 入国審査
View of ガルロンド オロ神教 聖騎士
森を抜けた俺の目の前に、黒髪の女……いや子供?が立っていた。
なんだコイツ?
別に俺は周囲の気配を入念に調べながらここまで来たわけじゃないが……それでも人が居るかどうか程度は森の中からでも把握していた。
俺が森を抜ける直前まで、ここには誰もいなかった筈だ。
だというのに、こいつは……いや、こうして目の前にいるのに殆ど気配を感じないというか、存在が希薄というか……。
それに……なんだ?
ぱすぽーと?
「……密入国は……ダメ……」
「……」
ぼーっとしている様な表情で、存在感が希薄……軽装だが、そこらの村人とは思えない程仕立ての良い服。
ピンポイントで俺の前に現れた事と言い……間違いなく偶然ではないだろう。
「誰だ……?」
目撃者は全て殺す。
ジジイからの指令はそうなっているし、それを違えるつもりはないが……俺は思わず誰何していた。
殺すだけならいつでもできる。
だが、コイツの不気味さは……神聖国……いや、ジジイの障害になりかねない……そんな予感があった。
「私は……エインヘリアの……可愛い外交官……ウルル……」
「外交官……?」
凡そその役職に似つかわしくない雰囲気と姿だが、嘘や冗談を言っている様には感じられない。
それに何より問題が……。
「その様子じゃ、俺が誰で、何故ここに居るのかもわかってそうだな?」
「……聖騎士……ガルロンド……敵も味方も……軍人も一般人も……一切関係なく……殺戮しつくした……オロ神教で一番……制御のきかない英雄……」
「……」
ほとんど知られていない筈の俺の事を知ってやがる……なるほど、これがエインヘリアか。
ジジイがあれ程警戒する訳だな。
「……というのは表向き……」
「あ?」
「……本当は……聖騎士の中で……教皇に一番……従順……」
「……てめぇ」
俺は半身を引いて拳を握ったが、目の前の女はぴくりとも反応しない。
怒りを見せてみたが、俺の内心はそれ以上に混乱していた。
ジジイ以外だれもそうだとは認識していない事柄を、周知の事実であるかのように語る……内心を見透かされたことへの怒りや羞恥よりも困惑、あるいは不気味さしか感じない。
「……筆頭聖騎士……ギランは……オロ神教の……信徒として……教皇に従う……でも……ガルロンドは……教皇ではなく……コルネイという……一人の人物に……従う……」
「……」
コイツは何なんだ?
ジジイから俺のことが漏れる筈ないし、俺はそんな事口に出したりしない。
だというのに、何故そんなことまで知っている?
ジジイはエインヘリアの防諜を抜くのに相当苦労したと言っていたが……この様子だと、聖地の防諜は完全に抜かれていると見て間違いない。
ジジイはその事に気付いているのか?
マズい……今聖地には聖騎士が三人……かつてない程手薄になっている状態だ。
もしジジイが逆の立場だったら……間違いなく聖地に暗殺者を送り込む。
「……暗殺は……しないよ……?」
「っ!?」
コイツ今俺の心を!
「……心は……読めないよ……?」
現在進行形で読んでおいて何言ってやがる!
これ以上コイツと話をするのはマズい。
意味の分からない不気味さ……そして会話以上に、コイツを放置するのはジジイにとって非常にマズいことになる。
王じゃねぇ……恐らくコイツだ。
ジジイの目を誤魔化し、あの偏執的なまでの疑い深さを持つジジイを欺く国を作り上げたのは、コイツの仕業だ。
解せないのは拭けば飛ぶような小国に英雄が二人も……いや、王はコイツが作り上げた虚像という可能性も……目の前にいる女ならその程度造作もなくやってのけるだろう。
出来れば捕えて、コイツの持っている情報を引き出すべきだろうが……俺の勘は、すぐにでもコイツを殺すべきだと言っている。
その直感に従い、俺は半身を引いた状態から女の綺麗な顔に拳を叩き込む!
いや、叩きこもうと伸ばした拳は、耳元を飛ぶ虫を追い払うかのような動作でぺしっと弾かれてしまった。
「……あ?」
「……入国審査は……国境の砦で……どうぞ……」
俺の拳を振り払った手は……そのまま国境の砦を案内するかのような形になっている。
……いや、驚くところはそこじゃない。
今、コイツは何をした?
手加減を一切していない俺の一撃を……あっさりと弾いた?
その事実を理解した瞬間、俺は一気に後方に飛び退る。
言動から、英雄であることは予想していた。
女からは英雄から感じられる圧力のようなものが一切感じられなかったが、ある程度力を誤魔化すことの出来るやつは見たことある。
だから油断したつもりはなかった。
間違いなく全力で放った一撃だった……だというのに……。
「……お邪魔します……」
後ろに飛び退り、森の中へと戻った俺のすぐ傍に先程の黒髪の女が立っている。
馬鹿な!
反射的に……手加減を一切しない、振り払うように放った俺の薙ぎ払いが木々を薙ぎ倒す……しかし、そこに女はいない。
どこだ!?
「……こっちはオロ神聖国だぞ?入国審査は受けたのか?」
内心の動揺を全力で抑えつつ、俺は軽口を叩き……同時に腰の剣を抜く。
「……挨拶は……今した……」
返事は聞こえてきたが、姿は見えず気配も感じられない。
今まで散々、呪詛の如く言われて来たが……なるほど、連中はこういう気分だったのか。
……化け物め!
内心に浮かぶ例えようのない焦燥を全力で噛み殺しながら、俺は口元を歪ませる。
「俺もそれを言えば、エインヘリアに入っても良かったってことか?」
「……それは……ダメ……」
「理不尽だなっ!」
わずかに感じた気配を目掛けて、剣を振り下ろす!
「……そっちじゃ……ないよ……?」
真後ろから聞こえた声に、振り向きざまに剣を薙ぎ……先程、見た光景とほぼ同じ……ぺしんと軽い音を立てて剣が素手で弾かれる。
おかしいだろ!などと言う感想は脇に捨てる。
コイツが尋常じゃない事は既に理解している……驚きや恐れでいちいち動きを止めている場合ではない。
続けざまに蹴り、逆薙ぎ、フォローの拳、体当たり……避けられ、弾かれ、受け流される。
届かない。
圧倒的に届かない。
渾身の連撃を事も無げに捌かれ、少し互いの距離が離れたことで一息つく。
その一息はあまり良くなかった。
間が開いたことで、先程強引に無視したコイツとの間にある絶望的な力の差を認識してしまう。
これほど不利……いや、絶望的な状況など今後何を前にしてもあり得ないと断言出来る。
本来であればこれを試練として自らの成長の糧とするべき……聖騎士である俺にそのような機会なぞ滅多にないが、仕方ない。
能力を使ってコイツを殺すことに決めた……その瞬間、女が口を開いた。
「……毒は……効かないよ……」
「……」
冷たい手で臓腑を掴まれたかのような衝撃と……恐怖。
……能力の事まで知られているのか!?
俺の驚愕を他所に、女は言葉を続ける。
「……毒の生成……散布……『死毒』の……二番煎じ……」
「……あ?」
二番煎じ……?
つまり、俺と似た能力を持つ英雄を知っている?
別に毒の能力を誇っているわけではないが……何か微妙な気分だ。
だが…それは今重要な感情ではない。
「……でも……『死毒』より……幅が広い……殺すだけじゃない……色々な毒……興味深い……」
……意味が分からない。
何故毒の種類を変えられることまで知られているんだ?
俺の能力を知った連中は全員死んでる……能力について知っているのはジジイとギランだが、正確な情報を知っているのはジジイだけ。
あのジジイが切り札である俺の能力を漏らすとは思えねぇ……何がどうなってやがる。
……他人の心を読み取る能力か?
先程から……。
「……そんな能力は……ない……」
あるだろ!まさに今!やってやがるだろうが!
……駄目だ。
コイツとの会話は心をかき乱される……いや、コイツのペースに嵌められてしまう。
毒に対する何らかの対抗手段は用意しているのだろう。
だが、俺が生成する毒は既存のものとは一線を画す効果を持っている。
息をするだけで相手を毒に侵すなんてものは序の口、それが毒である事すら気付くことなく、相手は自分の死にすら気付かない。
英雄として毒に強い耐性があったとしても、それを貫通するくらいの威力の毒を生成することも可能だ。
そしてその効果範囲も、対象すらも選択することが出来る。
大量虐殺も暗殺も思いのままということだ。
直接暴れたい俺からすれば、あまり嬉しい能力ではないが……今はこの能力に頼るしかない。
俺はゆっくりと剣を構えると同時に、今まで生成してきた毒の中でも殺傷能力に特化した毒を生み出し女の周囲に撒く。
この毒は呼吸すら必要としない。
撒いた段階でソイツの死が確定する問答無用の毒。
耐性や解毒なんてものは関係ない、瞬き程の時間で相手は死に至る……のだが。
「……効かないよ……?」
「……嘘だろ」
瞬きどころか、毒の空気の中……場違いなほど可愛らしく小首を傾げながら、普通に言葉を発する女の姿に冷や汗が止まらない。
すまん、ジジイ。
俺はここまでだ。
「……ほんと……だよ……」
一瞬たりとも目を離さなかったにも拘らず目の前から姿を消した女の声が、耳元から聞こえ……。




