90・ジーク 決着1
俺はジーク。ただの暗殺者である。
魔王軍はもう……。
サーラをヴィーダ様の元へ送った後、俺はひとまず距離を取って潜んだ。
とりあえず一人消した。……そう思っていた。
サーラがいくら膨大な魔力を持っていたとしても、ヴィーダ様に敵うはずがない。……そう思っていた。
後はまたじっくり策を練っていけばいい。……そう思っていた。
定期連絡で魔族領へ帰ったはずのネイファが、二ヶ月経っても戻ってこなかった。
あいつの翼は俺ほど速くはないが、二十日もあれば魔族領へと帰れるはずだ。
そして戻る時はヴィーダ様の転移で一瞬だ。
日に日に不安が募ってゆく。
俺は……俺は、もしかすると取り返しのつかない事をしたのではないのか?
さすがに何かあったと思っていいだろう。戻って確かめなくてはならない。
俺は十日を掛けて魔族領へと戻った。
ヴィーダ様の城は健在だった。それを視界に入れた時、俺は安堵した。
何故ならその城はヴィーダ様の魔力で作り出したものだからだ。つまり万が一ヴィーダ様の身に何かがあれば、その城も存在する事は出来ない。
城が消えないでいるという事は、ヴィーダ様はここに健在という事なのだ。
だが何かが違って見える。
今までは禍々しい雰囲気を醸し出していたそれは、跡形もなく消失していた。
俺は気を引き締め、辺りに気を配りながら城へと入る。
不安は的中した。
入ってすぐにネイファの死体が転がっていたのだ。その顔は恐怖に歪んでいる。
どれほどの恐怖を味わったものか、その恐ろしさを刻み付けた顔自体が、見るものにとって恐怖そのものだ。
外傷は見当たらない事から、ショック死もあり得る。
あまりにも恐ろしい目に遭うと、ショックで死に至る事もあるのだ。
いったい何があったというのだ。
この先に進まない方がいいのではないかと、一瞬だけ躊躇した。
さらに用心して気配を消し、隙のないように城の中を進む。
ネイファの死体以外、誰にも会わないというのもおかしい。
やがて玉座の間に辿り着くと、音を立てないように、ゆっくりと扉を少しだけ開ける。
覗いた。
目が合った。
そこには、ヴィーダ様専用に設えられた巨大な玉座あった。
……はずなのだ。だが今は、ごく普通の人間サイズの物が置かれていた。
玉座に座って片肘をつき、足を組んだ女が、俺が来る事を知っていたかのように、――こちらを向いていたのだ。
その目が合った。
その瞬間俺は動けなくなる。
恐怖でだ。
確かにあのサーラという女だ。だが雰囲気が随分と違った。
静かに視線を送るその表情は感情を窺わせない。冷たい眼だ。
俺の知っているサーラという女は、つねに不安そうな表情を浮かべていたはずだ。
この女は本当にあのサーラなのだろうか。
見た瞬間から俺を捉えて離さない、巨大過ぎる魔力のオーラ。
――恐怖の根源はこれだった。
それはまるで魔王様……いや魔王様どころではない。
圧倒的な存在がそこに居た。
絶対的な力が発現していた。
絶望的に抗えない事実があった。
このお方に何があったというのだ。
いったい何をどうすれば、このような存在になれるというのだ。
ヴィーダ様は居ない。このお方からすれば、ヴィーダ様など虫けら以下だろう。
ここにヴィーダ様が居ないという事は、そういう事だ。
ヴィーダ様亡き後でも消失しない城は、強制的に存在させられているだけだ。
このお方なら容易い事だろう。
俺は震えていた。全身でこれでもかと震えていた。
涙を流し、鼻水を垂らし、涎を垂れ流し、失禁さえしていた。
動く事も出来ない。動けるわけがない。
俺は死ぬのだ。そう覚悟した。覚悟させられた。
死は確実とされ、死は確信され、死は確定となる。
「わたし、ここから、動けないの」
突然話しかけられた。
「わたし、最後の、最後に、呪いを、受けちゃった、みたい」
何の……事だ。
「わたし、魔王に、なるみたい」
魔王……様?
「だから、アランたちを、連れてきて、アナタ」
それを聞いた瞬間、体の呪縛が解けた。
俺は全力でそこから離れた。
力いっぱい走った。
全身全霊で走った。
涙を流しながら、涎を垂れ流しながら。
口からは自分でも何を言っているのか分からない事を喚きながら。
途中に転がるネイファの死体を、弾き飛ばしたのにも気付かずに走った。
城から出て翼を広げ、これも全力で飛んだ。
あのままあの存在と対峙していたら、完全に狂っていただろう。
何故今生きているのかも分からなかった。
もしかしたら俺はすでに、死んでいるのではないかとさえ思えた。
それほどの恐怖を植え付けられた。
どこに向かって飛んでいるのかすら分からなかった。
とにかくここから離れたかった。
俺は……俺は……俺のすべてが、恐怖で支配されていた。




