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第55話 シチューにカツあり

 


View of サルナレ=ルバラス=ハーレクック ルバラス家当主 ハーレクック伯爵






 ここに至るまで、敵軍はついぞ足を速めることも遅くすることも無かった。


 粛々と行軍を続ける敵軍は、ついに川岸に辿り着き……そして何の躊躇いもなく川へと足を踏み入れる。穏やかに流れていた川は、突然大量の人間を受け入れた事で波立ち、急速にその色を土色へと変えていった。


 どう見ても敵軍は副官の言ったような幻ではない。間違いなく奴らはそこに存在している!


 矢も効かず、魔法も効かない……そんな軍が私目掛けてにじり寄ってきているのだ!


 我が軍の前衛が、あの前進を止められるのか?


 川から上がって来る奴等を押しとどめ、あの川を敵軍の血で赤く染められるというのか?


 敵軍は、地面を歩いていた時と何ら変わらぬ様子で、川の中程まで進んで来ている。


 彼我の距離は後十歩程度……騎馬や歩兵の突撃は、前線に立つ兵に恐怖心を与えるが、この敵の進軍は違う。


 じわじわとにじり寄って来る圧迫感は、軍の後方に位置する本陣……軍にあって一番安全な場所にいる我々にさえ、言いようのない恐怖を押し付けて来る。


 我等の猛攻に晒されながら、一度たりともその進軍の速度を変えることなく渡河して来た敵軍が、ついに我が軍と接触する……!


 私が望むのは、川岸に構えられた大型の盾によって、上陸が出来ず押し返される敵軍の姿。


 槍で貫かれ、矢で穿たれ倒れ伏す敵兵の山……。


「こ、こんな……ばかな……」


 隣にいる副官がかすれた声で、胸中に沸き上がった言葉を絞り出す。


 我が軍の兵が蹴散らされ、吹き飛ばされ、死体の山を築く……そんな光景であれば、納得は出来ないが理解は出来る。


 しかし目の前の光景は違う……敵軍は、こちら側の岸へと至り、我が軍の前衛と接触……そしてそのまま、今までと何ら変わらぬ速度で……まるで、無人の野を進むかのように進軍を続けた。


 川岸にこちらが配置していた盾兵や長槍兵、それらが歩みを止めぬ敵軍に押されているのだ。


 敵が剣を振るい、槍を突き出しているのなら分かる、だがそうではない。


 寧ろ、盾の隙間から槍を突き立てているのはこちらの方なのだ。いや、当然だろう。


 接敵した兵が武器を振るうのは当然……その当然を放棄して、ただ進軍を続ける敵兵に押され、何重にも布陣している兵達が、押しのけられるように下がらされているのだ。


 遠目ながら、こちらの兵達が武器を振っているのは確認出来る……しかし、敵兵はまるで意に介していないと言った様子で進軍を進め、やがて全ての兵が渡河を終えると敵軍は進軍を止めた。


 その様子は、本当に、ただここまで進軍して来ただけと言った感じだ。


 ……もはや、敵軍が尋常な相手ではない事は分かり切っている。だが……どうすればいい?


 渡河を終え、悠然とたたずむ敵軍の姿は、血の汚れどころか土汚れすらついていないように見える。


 本当にあの軍は存在しているのか……?


 副官の言う様にあれは幻なのではないか?


 そんな思いが頭を過るが、押し返された我が軍の姿を見るに……敵は確実に実体を持っているのだろう。


「……止まった?」


「そのようだな。何を考えているのかさっぱり読めぬが……伝令を送れ!今のうちに陣形を立て直すのだ!急げ!」


「は……はっ!」


 敵軍のあまりにも常識はずれな動きに、呆けた様に動きを止めていた副官たちが私の声で動き始める。


 だが……陣形を整えたところで意味はあるのか?


 ただの歩みすら止めることが出来なかった我等が、どうにか出来る相手なのか?


 ……無理だな。


 未だ敵は一度の攻撃も仕掛けてきてはいないが、それも此処までだろう。敵が一度その剣を振るった時、死山血河を築くのは、我が軍の屍のみとなるであろうことは想像に難くない。


 前衛を見捨ててでも、撤退をするべきだな。


 何の対策もなく戦っては、こちらに勝ち目は無い。ただ歩いて来ただけで彼我の戦力差は嫌という程理解させせられたのだ、批判は避けられないだろうが……被害を最小限に抑えるにはこれしかないだろう。


 替えの利く兵達とは違い、今回の戦に帯同した貴族達、特に領地持ちの貴族はあまり失う訳にはいかない。


「事前に伝えてある重要度の高い者達に伝令を、いつでも退却できる準備をしておくようにと」


「……退却ですか?」


 惚ける様な副官の返事に苛立ちを覚える。


「アレを見て、まだ勝ち目があると考えるのか?もしそうであるならば、お前を罷免しなくてはならないが」


「……失礼しました。我が軍も早急に退却準備を整えます」


「急げ。敵軍が何故動きを止めているか分からぬが、動き出したら次は一気に飲み込まれかねない」


 私は副官に指示を出しながら敵軍の動きを観察する。


 どこまでも不気味な軍だ……そこで動きを止める意味も分からなければ、そもそも攻撃を受けて傷つかないなんてこと自体、非常識等という言葉で表現して良い物ではない。


 ……化け物。


 そう表現する以外、この軍を現す適当な言葉を思いつかない。


 ……いかんな、完全に敵軍に呑まれてしまっている。


 こういう時こそ冷静にならなければ……逃げる事すら能わなくなるやもしれぬ。


 そう考え、心を落ち着ける為に深く深呼吸をした時……ゾッとするような事実を思い出す。


 東の森……そして西の橋。この目の前五千と同等の強さを持った部隊が、奇襲を仕掛けて来たら……?


「東西の監視を強化……」


 私がそう指示を出そうとした次の瞬間、敵軍から一人の人物が前に出て声を上げる。


「刻限だ!これより殲滅を開始する!逃げ出さなかったことは褒めてやろう!その忠誠、勇気を讃え、武器を捨て投降する者の命は保障する!」


 前に出て降伏勧告の様な物を言い放つアレは……遠目で定かではないが、恐らくあの軍使の女ではないだろうか?


 戦の前に言い放ったアレは、戦前に行う通り一遍なものではなく、本心をただ言ったに過ぎなかったという事だろう。そして再び放たれた尊大な言葉も、今となっては先程と同じく煽っている訳ではなく、心の底から言っているだけなのだと分かる。


 何という理不尽……何故こんな敵が急に現れた……もう少し……もう少しでルモリア王国は私の元、盤石に至れるというのに……。


 今、私にできるのは……出来るだけ多くの味方を無事王都に帰還させること、そして私の権勢を少しでも保つ事だ。その為には何としても生き延びる道を見つけなくてはならない。


 東西から敵の援軍が来るとしたら……恐らく西からは足の速い騎馬……東は弓兵が魔法兵だろうか?


 逃げるなら後ろ……クルーセル領に逃げ込むしかあるまい。我が領軍にも引き返す様に伝令を出さねばならぬが、こちらはまだ少し余裕が……そんなことを考えていた私の思考を邪魔するように、轟音が鳴り響き……突如私達を囲むように巨大な氷の山が出現した。


「な……!?」


 物見台にいてなお見上げる程巨大な氷の山は、少し離れた位置に出現しているにも拘らず、風に乗せてその冷気を伝えて来る。幻想的と言える光景ではあるが、今の我々には死神の顎にしか見えない。


「た……退路が……」


 副官の呟きとほぼ時を同じくして、前線の方で悲鳴が上がる……確認する間でもない……敵軍が動き始めたのだ。


「すぐに後方を調べさせろ!あの氷の山に抜け道がないのか……何をしている!すぐにだ!急げ!」


 氷の山を見上げ呆けている副官たちを怒鳴りつける。


「は……はっ!」


 なんだ、なんなのだ、何なのだ一体!何が起こっている!この戦場に来てからずっと悪夢を見せられているのではないか!?


 こんな、こんなことが現実に起こって良い筈がない!


 悪夢にしても荒唐無稽すぎる!


 攻撃の効かぬ軍勢、突如として現れる氷の山……いや、思えば最初からだ!最初から、何もかもが狂っていたじゃないか!?陛下が殺されるという事態ですっかり忘れていたが……そもそも陛下は何故死んだ?


 確かにあの時、敵の軍使は剣を抜いていた……だが、奴と陛下の間には川があり、とてもじゃないが剣の届く距離ではない。そこから既におかしいではないか!そんなことに気付かない程、動揺していたという事か!?


 突然の事態に我が軍全体から動揺が伝わって来る。東西から来る援軍を警戒していたが……もはやそれどころではない。


 三方を氷に囲まれ、前方は敵軍によって蓋を……いや、前線では敵軍による蹂躙が始まっている。


 まるで騎馬の突撃のような速度で進む敵歩兵が、我が軍の兵達を吹き散らしながら攻めかかって来る。もはや前衛は壊滅寸前、程なく中衛に敵は攻めかかるだろう。


「か、閣下!後方の氷は突破できません!人が通れるほどの穴は見つからず、剣で斬りかかった者は次の瞬間全身が氷漬けに!火の魔法でも溶ける様子は一切ありません!」


「なんだそれは!?破壊も不可能だというのか!?」


「……もはや退路はありません!」


「……」


 齎された報告に、私は自分の髪を全力で掴む。


 このような魔法聞いたこともない!やはり、あの魔法大国が絡んでいるのか!?そうとしか考えられないが、何故!遠方の小国に過ぎない我が国に、あの大国が目を付けた!?


 歯を噛み砕かんばかりに食いしばりながら、我が軍を蹂躙する敵軍を睨みつける。


「……前だ」


「……は?閣下、今何と?」


「前進するしかない!触れれば凍るような氷を相手にするよりも、前方に突撃する方がマシだ!」


「し、しかし……」


「見よ!敵軍は薄く横に広がりながら攻めかかってきている!鋒矢陣を組み、敵軍を一点突破、川を渡り、即西に転身して戦場を離脱するのだ!」


「で、ですが……」


「幸い、我等は防御陣を敷いていた為、後方に騎馬が多数残っている!いくら奴等であろうと、騎馬の突撃をあのような薄い横陣で止められるはずが無かろう!」


「しかし、今から陣形を変えるのは……」


「集められる者だけで良い!我ら本陣と周囲の軍を使い一点突破せねば、このまま押しつぶされるしかないのだぞ!急げ!この一瞬が命取りだ!それと中衛の軍にも指示を飛ばせ!両翼を厚くするのだ、中央は無視して両翼で圧力をかけろと!」


「は、はっ!すぐに!」


 物見台から急ぎ駆け下りていく副官を尻目に、私は敵軍へと視線を戻す。


 大丈夫だ、突破できるはずだ。あの横陣さえ突破してしまえば……敵は先陣以外を動かしてきていない……そのまま西へ逃げることが出来る……!軍の両翼に兵を集中させることで、敵軍もそちらに意識が向くはず、そこを後衛である我等が中央突破を仕掛ければ、敵は一瞬対応が遅れる……その隙を突いて一気に駆け抜ければ良い!


 逃げる事さえ出来ればまだ立て直せるのだ!軍の中衛まではもう助からないと考えても、後衛には四千近い兵が残っている。これを一点突破で脱出させることが出来れば、十分立て直しが計れる!それに、敵がこのまま北上すれば、最初にぶつかるのは旧貴族であるクルーセル領。


 奴を盾にして、王都に防衛陣を敷く……既に敵軍の強さは分かっているのだ、油断さえしなければ打つ手はあるはず……だから逃がせ!私をこの死地より逃がすのだ!


 私は敵軍に背を向けて物見台から降りる。


 そこでは既に私の馬が用意されており、その周りには本陣近くに布陣していた貴族たちの姿もある。


 全員を集めることは不可能だが……伝令は既に送ってある、我々が突撃を開始すれば必死に後を追ってくる筈だ。


「は、伯爵!こんな……こんなことが!」


 顔を真っ青にしながら数人の貴族が詰め寄って来るが、私は取り合わず馬に乗る。


「今はそのような事を言っている場合ではない。この地に留まればもはや死は免れない。覚悟を決めて敵陣を突破するしかないのだ」


「し、しかし!目の前の軍を突破したとしても、その後ろには一万の軍が!」


「上から敵陣の様子は確認している。後方の軍は動く様子を見せていない、今しかないのだ。今目の前の敵を突破してすぐに西に逃げれば間に合う。ここでこうやって話している間に、我々が生きて王都に戻ることの出来る可能性が無くなっていくのだぞ」


 今この場で喚いたところで何にもならないのだ。動かなければ死ぬ……何故それを理解しない。


「くっ……!」


「此度の戦は我々の負けだ……だが、この情報を王都に持ち帰ることで次は勝てる!その為には奴らを突破し、死に物狂いで王都に帰らねばならないのだ!多くを語る時間は無い!騎乗せよ!これより敵軍中央を突破する!」


 私の号令で周りの兵が一気に前方へ駆け出す!


「中央を開けろ!騎馬突撃だ!歩兵は後に続け!けして立ち止まるな!」


 前方を掛ける騎馬が声を張り上げながら突撃する。


 後方から突撃してくる我等に気付いた歩兵が進路を開け、更に我等の後ろについて駆けだす。間違いなく歩兵たちは途中で力尽きるだろう。それでも騎馬が逃げる為には彼等を後ろに着けて突撃する必要がある。


 勿論彼等にも生きて帰って欲しいとは思う。ここで兵が残れば残るほど、王都で策を講じやすくなる


「敵中央を突破する!道を空けよ!我等に続け!敵陣を突破した先に生がある!下がった先には死しかないぞ!」


 檄を上げながら走る我等は、見る見るうちに敵との距離を詰めていく。


 もはや接触まで幾ばくも無いといった所、我等の前に二人の人物が立っているのが見えた。


 その瞬間、けして聞こえるはずのない会話が私の耳に届く……。


「大将自ら敵中央へ突撃とは、中々酔狂な御仁でござるな。しかし、その意気や良し!殿の剣として拙者がお相手いたそう!」


「ジョウセン、待て。ここは私に譲れ。近衛である私が先陣を任されること等、今後無いだろう?」


「む……仕方ないでござるな。確かに拙者は前の戦でも存分に働かせてもらった故、今回はリーンフェリアに譲るでござるよ」


 この一瞬で、そんな会話が聞こえるはずがない……だが、確かに私の耳は彼らの会話を捉え、そして事実、二人いた人物の内、女騎士だけが我等の進行方向に立ちふさがるように立つ。


「我はエインヘリアの盾、ここより後ろには誰も通さん……ここが貴公等の終着地だ!」


 そんな宣言が聞こえた直後、我等は正面からぶつかり……私の意識は途絶えた。



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[良い点] リーンフェリアさん、かっこよすぎるわ… この騎士ムーブは惚れますね(ӦvӦ。)
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