第85話 王の矜持
View of ランホース=エティカ=シャワルン ランティクス帝国伯爵 使節団団長
「お前、本気か?」
エインヘリアの王との会談を私達に任せ、瞑目していた陛下が口を開いた。
その言葉はいつも通り尊大で、他国の王相手に不躾と言えるがエインヘリアの王は気にした様子もない。
「当然だ。連中は俺を召喚させ、エインヘリアを混乱させた。それを狙ってのことではなかろうと決して許されることではないし、許すつもりもない。そして、これは俺の手で為す必要がある」
エインヘリアの王の静かな表明に、背筋が凍る。
謁見の間で初めてその姿を見た時以上の……いや、全くの別物と言える凄まじい威圧感。
ここが外交の場でなければ、意識を手放していたかもしれない程の恐怖。
身震いをせずに堪えられたのは僥倖としか言えない。
「本国と合流したら、と言う事か?」
エインヘリアの王の圧倒的な威圧感を物ともせず、普段通りの様子で陛下が尋ねる。
「いや。連中の使節団が今こちらに向かっているからな。その連中の持って来る話次第だが、早ければその時に宣戦布告となるだろうな」
「……連中は弱くないぞ?いくらお前が居ても、一人で戦争には勝てないだろう?」
「そうだな。俺一人では無理だ……消し飛ばすだけなら問題ないんだがな」
消し飛ばす……非常に理知的で落ち着いた方に見えるが、やはりその本質は隔絶した力を持つ英雄なのだろう。
先程感じた威圧感が、けして見せかけだけのものではない事を感じさせるには十分過ぎる言葉だ。
しかしどんな大英雄であろうと、陛下の言う通り一人で戦争に勝つ事は出来ない。
「お前が一つの戦場に出ている間に、連中は三つ以上の戦場を作り、更に国内の信徒共を蜂起させるぞ?」
「面倒な連中だな」
陛下の言葉にエインヘリアの王がため息交じりに応えるが、英雄の力は軍事力の要ではあるが、数の力もやはり軍事力の要なのだ。
オロ神聖国は英雄の力と数の力を兼ね備えた上に信者も使う。
だからこそ非常に危険な国なのだ。
「そうでなければとうの昔に俺が喰らっている。はっきり言って、敵に回すとするなら連中は俺達帝国よりも厄介だ」
憮然とした表情をしながら頬杖をつく陛下。
つい先程交渉は任せるとおっしゃっていたが、この話は自ら行うということだろう。
まぁ、戦争関係の話は外交以上に私の専門外だし、この手の話は陛下に任せた方が確実だ。
「正面から挑んで来るなら負けんが、連中は民を使うからな」
「面倒なことは理解している。だが、その対策は既に進めているし、良いようにはやられん」
「……民を敵に回すと想像以上に厄介だぞ?過去、そのやり方で滅ぼされた国は少なくない」
楽観的な台詞を吐くエインヘリアの王に苦言を呈する陛下。
……珍しい光景だ。
いや、恐らくエインヘリアの王を対等な相手であると見ているからこそ、陛下も普段は見せない人らしい反応をしてしまうのかもしれない。
「だろうな。宗教を敵に回すと非常に厄介だと言う事は理解している。だが、これはエインヘリアの王として、絶対に俺がやらなければならない事だ」
「……そういうことか」
エインヘリア王の言葉に陛下が納得したように頷く。
そして同時に私も理解する……エインヘリアの王を止める事も、否定することも出来ないな。
これは、王としての矜持の問題。
それに異を唱えると言う事は、もはや王権を認めないのと同じ……友好を結ぶどころの話ではない。
「だが、本当に勝算はあるのか?お前が無策でオロ神聖国と戦おうとするほど愚かとは思わないが、それでも連中との戦いは凄惨を極めるものになるぞ?お前が立て直そうとしているこの地も、民も無事ではいられん。それでもやるのか?」
「無責任に民を巻き込むつもりはないが……現状では一切の影響を与えないとは言えないな」
この地を、そしてそこに住む民を優先してエインヘリアの王は施政を進めている。
そんな方針をとっているエインヘリアの王にとって、これは苦しい判断に違いない。
王としての矜持と為政者としての信念。
エインヘリアの王がひとかたならぬ人物であることは間違いない。
しかし、そんな人物であっても様々なしがらみからは逃れられぬようだ。
「俺達と手を組めば被害は最小限に出来るが、自らの矜持を優先するのか?」
「王なれば、避けられないものもある……違うか?」
「面倒なことだ」
不機嫌そうにそう言った陛下がおもむろに立ち上がる。
「そちらの言いたい事は分かったし、その方向で進めて問題ない。それと、ここから先の話……俺達は必要ねぇだろ?」
「お前はそうかもしれんが……いや、良いだろう。レイフォン、エリストン後は任せる。俺はそこの皇帝を持て成さねばならんようだ」
仏頂面の陛下とは対照的に冷ややかな笑みを浮かべたエインヘリアの王が、エインヘリア側の出席者である二人に声をかける。
「畏まりました。予定変更無しでよろしいですね?」
レイフォン殿はにこやかに陛下に確認を取り、エリストン殿は生真面目な様子で頷く。
この二人はレグリア王国時代から目を付けていた人材だったが、残念ながら二人とも領地がオロ神聖国寄りだった為取り込むことは出来なかった。
そんな二人を相手取るのは苦労しそうだが……ここから先の交渉は私ではなく外交担当の者達に任せた方が良いだろう。
「よし、なら行こうぜ。ここに来る道中も堅苦しい恰好で窮屈な旅路だったんだ。思いっきり体を動かしてぇな」
「……周囲には配慮して欲しいものだがな」
そう言いながらエインヘリアの王が立ち上がる。
陛下達を二人きりにするのはマズいが……只人である私が二人の戦いを裁定したり、ましてや危険な時に止めたりすることは不可能と言える。
しかし、それでも共に行くべきではないだろうか?
「戦いの際中に周りの事なんざ気にしていられないだろう?」
……と思ったが、やはり命は惜しい。
私は同道を申し出るのを寸前で止める。
「そういうのはお前の城でやってくれ、この城は見た目以上にボロボロだしな」
「……街の外でやるか」
「全力ではやらないぞ?」
やはり……このまま二人で行かせてしまっては大変なことになるかもしれない。
どちらかが怪我でもしようものなら大問題……大怪我、ましてや死ぬようなことになれば最悪だ。
「レヴィアナもこい」
「わ、私もですか?」
エインヘリアの王が隣に座っていたレグリア王国の元王女に声をかける。
声をかけられた元王女は驚きこそしているが、怖がっている様には見えない……この元王女は能力も精神も未熟といった評価だったが、事前の評価と現在の姿に乖離が見えた。
「こいつが熱くなると面倒だからな。傍に一般人がいることを意識させた方が良いだろう」
「……分かりました、お供いたします」
あっさりと頷いて見せるレヴィアナ殿……尻込みしてしまった私とは明らかに格が違う。
「そちらも誰か一人くらい見学を出せ」
レヴィアナ殿に頷いて見せたエインヘリアの王が、陛下にこちらも誰かを同道させるように言う。
「そうだな。誰か来い」
「では、私が」
一度尻込みしてしまったからこそ、今度は即座に反応することが出来た。
「ならば行くとするか。屋外の訓練場だが、全力を出せる程広くないから注意しろ」
「なぁ、やっぱり街の外まで行かねぇか?」
「気が向いたらな」
友人と遊びに行くような気軽さで言う陛下にエインヘリアの王は肩を竦める。
この二人の戦いがどのようなものになるのか、興味が無いと言えば嘘になるが……それ以上に不安が大きい。
どうか……どうか何事もなく無事に終わって欲しい。
陛下達に続き立ち上がった私はその背を追いながら、ただひたすらそう祈り続けた。