77・誘惑
サジリナの家は確かに広かった。広いどころではない、豪邸だ。
「いらっしゃいませ。お客様。おかえりなさいませ。サジリナ様」
一人で住んでいると聞いたが、メイドが三人も迎えてくれた。
メイドは数に入れないらしい。
「ささ、遠慮なくお上がりくださいませ」
俺たちはぞろぞろとお邪魔する。
入ってすぐに吹き抜けの空間が広がり、その奥には真っ赤な絨毯が敷かれた二階へ続く大階段があった。
左右にはいくつも扉があり、いったいどれだけ部屋があるのか想像もつかない。
「すぐにお食事の支度をいたしますわ。いつもは専属の料理人が作るのですけど今夜は特別ですわ。私の手料理も振る舞わせていただきますわ」
専属料理人まで居るらしい。
「それまでは、二階の応接室でお寛ぎいただくとよろしいですわ」
サジリナはすぐに調理室へ向かったようだ。
メイドに案内された応接室で、フカフカのソファに座って感動した。
「アランお菓子食べていいなの?」
テーブルには色とりどりのお菓子が、硝子の器に整然と並べられていた。
「どうぞお召し上がりくださいませ。お客様」
メイドの許しを得て、ニナは嬉々としてお菓子たちに挑んだ。
「ただいまお飲み物をお持ちいたします」
メイドが下がった後で――
「アラン、気をしっかり持ってくださいね」
――フォウが俺を心配していた。
いつかの高級料理店の俺は、意識がどこかへ飛んで行ってしまったからな。
「大丈夫だ。まさか金は取らないだろう?」
あの時は金貨五枚も支払って、食べた料理の記憶がないという失態を犯したのだ。
「お待たせいたしました。紅茶でございます」
メイドが飲み物を俺たちに配った。
紅茶と呼ばれたそれは、初めて見た飲み物だった。
「なんだこれは? 赤いぞ」
「だから紅茶なのではないですか? アラン。わたくしも初めて見ましたけど」
「お好みでそちらの砂糖をお入れくださいませ。そのままですと少々苦味がございますが、砂糖を入れますと甘くなって飲みやすくなります」
メイドの説明を受けて、まずストレートで飲んだが俺には苦かった。砂糖とやらを入れるとしよう。
お子様たちも、砂糖をこれでもかという程入れていた。
「香りがいいな」
「本当ですね。いい香りがします」
カップを口元へ運ぶ時の香りが、すごく上品に感じた。
「紅茶は王都でもまだ出回っていませんので、とても珍しいものなのです」
メイドが説明してくれる。
「うむ。いいものだ」
「おいしい……です」
影が薄くて忘れがちだが、サーラもここに居る。紅茶にとても満足しているようだ。
「お客様。お風呂の用意もございますが、お食事の後になさいますか? それとも今お入りになられますか?」
風呂まで入れるらしい。
聞けば食事まではまだ時間が掛かるとの事だったので、俺たちは風呂をいただく事にした。
一階に戻り、数ある扉の一つを通った先には大浴場があった。
ちゃんと男と女で入る所が分かれていた。
「とんだ高級宿だなここは」
俺は呆れつつ女どもと別れ、男専用の風呂に入った。たまには一人でのんびり入ろう。
広い浴槽にどっぷりと浸かった。
ほどなくすると、扉の開く音がして誰かが入って来た。ニナあたりだろう。あいつは気にせず入ってくるやつだ。
俺は無視して湯船に浸かっていると、入って来た人影は俺の横に滑り込んできた。
「ご一緒してもよろしいですか? アランさん」
その声にドキっとして目を凝らすと、全裸のサジリナが俺の横に居た。
「え? ちょっ……え?」
俺は訳も分からず、言葉も出なかった。
サジリナの裸体は、某女騎士を彷彿とさせるほどに完璧なプロポーションだ。
「私が作る料理の準備は終わりましたわ。あとは料理人に任せてきましたわ」
いや、そういう問題じゃない。ええと、こういう時どうすればいいのだ。
「私と一緒じゃ……お嫌ですの?」
「いやいやいやいや……全然嫌じゃないです。むしろ大歓迎です!」
つい本音を言ってしまった。そうだ。ここにはフォウたちは居ない。俺は俺の進む道を行くのみだ。
女がそうしたいと言うのだ。断ったら可哀想じゃないか。
「嬉しいですわ。アランさん」
サジリナはそう言うと、俺の腕を取り、抱きかかえた。
……つまり胸が……豊満な胸が……。
物凄い感触だった。俺の腕がとろけるかというくらいに、柔らかく包み込まれていた。
頭が沸騰しそうだった。苦節二十五年。ずっと女っ気を遠ざけて過ごしてきた俺だ。
いや、したくても出来なかっただけだが。
サジリナの瞳は妖しげに俺を見つめ、心なしか潤んでいる。
誘っている? 誘われているのか? 誘ってほしいのか?
既に俺の腕は絡め捕られている。裸の胸にだ。ならばそういう事なのか? そういう事でいいのか? そういう事なんだな?
どれくらい悩み、考えていた事だろう。
湯の中という事もあって、完全に逆上せきっていた。色々な意味でも。
真っ白になった頭で意を決した俺は、左手をそろそろと女の胸に近づけた。抱かれているのは右腕だ。
「アラーン! もう出るなの―!」
ニナの声が響いた。
「そろそろお食事の時間ですわね。私は先に行って準備してまいりますわ」
サジリナは立ち上がって湯船から去っていった。
湯気を絡めたその色香は、俺の頭にこびり付いて離れようとはしない。
俺は今何をしていたのだろう。今起きた事もうっすらとした記憶となって霞がかかっている。
ボーっとした頭でなんとか着替えて外に出た。
「アラン、そんなに逆上せるほど入っていたのですか?」
俺を見たフォウが心配してくれるが、意識朦朧とした俺はそれに答えられなかった。




