39・温泉に入ろう
俯瞰して自分自身を眺めていた。
風景がどこか歪んで見えて、空以外のものの形がよく分からない。
空の部分が狭く、林の中に居るようにも見えるが、その色は緑ではなく灰色で、空に向かって乱立している。
何の音も聞こえない。
それなのにその場所が、騒然としているように感じる。
俺はただ歩いていた。
ここは何処なのだろう。
知らない場所だ。
知らない場所なのに、ここが何処なのか知っている気がする。
分からない。
見ている俺は何も分からないのに、歩く俺はすべてを知って、行動しているようにも見える。
その歩みに躊躇いはない。
どこか目的地を目指すように、ただ歩いていた。
◇ ◇ ◇
馬車に揺られて、少し微睡んでいたようだ。
何か夢を見ていたような気もするが、いつもの事で何も覚えていなかった。
今、手綱を握っているのはニナだ。
意外というか、ニナは馬の扱いが上手かった。
その安心感なのか眠くなってしまったようだ。
外を見れば、そろそろ日も落ちようかという時間になっていた。
王都まであと二日もあれば着くだろうという所で、最後の補給地である村に着いた。
ここでも俺たちは、外に出るつもりはなかった。
小さな村ではどうせ見る所もない。
サーラもなんだか眠そうにしているが、この数日ずっとだ。
夜はベッドでフォウと毎日抱き合って寝ているが、よく眠れていないのかもしれない。
魔力なしの人生を歩んできたサーラの事だ、心安らかに眠る事も出来ないのだろう。
サーラは本当に寡黙な少女だ。
その小さな身体でどのような辛い経験を積んできたのか、詳しくは聞けないが想像に難くない。
俺がそうだったのだ。今更、根掘り葉掘り聞く事もあるまい。
その厳しい十七年の積み重ねで、今のサーラが作られたのだと思うと、不憫で仕方がない。
言葉少なく、常におどおどしていて、魔力もないのに魔法の杖にしがみ付いて、絶えず人の目を気にして、年下のニナやフォウにまでずっと敬語口調だ。――『様』まで付けている有様だ。
俺と同じだ。……俺と同じで、ずっと底辺で生きてきたからだ。
何度となく絶望を繰り返し、毎日を生きるのが辛くて、俺などしまいには河に身を投げていた程だ。
もしかしたらサーラも、何度も死のうとしてきたのかもしれない。
女の身で絶対的弱者として生きてきたのならきっと、あんな事やこんな事までされる事もあったのかもしれない。
……いや、あったはずだ。
あんな事やこんな事をされてきたが故に、こんなに挙動不審で常に脅えた性格になってしまったのだ。
その証拠に男の俺に対してはいまだに、あの……とか、その……とかしか言えない。
同性のフォウに対しては、最初に比べたらかなり会話もしているようだし……。
やはりそうなのだ。
あんな事やこんな事を、幾度となく強要されてきたのだ……。
「あんな事……こんな事……」
俺が想像に妄想を重ねていると、フォウが近寄ってきた。
「今日はお風呂に入りたいです」
フォウはそう言うと、青い髪をフワリとさせて、外に出て行った。
風呂? あいつらの髪はいつだってサラサラじゃねえか。……何故だか分からんが。
旅の途中という事もあり、いつもは濡らした布で体を拭く程度なのだがそこは天使とはいえ女の子、そろそろお風呂に浸かりたくなったのかもしれない。
いや、天使どもは身体を拭いている所を見た事もないぞ。
さすがに女子という事で隠れてしていたのだろうか。
サーラはそうかもしれないが、天使どもは最初に温泉に入った時など、恥ずかしげもなく俺の前で裸になっていたほどだ。今更俺の前で身体を拭くのに、恥ずかしがる事もないような気もする。
よくよく考えてみると、これまで天使たちはいくら歩いても、戦闘をこなしても、汚れた様子はなかった。
着ているものなど、いつも新品同様綺麗なものだった。
返り血など付いた事もない。何かしら清浄作用が利いているのか、そういう魔法を使っていたのか分からないが、とにかく綺麗な状態を維持していたものだ。
まぁ、たまに入る温泉もいいだろう。リフレッシュ出来るしな。
「お風呂……ですか」
サーラが不思議そうにしている。
「フォウが魔法で温泉出してくれるんだ、サーラも入るといい」
「魔法で……温泉……」
「見せた方が早いか。一緒に外に出てみよう」
外に出ればすでに温泉が出来上がっていた。
馬車の影になり、なおかつ他の馬車からは見えない位置に作られていた。
さすがフォウ、抜かりはない。
「温泉の……匂いが……します……」
「フォウが化学魔法とやらで、温泉の成分を作り出しているからな」
「化学……魔法……」
サーラはなにやら愕然としていたが、さて風呂に入る順番はどうするかと思ったら――
「アランは最後に一人で入ってください」
――フォウの一言でそうなってしまった。
さすがにサーラも一緒にって事はないか。俺はすごすごと馬車に戻るのだった。




