良寛の詩に思う ーー日本の古典についてーー
最近、日本の古典について調べています。といっても、直接、原著に当たる力がないので小西甚一とかドナルド・キーンとか色々活用しながらイメージを膨らませています。
それで、日本の古典に対するイメージといっても漠然としたものになるのはわかっていますが、つらつらと考えてみると思ったよりも当初イメージしていたものとは食い違わない。具体的には欧米の人間が「日本」に抱いているイメージと、実際古典を見ながら見えてきたものはあんまり違っていない。意外さが思ったよりなかった、というのがむしろ僕には意外でした。
ドラッカーなんかも言っていますが、日本というのはやはり、形而上的なものを、それ自体で独立させて推し進めていくのはどうも苦手な気がします。その代わり、感覚的なもの、手を動かしたり、触ったり、耳で聴いたり、目で見たり、そういうものは得意分野かと思います。日本人の器用さというのは今でもあるでしょうし、こういう感覚性がエロの方向に発展していくと、谷崎潤一郎や川端康成からエロ同人にまで繋がっていく笑。まあ、あくまでも漠然とした感じですが。
新井白石とか荻生徂徠なんかも家にあったんでパラパラ読んでみたのですが、正直それほど面白いものではない。もちろん、彼らは実際の政治家だったんで、政治的提言を目的としていたので、自立した芸術作品を作ろうとしたわけではないから面白くないのも当然なのですが、ただ……やっぱり、同時代あたり、西欧にはカントだのゲーテだのアダム・スミスだの、近代の頂点に位置するような人がいたわけで、そういうものを読んだ後に日本の思想家を読むとどうしても見劣りがすると感じてしまう。
さっき調べたのですが、ゲーテと本居宣長は年は二十しか離れていないみたいですね。ゲーテは、ヨーロッパの実に様々なものを吸収してあれだけ巨大に膨れ上がり、それにとどまらず東洋からも影響を受けようとした。それに比べると日本の知的天才は、論語を中心とした儒学の範囲内にいて、そうでなければ本居宣長のように源氏物語とか日本書紀とか、そういうもので自分の自意識を満たすしかなかった。日本の知的天才が才能として西欧に劣っていたとは思わないのですが、鎖国によって狭い世界の中でやっていたという感じはどうしてもしてしまいます。ですが、彼らのその奮闘は無駄なものではなく、後の明治維新に繋がっていったとも考えられます。それはまたおいおい調べていこうと思っていますが。
日本の思想については一面ではそういう風に感じているのですが、同時に、芸術とか、「芸」ですね、広い意味での「芸道」というか、それには剣術から、生き方から、戦の時の心構えまで含むのですが、そういう「芸」と密着した哲学というようなものは日本にはたしかに存在したと思います。これは中国からの影響抜きには考えられないのですが、ややこしくなるので中国の話は置いておきます。
具体的には宮本武蔵という人がいて、有名ですね。この人は剣豪で、剣の戦いをして負けた事がなかった。それと同時に絵の方も抜群にうまく、古典となって残るようなものを描いている。こういう風に見ると宮本武蔵はスーパーマンのように見えますが、僕はそうではないと思っています。つまり、宮本武蔵にとっては、剣の戦いで負けないように工夫する事と、書画の修練に勤しむ事は、別様の事柄ではなかった。それは何かと言うと、「禅」というような言葉によって現れる、生き様というか、生き方の貫き方が、ある側面では剣となり、ある側面では筆となる。そういう事ではないかと思っています。
これも漠然とした印象ですが、日本の名作水墨画が入った本をつらつら読んでいると、それらの水墨画はただ「うまい絵を描きたい」といった現代的な精神とは違う場所にあるものに感じてきました。ではどういうものかと言うと、さっき言った「禅」という言葉に要約されるような、精神的境地のようなもの、そういう精神鍛錬がそのまま芸道の邁進と繋がっているように感じました。だから、昔の名作絵画には一本芯が通っているというか、厳しい自己鍛錬がそのまま絵として出ているという風に思います。
そういう意味では、日本という国にも形而上学というか、難しいですが、哲学に相当するもの、生き方と直結した倫理的な志向性、生に対する俯瞰的視点、そういうものはないわけではなかった。ただ、西欧のプラトンの「国家」とか、ドイツの観念論とか、ああいうものはほとんどなかった気がします。それは日本語そのものとも関わっていて、抽象的な概念に対応する言葉自体がなかったので、どうしても形而上学は感覚的なものとセットで「禅」のような形で押し出される他なかった。そういうものではなかったと考えています。
日本の古典というものを今の所、そんな風に考えていますが、それらを俯瞰で捉えていくどうなるか。うーん。難しいですが、非常にユニークというか、なるほどなあ、という感じがするのですが、同時に自分がいかに日本の歴史から遠いか、いかに西欧近代がインストールされた頭脳なのか、というのが身にしみます。例えば僕らにとっては普通の考えのヒューマニズムというのも、キリスト教から発展したイデオロギーだし、今の人がモンテーニュやパスカル「パンセ」を読んでも、キリスト教的な部分がわからないとしてもその他の部分はわかると思います。
僕は実際、そういう風に古典に入っていきました。日本人だから万葉集を読み耽るとか、源氏物語や本居宣長や、その他を読み漁るというスタートは切っていない。それは偶然ではなく、自分が日本というものから既にずいぶん遠い存在だからなのだと思います。逆に言えば、今は資料もたくさん揃っているでしょうし、海外の人が日本の昔について深く掘り下げていきたいと考えてやっていくと、相当深い部分に到達する可能性があります。それはグローバリズムの良い部分と言えるかもしれません。同じグローバリズムが、日本人から日本を引き離したとも言えそうですが。
で、日本の古典なんかを見ているとそういう感想を持つのですが、やっぱり日本画なんかは圧巻というか、何回か展覧会で見てもいるんですが、大したものですね。日本のものはどれも島国根性というか、どっちかというとせせこましい感じがするのですが、日本画はむしろ雄大で、巨大ですね。それにとてつもなく優れた画家がたくさんいる。一人だけ上げると、国立博物館に行った時に雪舟の絵があって、じっと見ているとなんとも言えず良いなあ、と感じました。ちょっとヘタウマみたいな雰囲気で、シャープな描き方をしていないのですが、見ていると心が暖かくなるような、良い絵と感じました。でも、雪舟だけではなく沢山一流の画家がいた。こういうものは凄いなと素直に思います。
今、絵画の話をして思い出したのですが、日本には自然と一致していこうという傾向性があります。人間も自然の一部として見ていくという方向性があって、これが為に日本は、人間というものを独立したものとして見きれない(近代化しきれない)のかもしれませんが、確かにそういう感性はあると思います。小西甚一の「俳句の世界」という本がものすごく面白かったのですが、与謝蕪村の句に次のようなものがあります。
夕風や水青鷺の脛をうつ 蕪村
それから、芭蕉の有名な句、
荒海や佐渡によこたふ天河 芭蕉
なんかはどちらも良い句だと思いますが、僕の勝手自己流解釈で行きますと、どちらも自然とそれを見ている自分とを決定的に分けていない。主体と客体が完全に離れていないというか、自然もそれを見ている自分も一つの宇宙なのだという雰囲気を感じます。具体的には芭蕉の句で「よこたふ」という語が使われていて、これは人間が身を横たえる、とも言いますし、人にも使える動詞を天の川にかけている。ここで自然を擬人的に見ている、と言うと機能的に見えますが、そうではなく主客同一、自然と自己との一致が、自然と人間にまたがるような日本語の曖昧さをうまく利用して果たされているのではないかと思います。それが、俳人にとっての理想ではなかったかと。
なぜ自然と人間の融和が理想なのか。これは難しくて、まだ考えていませんが、自然と対立的な姿勢は日本はそれほどないと思います。シェイクスピア「リア王」で、リアが嵐に向かって思い切り吠え、嘆くシーンがあるのですが、あの場面の宇宙性はリアのとてつもなく巨大な情念が自然を巻き込んで展開されている所にあると思います。パスカルの「人間とは考える葦である」から続く、人間と宇宙の鋭い対立、そこから生まれる嘆きや怒りは自然の中の人間の位置を発見し、そうしてこの精神は展開して、自然との主従関係において逆転し、とうとう自然を精神で従えるまでになった。このあたりの巨大さ、宇宙性は、人間の観念とか情念の展開であって、自然との調和を念頭に置いたものではないと思います。
それにしてもこうして自分で書いてみて思うのですが、日本的なものの理想が自然と人間との調和・融合だとすると、人間同士の葛藤がメインとなる近代的なドラマというのは出にくいのではないかと思います。人間相互の葛藤を描くにはまず、人間が自立していなければならない。また、自然に対する融和を、社会とか秩序との融和という風に読みかえていくと、いかにして社会秩序と合一していくかというのが問題となり、ここでも個人は独立して現れない。しかし独立した個人とは何か。
日本の場合は受動的なもの、例えば、王朝文学における女官の嘆き悲しみ、その密かな日記などが、システムに抗する微かな「個」に該当するのかもしれません。僕は個とか、主体とかいうものは本質的には極めて難しいものであって、だからこそそういうものを成し遂げた人間だけが僅かに歴史的に残るのだと思っています。現在は誰しもが個を持っているように見えますが、これは過去や未来から見るとどんな風に見えるでしょうか。
色々書いてきましたが、まだ考え中です。これから考えも変わると思います。それで、最後に、日本古典について調べていて一番心に刺さった言葉を上げておきます。これは一番心を突かれました。何かと言うと、良寛の詩です。良寛というお坊さんがいて、子供達と鞠つきをして遊んでいる。そういう時に、通り掛かった人に嘲笑する言葉をかけられた、その時の詩です。
行く人の 我を顧みて笑う 何によってか それかくのごときと
低頭して応うること能わず
いいうるとも またいかに似せん
箇中の意を知らんと要せば 元来 ただこれ これ
良寛は通行人に、子供と遊んでいる姿を笑われる。いい年をして、僧侶なのにどうしてそんな遊びをしているのか、と。良寛は「低頭」して、何も答えられない。箇中の意ーー自分の中の心はとても言い表せるものではない、もし言い表せるとしたら、それは子供と遊んでいるこの姿にのみ求められるだろう。「ただ這れ是れ」という言い方には諦念が滲んでいると共に、良寛の志向する精神的境地が鋭く現れている。「ただこれこれ」という軽い響き、それから、子供と遊んでいるというただそれだけの動作、仕草。そういう軽いものの中にしか、彼の背負った悲哀は現れ得ない。
良寛の背負った実存的な暗い響きは子供と遊んだ姿としてしか現れる他ない、と自覚と諦念を込めて彼は歌っているように思われる。ここには一つの生き方が沈黙の行動を伴って現れている。良寛は紛れもなく立体的な形而上学を持っていたが、それは生活では無であった。彼の人生に対する重い印象は、子供と遊ぶという行動に昇華されたが、それしか言葉はなかった、と詩は歌っている。日本における思想の有無は、こういう見事な詩にはっきりと現れているように思う。つまりここにはすべてがあるが、同時に何も無い。そうしてそれが言いうる事のすべてなのだ、というように。