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【短編】大きな怪物

作者: ヤオクル

 この世界には怪物がいる。

 ビルなどに遮られない限りは、世界の半分からはその姿が見えるような気がするほどの巨体。その怪物は、ある日突然、一夜にして姿を現した。

 その怪物が一鳴きするだけで、空は震え、熱線を吐いた日には国が地図から消えることもある。一歩歩むのに一か月かかり、足が地面についた瞬間は津波や地震でひどい被害がでる。


 そんな怪物に、みんな迷惑している。だから、国は怪物を倒そうと飛行機で爆撃するなどしている。

 けれど、それらの度重なる攻撃のすべてが、怪物にはほとんど効いていない様子だった。


 怪物が現れた当初は、怪物を恐れ、恨む声が多かった。けれど、半年、一年と過ぎて、怪物が死にそうにもないことを実感するうちに、人は怪物の存在を当たり前のものと考えるようになり、次第に慣れていった。熱線に家族を殺された人は、兵士に志願していったり、ふさぎ込んだりしていたけれど、それ以外の人はもう、怪物の存在はどうしようもないことだと半ばあきらめて、生きていられる間にできる限りのことをしようと生き急いだり、なるようにしかならないといって普通に過ごすようになっていた。

 熱線を吐く予兆が観測できるようになってからは、それがより顕著になった。一週間の猶予は、熱線の影響が及ぶ範囲からの避難誘導に使われ、被害者はラジオすらない地域の人だけに減っていく。

 とはいえ、難民問題はとても深刻らしい。僕が住んでいるこの国は海で大陸と隔たれているおかげでそういう問題は軽微だけれど、そうもいかないところが多いらしい。


 国は、怪物が現れた当初にあの脅威をどうにかするといってしまったせいか、怪物への攻撃をやめなかった。けれど、諦めも肝心だと大衆の意見は遷移していた。

 正直、今となっては爆撃なんて怪物を刺激するだけだと国の政策を批判する人が増えている。あの攻撃のせいで苛立った怪物が熱線を放射しているのだとしたら、あんな攻撃は効果もないことだしさっさとやめるべきだというのは正論だ。けれど体裁ばかり気にする国の役員たちは、攻撃をやめる気配がない。ほかの被害を受けた国の首相に言質を取られているせいで、政治的パフォーマンスとかいうものをしなければいけないかららしいと、ラジオ放送で流れていたのをどこかで聞いたような気がする。


 津波が来るなら海の傍で暮らさなければいい。けれど土地に執着する人はそこにシェルターを作って無理に住み続けようとしている。津波が来る前に船を陸に上げて、運ばなければいけないのは手間だが、シェルターで漁港全体を覆うよりはずいぶんと楽だと思うが、違うのだろうか。そもそも海の生態系も乱れて、漁をしてもいい成果は得られないと聞くが、それが本当なら、彼らは何のためにそこに居続けようとするのだろうか。


 そういえば発電所もほとんどやられたらしい。今残っているのは、怪物が現れたのとは反対側の海洋にあった発電所と、風力と太陽光とダムだけだ。とはいえ、化石燃料の調達ができなくて火力発電所に至っては稼働できていないらしいので、数に加えていいのかどうかといわれると、正直微妙なところだ。

 そもそも電気を消費する場所が減ったというのもあるが、それでも以前の発電比率からすると、火力発電ができなくなってしまったことで電力不足であることは間違いない。カセットコンロの燃料も無限じゃないから、今のうちに初めておくのがいいと、爺さん婆さんが薪作りを初め、今ではそれを手伝わせられている。爺さん婆さんに言わせると杉は薪に使いづらいらしい。使えないことはないらしいが、体感的に火持ちが少し悪いという。花粉症の原因になる上にいざというときにも使いづらいとなると、何も良いところがないように思う。


 ビルも、だいぶ減ったと聞く。そもそも怪物の出現後に都会に出たことがないので実際の風景を目にしたことはないが、ひどい地震で耐震や免震が不十分かつ老朽化した建物を騙し騙し使っていたところが軒並み崩れ落ちて多くの人が下敷きになったらしいという話を聞いた。倒れないはずの建物も、ほかの建物が倒れ掛かってきて倒壊したとかしないとか。そこを生き延びて安息の地を求めて歩いてきたといっていた男は、想像を絶する地獄絵図が広がっていたといっていた。その話を聞きながら、半分田舎みたいなところに住んで、ずっと都会に憧れていたそれまでの人生だったが、田舎に住み続けることになった自分の人生も、案外捨てたものじゃないかもしれないと思った。


 輸入品に頼って自給率が下がっていることを危惧するコメントを残したタレントは、今どこで何をしているのだろう。意見を言うばかりで自分で食料生産プラントや農家の応援をしていなかったというのなら、そのことを後悔しているかもしれない。

 ビル倒壊や津波で大量の死者が出たとはいえ、全体の人口からすれば一部に過ぎない。しかし、船で運ばれてくる冷凍野菜や肉は、航行中の高波で転覆してしまうという問題から停止し、津波の影響を受けずに済んだ内陸の農地だけが、最後の食糧供給場所となっていた。


 農家の家だからか蔵があって、そこに穀物が蓄えてあるからあと半年くらいは大丈夫だろうけれど、それを盗もうとする連中や、蔵の食糧が尽きたあとが心配だった。農地は国に没収されてしまったせいで、家の敷地内にある小さな畑こそ残っているけれど、そんなもので自給できるわけがない。配給は、役員優先という職権乱用もいいところだといいたくなるような仕組みだ。地位のない農民に回ってくるころには当日の配給分が尽きていることもめずらしくない。


 そんな中、ふと街中を歩いていると、小さな子供たちが今も残っているさび付いた遊具であふれた公園で遊んでいるのを見た。

 テレビゲームは電気を使う。現状、コンセントに電気が流れていることは少なく、そういう遊びはできない。そんな中で、遊び盛りの子供たちは、暇を持て余すのではなく、公園で遊ぶことを選択したようだ。

 この状況に似つかわしくもないくらいに笑顔ではしゃぎまわっている姿に、少しだけ憧憬を覚えた。


 彼ら子供たちくらいの構え方でちょうどいいのかもしれない。どうしようもないものをどうにかしようとあくせくするくらいなら、どうしようもないものがあることを認めて、そのうえで自分に許されている程度の自由を謳歌する。

……そういう在り方があるってことを忘れて久しい人たちにとって、その在り方はずいぶん窮屈に見えるのかもしれない。今までと全く違う生き方をすることに恐怖を抱いて、今までの在り方を続けたいと執着しがちだ。そして実際は不要なものに執着しているのだと、そういうことを理解するのはなかなか難しく、同時に勇気がいることなのだと思う。


 そんなことを思っていると、空を目のくらむような光が通り過ぎていった。

 雷のように音が遅れて聞こえてきて、それを皮切りに周囲は騒然となる。

 避難警報は出ていなかったし、相当上空だったので、おそらく着弾地点は別なのだろうが、一応通過する場所でも警報くらいは欲しいと思う。しかし、それは難しいらしい。

 それにしても、あの一撃でどれだけの土地が焼き払われるのだろうか。人が一生をかけてできること以上のことが、一瞬にして終わる。そんな風景を目にして、言葉にならない思いが胸の奥でざわめく。


 実害がないのなら気にしなくていい。そう思うのは僕だけなのだろうか。子供たちも、少し時間が経ってみれば、すごいとはしゃいでいるだけで、大人のように恐怖で慌てている様子はない。


 これがこの世界の日常になりつつある。慣れていくべきなのか、それとも、これが異常な風景だと思い続けなければいけないのか。答えは出なかった。

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