#007「八月十日水曜日」
――お客様は神様ですって、客側じゃなくて、演じる側の真剣さを表す言葉だったんだ。ヘェ。
この一週間で、六千五百人以上が熱中症で搬送されたのか。国内全体で大変なことになってるなぁ。
メイクにネイルにコーデ。まだまだ暑いのに、秋冬のトレンドが目白押しだな。
そういえば、ドラマを見てたら妹から五月蝿いって言われたなぁ。
イケメンが好きなのは勝手だが、あんな自堕落な性格を直さない限り、白馬の王子様はやってこないに違いない。
*
「お疲れさまです、松本主任」
「お疲れ、木村くん」
「どうしたんですか? 険しい表情ですけど」
「タバコを、シガー・ケースごと忘れたみたいなの。旦那に聞いても、家には見当たらないって言うから、通勤途中のどこかだと思うんだけどね。まぁ、縁があればヒョッコリ出てくると思って、半ば諦めてるところ」
「困りましたね」
「落ち込んでばかりいられないけど、空元気も湧かなくて」
「無理なポジティブ・シンキングは、うつ病の元になるらしいですよ?」
「それ、今朝のトピック?」
「そうです。ドラマのイケメン俳優や、五輪の精悍なアスリートを観て癒されることを、お勧めします」
「旦那が嫉妬しないかしら?」
「旦那さんだって、特撮のセクシーなヒロインや、美人アスリートを応援してるかもしれませんよ?」
「そうかしら? 想像できないわ」
「でも、ゼロではないですね」
「どこから、その自信が湧いてくるのよ?」
「同じ男としてですよ。そうそう。脳を活性化させる生活術も紹介されてました」
「ひょっとして監修は、あの寝癖髪の脳科学者かしら?」
「そうです。意識して利き手でないほうの手を使う。思い出ソングを聴く。朝食にカレーを食べる。目を瞑って珈琲を飲む。一気呵成に整理整頓をする。見知らぬ人と会話する。親指を刺激する。風呂上りに頭から冷水を浴びる。こうした、ちょっとしたことで、グンと賢くなるそうです」
「そういうことを鵜呑みにするのは、賢い判断だと言えないけど、確からしいところなのかしら?」
「まっ。個人差はあるでしょうね」
「同じ人間で、コントロール群による二重盲検法を用いたランダム化比較試験なんてできないものね」
「……どういうことですか?」
「効果がある薬を飲むことと、効果の無い薬を飲むことを、同じ人間でテストできないってことよ」