#006「八月九日火曜日」
――この俳優も結婚か。芸能一家に女優が加わる形になったわね。
フゥン。湯上りにつけて、そのまま寝られるフェイス・パウダーか。浴衣で出掛けるときには重宝しそうね。
ヘェ。浴衣は、衣紋を引いて裾を気持ち短めにすると、風通しが良くなるのね。覚えておこう。
フェルト、ファー、スエード。秋冬はモコモコした素材が人気よねぇ。すぐ汚れるのが難点だけど。
ファザ・コン女子か。何でも女子を付ければ良いってものじゃないわよ。ただの甘ったれたオジサン・キラーじゃない。
*
「お疲れ、木村くん」
「お疲れさまです、松本主任。この冬はボーナスが出るらしいですね」
「耳が早いわね。その通りなんだけど、金額には期待しないほうが良いとだけ言っておくわ」
「そうですか? 貰えるだけありがたいと思いますけど」
「そうかしら? 賞与が出るということは、それまで余裕があったってことでしょう? 日頃、給料を低く抑えられていたんだと思って、腹が立たない?」
「まぁ、もっと高い給料を貰いたいものだとは思いますけどね」
「このまま今朝のトピックに繋げるけど、国家公務員の給与が三年連続で引き上げになったことで、議論百出してるみたい」
「僕としては、公務員で一括して引き上げるやりかたには、納得いきませんね。真面目に働いてる人ばかりじゃないでしょう?」
「ほうぼうで激務に追われる人間は引き上げるべきだと思うし、空調の効いた室内で判子を押すだけの人間は引き下げるべきね。それに、そんな予算があるなら、医療や介護に回すべきだとも言えるわね」
「あと、年功序列で仕事内容や給料が決まるのは、何でなんですかねぇ。とっくの昔に、経験がものをいう時代ではなくなってるのに」
「若者のほうが、新しい情報や技術に柔軟に対応できるものね」
「自分たちが下積みで苦労して学んだからって、それを押し付けないで欲しいですよ」
「若いうちに辞めると損になるような仕組みしにしておくことで、長く扱き使おうと企んでるのかもしれないわね」
「陰険な手口ですね。主任から何とか言ってくださいよ」
「おおかた、君はまだ若いから分からないんだって言われるだけよ。彼らにとってわたしは、生意気な小娘にしか映ってないの」
「何とも残念な構造ですね」
「木村くんも、ここに長く勤めていれば、そういう人間になるのよ」
「僕は、そんな人間にはなりませんよ。なりたくもないですし」
「それなら、わたしから助言するけど、独断と偏見に満ちた言葉だから、話半分で聞いてね。ここで頑張れないなら、どこに行っても駄目だという上司。テキパキと自分の仕事を片付けて定時に帰ろうとしたら、ノロノロやってる他人の仕事までさせる上司。手取り足取り仕事を教える気はないから、見て覚えろという上司。少なくとも、この三タイプの上司は、無駄な労力を強い、貴重な時間を奪うから近付かないこと。このコメントを信じるか信じないかは、木村くん次第ね」
「主任の発言は、キレキレですね」
「これでも、昔よりは丸くなったほうよ」
「以前は、もっと尖ってたんですか?」
「結婚するまでは、抜き身の刀剣扱いされてたわ」
「旦那さんが鞘ですか?」
「そんなところね。反りが合ってよかったわ」