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第67話 春の祝宴。

ついに最後の章となりました。

宜しくお願い致します。

 旅人が栗の巨木の洞の寝床へと戻ってから、しばらくの時が経っている。

 冬の間にうず高く積もっていた雪もすっかり溶けて、今は柔らかな新緑が大地を包み込んでいる。


 山神が封印を解いたため、草木は以前にも増して輝きに満ちているようだった。


「今日も良い天気になりそうだな……」


 差し込む朝日に目を覚ますと、旅人は一人呟いた。

 心地よい一日の始まりではあったのだが、しかしすぐに洞内がどこか空虚に感じられ首を巡らせる。


「ああ、そうだった……」


 旅人はまた一人呟くと入り口から見える森を眺めた。


 冬を越してすっかり大きくなったユッケは旅人の住む洞を離れ、今は森で元気に暮らしている。

 いつもトコトコと後を着いてきた姿を思い出すと僅かに感傷を覚えるが、同時に立派に育ってくれた事を旅人は嬉しく思っていた。


 それに住処を他所に移してからも、ユッケは時折旅人の元を訪ねてくれていた。


『──お父ちゃん』


 そんな風に旅人が感慨にふけっていると、どこからか可愛らしい声が聞こえてきた。

 それは脳裏に直接響く声。剛の者たちが使う剛の声だった。


 声の主は、すぐに可愛らしい瞳と、薄茶色の柔らかな毛並みを洞の入り口へと覗かせる。

 立派な牝鹿へと成長したユッケが今日も遊びに来てくれたようだ。


『お父ちゃん、戦お?』


「戦わない……」

 

 ユッケは残念そうにすんすんと寝床の匂いを嗅ぐと足を畳んでぺたりと座る。


 旅人の戦いを間近で見て育ったためか、或いは一族の血筋故か、ユッケは剛の者へと成長しつつある。

 旅人にはその事が少し残念だったが、大きくなっても可愛らしいユッケの姿を見るに、神格になるよりは良かったかなとも考える。


「……どんな歩き方したらそうなるんだ?」


 しかし、今ユッケの柔らかな毛並みはぼさぼさで、カモフラージュでも施したように草や葉っぱが絡み付いていた。


「そろそろ毛繕いを覚えような……」


 旅人はどこで育て方を間違えたのだろうかと首を捻りながらも指先で綺麗に整えてやる。

 ユッケは目を細めて気持ちよさそうにしているが、恐らく言う事を聞く気はないのだろう。


「──おはようございます、旅人さん。お迎えに来たのですよ!」


「やあ、旅人君! ユッケも一緒みたいだね!」


 今度はミノスケと、そしてカワセミが洞の入り口から顔を覗かせる。


『──ミノスケちゃん! 戦お、戦お?』


 ユッケはミノスケを見つけると嬉しそうに飛びかかっていった。


「──うわわわっ! 何するですかユッケさん」


「戦おうってさ」


「ミノスケは争い事は苦手なのです! やめてほしいのですよ」


 ミノスケの抗議の声にユッケはしゅんと落ち込むと、悲しそうに旅人を見る。


『……お父ちゃん、戦お?』


「だから、嫌だって……」


 今日は大河の上流に花見に行く事になっていた。

 春の訪れと旅人たちの帰還を祝い、カイコたちが宴を催してくれるのだそうだ。 


「そうだ、あれを持っていこうと思ってたんだ……」


 旅人はユッケの頭を撫でてなだめると洞の外へと向かった。


 栗の巨木の裏手には、その分厚い根っこに寄り添うように直径2メートルほどの球体がごろりと二つ転がっていた。

 深緑色の硬質な表皮には黒いギザギザとした縞模様が見える。


 昨年の夏に旅人が荒野から持ち帰ったスイカの種が、見事と言うには語弊があるほど大きく育っていたのである。


「──スイカじゃないか!? いつの間に植えていたんだい?」


「去年の夏に旅人さんがこっそり植えたものなのです。ミノスケも負けじとこっそりお世話をしていたのですよ」


 事実、種を埋めて以来ほとんど世話をしない旅人に代わり、ミノスケがせっせと手入れをしていたのである。

 

「……」


 旅人は不気味なほどに大きく育ったスイカを眺めていると、どこか懐かしさがこみ上げてくるのを感じていた。

 セミの谷へと旅をしたのが、今ではもう随分前の事のように思われる。


 そんな事を考えながら旅人がまるで大理石のようなスイカの表皮にそっと手を置いた──その時の事だ。


 突如、旅人の背後で地面が爆ぜた。


「な、なんだ──っ!?」


 慌てて振り向く旅人たちの視線の先に、恐らく地中から飛び出したであろう巨大な塊が土埃と共に降ってくる。

 日差しを浴びてテカテカと輝くそれは、軽自動車ほどの大きさがあり、茶色い単色成型のプラモデルのような表皮をしていた。


 それは、旅人もよく知る存在。セミの幼虫姿のアブライだった。


「アブライちゃんのお目覚めやでーっ! って──ぎゃん!」


 アブライが地面に降り立とうとしたその瞬間、着地点へと先回りしたユッケが、おもむろに後ろ足で蹴り飛ばす。

 目覚めたばかりのアブライは哀れ森の奥へと放物線を描いて消えていった。


「おおー、すごい威力なのです! さすがは旅人さんがお育てしただけあるですよ!」


「ああ、まさか幼虫の姿で空を飛ぶ事になるなんて、アブライもさぞ驚いたろうね!」


「……」


 旅人は、ユッケを囲んでなぜかわいわい言っているミノスケとカワセミを横目に、アブライの消えていった森の奥へと視線を向ける。


『お父ちゃん。ユッケ、倒したよ?』


 以前のユッケならきっとたんぽぽの綿毛のように膨らんで震えていた事だろう。

 旅人はアブライの事が多少心配ではあったが、逞しく成長したユッケの頭をぽんぽんと撫でてやる。


「偉いぞユッケ」


 怒声を響かせアブライが戻ってきたのはそれからすぐの事だった。



「初対面の相手をいきなり蹴飛ばすなんて、親の顔が見てみたいもんやわ!」


「旅人さんなのです」


「──なな、なんやてっ!? そら、どういうこっちゃ!?」


 今年の春は暖くなったため、アブライは早めに起きてきたのだそうだ。

 旅人たちはせっかくなのでアブライにスイカを押してもらい大河の上流へと向かう事にした。


 旅人たちがのんびりと春の川辺を歩いていくと、海のように広大な大河から、めだか号が元気に胸ビレを振っていた。



「旅人殿、他の皆様もようこそおいで下さいましたな」


 一面淡いピンクに包まれた世界の中で、糸にぶら下がったカイコが丁寧にお辞儀する。


 ピンクといっても決していかがわしい色ではない。

 自然だけが生み出せる春の彩り。サクラの花の薄紅色だ。 


 一片の花びらが手のひらほどの大きさがあり、微かに向こうが透けて見える。

 それが旅人たちの頭上を埋め尽くすほどに、モコモコとどこまでも繁っている。

 そして、そよ風に舞う花びらが旅人たちを歓迎するように降り積もっていた。


「──旅人よ、こっちだ! 早く来い!」


『ぐえっ!』


 景色に見とれる旅人にサクラの巨木の根元へと陣取ったララヴィとライデンが声をかけてくる。


 元気に手を振る彼女らもまた、今はこの地域で暮らしている。

 山神が霊峰を離れて以来、特にする事もなく暇にしているようだ。


 ララヴィたちの周りには白い芋虫たちが食事や飲み物を運びながらよちよちと集まっていた。


「ああ、どうも……」


 旅人は片手をあげてララヴィに応じる。


 すると、その手にふわりと張り付くものがあった。

 ふわふわと宙を舞う子犬のような可愛らしい姿をした黄色い毛玉だ。それが五匹もいる。


 旅人の手に留まった一匹が、顔の三分の一もありそうな大きな瞳で覗き込んでくる。


「ハッチンヨー」


「タビビトサンヨー」 


「フンドシサンネー」


「ハッチン、ハチミツアゲルノヨー」


「キョウキランブー」


 目覚めたばかりのハッチンたちもハチミツを持って遊びに来てくれていたようだ。


 旅人は予期せぬ再会に頬を緩める。

 

「ハッチン──う、クマたんも……」


 ハッチンたちの後ろにはまだ眠いのか目を擦りながらふらふらと飛ぶクマたんの姿もあった。


「ふぁあ……旅人たん、良い子にちてまちたか……?」


「あ、はあ……」


 相変わらず幼女の姿をしたクマたんの舌足らずな言葉に、旅人は一応頷いておいた。



「──そこで旅人さんは叫んだですよ! エコロジスタ! なのです!」


「ああ、あれは神々しいまでの美しさだったね!」


「相変わらずむっちゃくちゃやん!」


「悪はかなやずほよびゆの! それがさらめなの!」


「──しかしミノスケよ。私とライデンの活躍も忘れてもらっては困るぞ!」


『ぐえっ!』


 旅人たちのスイカやハッチンたちのハチミツも振る舞われ、宴は多いに盛り上がっていた。

 その中心ではミノスケがむしゃむしゃとサクラの花びらを頬張りながら、旅人の戦いを主観たっぷりに熱く語る。


 周囲を囲む芋虫たちも「キーキー」と興奮した様子で話を聞いている。


「──残念ながらララヴィさんは、噛ませウサギさんでしかなかったのですよ。なんだか可愛らしいのです」


「ぐっ! ミノスケめ! なんと雄弁に語るようになった事か……」


 ララビィは悲しいのか、嬉しいのか良くわからない表情でふるふると耳を震わせていた。


「まあ、いいか……」


 サクラの花びらの上に座って遠巻きに見ていた旅人は、芋虫たちから貰った果実酒に口をつけると呟いた。 

 隣ではユッケがどこか楽しげな様子で桑の実を食べている。

 そして旅人の両膝と両肩、頭の上ではハッチンたちがじゃれている。


 凄まじい癒し状態にある今の旅人は、ミノスケを止める気持ちが起きなかった。


「そういえばカナブン丸は……?」


 旅人がようやくカナブン丸の姿がない事に気付いた時の事だった。


 頭上から既に見慣れた試着室のカーテンと、そしてサクラの花で紡がれた美しい着流しが糸に吊るされ降りてくる。


「さあ、旅人殿。新たな着流しをご用意致したましたぞ。紅葉の着流しではもう暑いでしょうしな」


 カイコの言う通り旅人は微かに熱を放つ紅葉の着流しをこのところ少し暑く感じ始めていた。


 旅人の目の前へと吊るされた新たな着流しは、薄紅色のサクラの花の可憐さを見事に活かした仕立てになっている。

 そして、全体的に薄っすらと透けていて、着る者が着ればさぞや魅惑的なものとなるだろう。 


「いや、それはいらない……」


「な、なんですと!」


 しかし、旅人はそんな趣味も度量も持ち合わせてはいなかった。

 

「ハイ、ハイっ! ほな、わてにちょーだいそれ!」


 カイコの説得を頑なに拒否する旅人の横からアブライが名乗り出てくる。

 幼虫姿のアブライの頭がパカッと割れて、そこからひょっこりと淡い緑色の髪をした少女が顔を出す。

 その整った顔立ちの中、一際目を引く黄金色の瞳には旅人の姿が映っていた。


「あ、しもうた……」

 

 アブライは小さくそう言うと、そそくさと脱皮を終えて試着室へと入っていった。


「……」


 旅人は全裸のアブライから視線を反らすと残された抜け殻を冷めた目で見る。

 あまりにもあっさりと脱皮した事に納得がいかなかったからだ。


「本当に良いのですかな……?」


 旅人の了承を得るとカイコがしぶしぶといった様子でアブライの背中の羽根が出るようにサクラの着流しを仕立て直していた。


「──久しぶりだなァァ! 旅人ォォォ!」


 聞き慣れた喧しい声に旅人が視線を向ければカナブン丸が飛んで来る。

 前足には大クヌギの樹液酵母を抱えていた。


 カナブン丸は、金剛丸のいなくなった大クヌギの木を狙う神格や、剛の者たちと日夜激しい縄張り争いを繰り広げているという。

 今日も早起きのクワガタたちを蹴散らしてきたのだとカナブン丸は誇らしげに語った。


 片翼のカナブン丸。

 その姿は旅人が初めて出会った頃よりもどこか精悍なものになっている。


 柴犬程度だった大きさも、今では秋田犬ほどの大きさになっていた。

 いつの日か金剛丸にも劣らない存在になるのかもしれないなと旅人は思う。


「少し大きくなったんじゃないか?」


「おうよォ! お前は相変わらず腑抜けたツラしてんなァァ」


 口の悪さは相変わらずだと旅人は苦笑する。

 カナブン丸は芋虫たちに樹液酵母を渡すと果実酒を受け取って美味そうに啜っていた。


「──見て見て! 旅人はん、お揃いやん!」


「アブライ、そんな事より……」


 サクラの着流し着たアブライが、周囲にその姿を見せびらかすよう宙を舞う。

 背中が大胆に切り開かれ、そこから伸びる半透明の羽根が輝く燐粉を振り撒きながら揺れている。


 微かに肌が透けているため、多少目のやり場に困ってしまうものだったが、アブライの美しい容姿にとても良く合っていた。

 しかし、旅人はそんな事よりも脱皮の件に未だ納得していない。

 昨年の夏、洞の入り口を占拠された事が今更ながらに苦々しく感じられた。


「──そんなんどうでもええねん。それより、今はエコロジスタぁーっや! どや!? どやっ?」


「知るか……」


 アブライは旅人の目の前にふわりと降り立つと、何がしたいのか必死に羽根を震わせ力んでいた。


「全くなってないのです」


「ああ、微塵も輝いてないね」


「──な、なんやてっ!? 不良品やん!」


「セミの姫よ。貴方には使いこなせないようだな。それは私が代わりに貰い受けよう」


「力に溺れてはいけまてん!」


「──ま、まだや! まだ終わらんで! わての生きざまよう見とき!」


 女性陣がよく分からない盛り上がりを見せている。


「……」


 しばらく呆れた目で見ていた旅人だが、ふいに笑いがこみ上げてくるのを感じた。

 そこには旅人が永久の森で出会った多くの者たちが集まっていた。


 いくらか姿の見えない者もあったが、誰もが皆、楽しそうにしている。


 旅人は満ち足りた気分だった。


「ん……?」


 その時ふと、誰かが呼ぶような、奇妙な気配を旅人は感じた。


『お父ちゃん?』

 

 隣に座るユッケが不思議そうに旅人の顔を見上げてくる。


「いや、すぐ戻るよ……」


 旅人はユッケの頭を撫でると、まだじゃれているハッチンたちに体から降りてもらい、宴の輪からそっと抜け出した。


 そして、何かに誘われるように、一人サクラ舞う森の奥へと足を踏み入れていくのだった。








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