第236話 ナンの話よ!
View of フィリア=フィンブル=スラージアン スラージアン帝国皇帝
皆の頭を整理するために会議を一時中断した私は、ラヴェルナと共に私室に戻っていた。
「大丈夫?」
崩れ落ちる様にソファに座り、大きく息を吐いた私を見てラヴェルナが苦笑しながら問いかけて来る。
「えぇ、私はね。でも、皆冷静さをかなり欠いているようだったし……少し頭を冷やす時間は必要だったと思う」
「そうね……彼らが帰ってそのままあの会議が始まったし、仕方ないと思うけど……」
「少し……いえ、かなりエインヘリア王の印象が強すぎたと思う。確かにあの王の存在は脅威だけど、それ以上にマズいのは転移に飛行船……相手の技術力の高さよ。これについての危機感が皆に足りていない」
恐らく、まだあのエインヘリア王の威容に呑まれているのだろう。
あのまま戦略や戦術について考えれば、確実に間違った方向へと進んでしまう……そんな予感が拭えなかった。
「皆、十分警戒していたと思うけど……」
「いえ、足りないわ。次の会議の最初でウィッカから説明はあるけど……まず飛行船……もしあれがこちらの陣に攻め込んできたら、リズバーン以外まともに応戦出来ないのよ?」
「……船の部分は木で出てきているみたいだし、火矢とかは?」
「無理よ。そもそも矢が届かないみたいだし……」
例え届いたとしても、火矢程度で燃やせる物でもないように思う。
あるいは……あの何が入っているか分からない上の部分なら……いえ、駄目ね。そんな高さまで敵がわざわざ降りて来るとは思えない。
「そんなに高い位置を飛んでいるの?」
「えぇ。ディアルド爺の話では、飛行魔法よりも速く高く飛んでいるそうよ」
私が先程ディアルド爺から聞いた話を伝えると、ラヴェルナが目を丸くして驚く。
「……でも、リズバーン様なら戦えるのでしょう?魔法で一気に落としちゃえば……」
「本人が言うには、一艘相手なら恐らく落とせるってことだけど……」
「リズバーン様が断言できない程なの?」
少し言葉を濁した私を見て、先程以上に驚いた様子を見せるラヴェルナ。
「兵装とかを確認した訳じゃないからね。だから……もしかしたら、ディアルド爺でも落とせないかもしれない。その可能性は否定できないわ」
「リズバーン様が勝てない相手って、想像できないんだけど……」
「リカルドに負けてるからこそ、ディアルド爺は第二席なんだけど……」
「リカルド殿は、何ていうか……別格、みたいな?」
「気持ちは分からないでもないけど……」
リカルドの戦い方は、規格外揃いの『至天』の中でも別格だ。
まぁ、隙あらば空を飛んで、手の届かない位置から魔法を連打してくるディアルド爺も大概だけど……。
しかし……ディアルド爺は空を飛ぶことは出来るけど、そこで使う魔法は基本的に地面にいる相手に放つ物で、自分と同じように空を飛ぶもの……まして、自分より高い位置を飛ぶ相手との戦闘経験は無い。
ディアルド爺が空を飛べることはエインヘリアなら当然知っているだろうし、いざ戦場で両軍が相まみえた時、飛行船の障害となり得るのはディアルド爺だけだ。
それにも関わらず、私達帝国に飛行船を見せつけた……それはつまり、ディアルド爺に飛行船は落とされないという自信があるからじゃないかと思う。
ラヴェルナがそうであったように、私達にとってディアルド爺は切り札中の切り札……飛行船がどれだけ凄かろうと、ディアルド爺であればアレを落とせると誰もが考える。
それこそが罠なのではないだろうか?
空中戦……とでも言えば良いのだろうか?
空という戦場には、ディアルド爺のように飛行能力がある者しか立つことが出来ない……ましてや地上からの攻撃が届かない様な高さであれば、帝国は援護することさえも出来ないわけで……。
「話を戻すけど、仮に空での戦いでディアルド爺が追い込まれるようなことがあった場合、地上にいる帝国軍ではそれを助ける事さえ出来ない……それがエインヘリアの……いや、エインヘリア王の狙いじゃないかな?」
「……」
「帝国軍が助けることが出来ない状況……見守る事しか出来ない状況で『至天』第二席『轟天』を倒す。あの性格の悪そうな奴の考えそうなことだわ」
「性格……?あぁ、エインヘリア王の事ね。確かに……それが可能であるなら、効果的な一手だと思うわ。リズバーン様は間違いなく帝国軍の精神的主柱。もし敗れる様な事があったら、その後の戦は一方的な物になりかねない」
「それだけは絶対に避けなければならないわね。一応、嵐を呼ぶ儀式魔法を上空に放つって案がウィッカから出ているのだけど……」
すぐにでも実験をした方が良いわね。もし儀式魔法が、飛行船の飛ぶ高さに影響が出せない様だったら別の手段が必要になる。出来ればディアルド一人に空の抑えを任せたくない。
「……思っていた以上に、今回の戦いって厳しい?」
難しい表情のまま尋ねて来るラヴェルナに、私は頷いて見せる。
会場設営等を任せていたラヴェルナは、今までエインヘリアの強さについて考える余裕が無かったのだろうけど、ここに来て事態の深刻さが理解出来て来たみたいだ。
「物凄く、ね。さっきの会議で、ディアルド爺は敵英雄の強さを上位者に食い込んでもおかしくないって言ってたけど、先に聞いた話では……最低でも上位者並み。下手をしたらそれ以上かもしれないって評価していたわ」
「う、嘘でしょ?」
血の気の引いた表情でラヴェルナが喘ぐように言う。
「事実よ。少なくともディアルド爺はエインヘリアの英雄たちを見てそう感じたそうよ」
「そんな相手が、四人も……?」
「いえ、最低でも五人。今日この場に来なかった奴がまだいるみたいよ」
「……」
顔色を青褪めさせたラヴェルナが口元に手を当てる。
私もその話を聞いた時は、ディアルド爺の勘違いであって欲しいと思っていたけど、あのエインヘリア王から感じた威圧感……アレが常人に出せるものではないことくらい、嗜み程度にしか剣を握った事のない私でも分かる。アレは王としての威厳だけで出せる様な凄味ではないだろう。
「敵地に乗り込み、王自ら宣戦布告をする……下手をすればその場で首を取られかねない状況で、自分の身を守る戦力を温存したの?」
「英雄を温存しても問題ないと、ただこちらを侮ったというのなら良いのだけど……そうではなく、ディアルド爺の強さを把握した上での行動だとしたら……」
ディアルド爺もその懸念があるからこそ、動員できる『至天』全てを初戦に投入しようとしている筈だ。
『至天』を総動員……今まで考えた事も無かったけど……誰よりも戦場に立ってきたディアルド爺が必要だと言っているのだ。飛行船や転移という技術が無かったとしても、エインヘリアは手を抜くことが出来ない相手……そういう事だろう。
「……少し弱気が過ぎるんじゃない?相変わらず最悪を想定しているのだとは思うけど、西方に『至天』の殆どを派遣するのでしょ?」
「考えすぎ……であれば良いのだけど、『至天』や予備軍を全員西方に送り込んで負けたとしたら……」
表情を硬くしながら言うラヴェルナに、私は最悪の想像を伝える。
情報力で私達の遥か上を行くエインヘリア。
帝国内で最上位の機密事項である『至天』の情報ではあるけど、彼らは間違いなく『至天』の細かな情報を掴んでいる事だろう。
そのエインヘリアが、正面からぶつかろうとしている……わざわざ言葉にするまでも無く、勝てる算段があるという事だろう。
ただ、ここで疑問となるのは……どうやって『至天』に勝つのか。
『至天』は帝国にとっての最大戦力ではあるけど、それはあくまで個人の武だ。
しかし、その個人の武が規格外なまでに高まったのが英雄……例え、一万の兵に囲まれたとしても、彼等は意にも介さないだろう。
対軍であれば、側面や後背をついた攻撃、奇襲や罠等取れる戦術はいくつもあるけど、一万の兵に囲まれても問題ない個人相手に、側面や後背を取ったところで意味はない。
奇襲や罠なら効果があるかも知れないけど……そんな奇策で倒せるのは精々一人か二人。しかし『至天』は二十人以上いる。戦場に送れるのは十数名になるだろうが……それでも一度使った奇襲や罠がそう何度も通用する訳がない。
先の会議でウィッカ派閥の貴族から出た様に、そんな規格外達相手に正面からぶつかるくらいなら、こちらの戦力を帝都から引き離す為に戦場を指定しているという考えは、至極当然とも言える。
「あの飛行船や転移って技術だけで『至天』をどうにか出来るって考えてるの?」
「私はあまり戦術とかは得意じゃないから、飛行船をどういう風に戦術に組み込むかまでは想像できないけど……あのエインヘリア王の自信。アレは妙な小細工を弄するってよりも、至天を正面から打ち砕く……そんな意図があるように感じた」
「『至天』を正面から……」
ラヴェルナが硬直しながら呟く……。
それにしても、あのエインヘリア王の自信満々な態度……何故か分からないけど、思い出すと妙にイライラする。
そんな私の内心に気付いたのか、硬直を解いたラヴェルナが私の方を見ながら首を傾げる。
「……なんか、少し不機嫌?」
「……こんな状況ですもの。気分爽快と言う訳にはいかないわ」
「いや、なんかそういう感じじゃなくて……うーん」
こちらを探るようにラヴェルナがじっと見つめて来たので、居心地の悪さを感じながら私は視線を逸らす。
「今はそんな事より、あの国への対処よ」
「……戦略や戦術に関しては重臣たちの意見を聞くまで判断は出来ないでしょ?今話しているのは、あくまでエインヘリアという国に対する懸念や重臣たちが見落としていそうな話のまとめ。まぁ、フィリアの話を聞いて、私も色々と想定が甘かったことに気付けたし、必要な事だったとは思うけど……なんか妙に気になるのよね」
「……何がかしら?」
「うん、なんかちょっと違和感が……そういえば、さっきの会議の最後の檄もなんか……個人的な願望が入っていたような……」
「そんな事無いわよ?」
「そう、かな?」
「そうよ」
頷きながらラヴェルナにそう返して、私はソファの背もたれに体を預け、強張っていた身体を解きほぐす様に伸ばす。
「……フィリアって、あぁいうのが好みなの?」
「何の話!?」
何処をどう考えたらそんな結論に達するのか、ラヴェルナの思考が異次元まで飛び過ぎて意味が分からない。
「……皇帝としての貴女が、あんなことを口にするのは相当珍しいわよ?エインヘリア王の泣く姿が見たいだったかしら?」
「いや、そうは言ってないわよ」
似た様なニュアンスの事は言ったけど、でもなんか決定的に違う気がするわ。
「皇帝としてのフィリアが、個人的な感情を見せる事なんてかなり珍しい……いえ、この十一年で初めてかもしれない」
「そのくらい、切羽詰まってたってことよ」
「……いえ、そうであるならなおさら、鉄以上の硬さの仮面を貴方なら被る筈よ」
「……」
……確かに普段であればそうしたと思うけど。
そんな風に、納得してしまったのがまずかったのだろう。
言葉に詰まった私を見て、ラヴェルナがにんまりとした嫌な笑みを浮かべる。
「え、何々?本気?嘘でしょ?敵国の王よ?」
この非常事態に、この子は何をワクワクした表情をしながらとんでもない事を言っているのかしら!?
ソファの向かい側に座っていたラヴェルナが、何故か私側のソファに移動しながらニヨニヨとした表情を見せる。
……いや、恐らく、今後の事で頭を悩ませていたのを一度リセットさせる目的なのだろうけど……。
「えー、あぁいうのが趣味だったんだー。そっかーへぇー。いや、確かに優秀だし、顔もいい……でも性格は、ちょっと悪そうだけど……あ、もしかして支配されたい的な?あー、普段我を殺して上に立っているから反動というか、そういう願望が……」
完全に仕事を忘れ幼馴染モードに入ったラヴェルナは……って何言ってるのよ!?
あとアレの性格はちょっとどころじゃなく、ものすっごく悪いわよ!
秘書官が会議の時間を知らせに来るまで、ラヴェルナの頭に咲いた花は枯れることはなかった……。