30・変異体
「アラン、馬車に戻って下さい。早く」
一瞬何が起きたのか分からなかった。
首の無くなった男の後方を見ると、先ほどのダイアウルフよりさらに一回りデカいウルフが居た。
串刺しで倒されたウルフは体長二メートルほどだが、こいつは五メートル級だ。
その巨体からは想像できない速さでもって、男は瞬殺されたらしい。
口に男の首を咥えていた。それをべっと道端に吐き捨て、赤い眼光を光らせながら辺りを睥睨していたが、ニナの所で視線を止めた。
「このぉやろぉぉぉぉ!」
仲間をやられた『カサブランカ』の連中が揃って剣を向け突撃しはじめた。
「アラン、早く戻ってください」
フォウの再三の呼びかけに、やっと俺は動き出す。正直、足が竦んでしまっていたのだ。
フォウとニナをそのままに、俺は馬車に向かって走りだす。
あいつはヤバい。他のウルフと何かが違う。あれもダイアウルフなのだろうか。
チラリと視線を向ければ、信じられない事に既に『カサブランカ』の連中は魔獣の足元に横たわり、こと切れていた。
一瞬のうちに何があったというのか。しかもそのウルフはさっきの場所から微動だにしていないように見える。その眼光もニナに向けたままだ。野生の本能でニナの強大な力を感じているのかもしれない。
本当にヤバい。俺は二人を呼び戻した方がいいと判断して、叫ぼうとした。
その刹那。まったく意識していなかった方角から一匹のウルフが俺に飛びかかり、足に牙を立てやがった!
「うぎゃぁぁぁ! 痛い痛い痛い。こいつ足を齧ってやがる!」
小型のウルフをふとももに齧り付かせたたまま、俺は地面に倒れこんだ。
俺の視界には他にも数十匹の、大小様々なウルフの姿が飛び込んでくる。
足に齧りついたやつは小型のせいで顎も小さく、足を噛み切られる事はない。だが鋭い牙は俺の足から離れようとはしてくれない。
「痛い痛い痛いってば! ごめんなさい! だから離して!」
俺が泣き叫びながら地に転がり、ジタバタしていると――
「だからもう! 早く戻るように言ったじゃないですか!」
――フォウが俺を見とめて瞬時に駆けつける。
直前でジャンプし、くるりと一回転すると、その反動のままに俺に食いついているウルフの胴体に、蒼く輝く細剣を突き刺す。その一撃でウルフは絶命。足から牙が離れた。
間髪を入れず、剣を突き刺した姿勢のまま左手を前方に突き出し、右から左に振った。
近距離まで迫っていたウルフの群れを、その左手の一振りで燃やし尽くす。
フォウの掌は淡く赤く、ボウと輝いているが、ウルフの群れを襲った炎は青かった。
青い炎に包まれるウルフのシルエットは二十はあっただろうか。
光炎にその身を灰になるまで焼き尽くされ……。
「痛い痛い痛い! 血! 血が出てるぅ!」
激痛でそれどころではなかった。フォウの勇姿に見惚れている場合ではないのだ。
ニナじゃなければ回復は望めない。俺はニナの姿を求めて、視線を彷徨わせるとそこには、ニナと巨大ダイアウルフとの死闘が繰り広げられていた。
「……」
それは死闘と言えるのだろうか。
ウルフの巨体の頭にしがみ付き、齧りついている……。
そう。齧りついているニナの姿が、目に飛び込んできた。
一瞬、痛みも忘れて言葉を失った俺の隣で、フォウが叫ぶ。
「ニナ! なんで生なのですか! せめて火を通してください!」
え、そこ?
これ食ってるの?
「だいたい頭齧ってもお肉ないじゃありませんか! もっと肉付きのいい部位にしたらどうですか!」
やっぱり食ってるの?
暴れまわるウルフに動じもせず、ひたすら齧りつくニナは何を思ったか、今度はウルフの鼻に齧りついた。
「グオオォォォアオォォォ!」
短い前足を懸命に鼻にやり、ニナを何とかしようと暴れるウルフだが、彼女は離れてくれない。
その前足は確かにニナに届いているはずだが、傷を負わせるどころか押し離す事もできない。
「ニ、ニナ、俺はもうだめだ……血が……血が」
「アランもかすり傷じゃないですか! ちょっとくらい我慢してください!」
「お、お、お、お前、こ、こ、こ、これどう見ても重症だろぉぉぉぉぉ」
涙を流しながら訴える俺の目に、冷たい視線を返すフォウが映る。
「かすり傷です」
言い切りやがった。
だめだ、もう死ぬ。
「アランいたいなの?」
「え?」
目の前にニナが居た。
いつ離れたのかも分からずに、ウルフはポカンとしていた。
だが俺の目の前に移動したニナを見つけると、その眼光が妖しく光りだす。
「お、おい。見てる。こっち見てめちゃくちゃ睨んでるけど!」
「いま治すなのね」
「だからこっち見てるって! なんか目ぇ光ってる!」
「あの魔獣は強い魔力を持っていますね。ダイアウルフの変異体のようです。少しわたくしが相手をしてきますので、ニナはアランの治療をしてください」
「はいなのー」
次の瞬間ウルフの目が激しく光ったかと思うと、俺の体を凄まじい衝撃が襲った……ように錯覚したが、それは直前でフォウの両手に防がれたようだ。――あの攻撃でBランクパーティーを瞬殺したに違いない。
フォウは平然とその両手に、攻撃を受け止めていた。
「では行ってきます」
魔獣の魔力による衝撃波をすべて受けきると、彼女はちょっとそこまでといった感じで、ウルフに近づいて行った。
ウルフは魔力攻撃が効かないとわかるや、前足をフォウに対して振りぬく。
ブォォと風切音を轟かせ、巨大な前足がフォウを叩きつけたと思われた時には、彼女はそこには居ない。
ウルフの頭上、空中に現れた天使は両手を大きく広げ、青く美しい髪は天へと舞い上がり、咲き乱れる。
全身は神々しくも光輝き、目は閉じられていた。
口元は何かを呟いている。詠唱だろうか。
通常、詠唱を必要としない彼女がそれを口にする時、果たして何を意味するのか。
ブルーの瞳が開かれた時、景色は真っ白に染まった。
「滅びなさい」
何が起きたのかは分からない。ただ、青い髪の天使の目の前に居た巨大な魔獣は、包まれた光の中で塵と化して空へと昇ってゆくのであった。
「ニナのおにくが~~」
感動的な情景の中で、どこかの天使の叫びが聞こえた。




