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第64話 折れないもの。

 現世の理から逸脱した出来事の多い永久の森では音速すら超える者がいる。


 マッハ1の速度が1秒間に進む距離はおよそ340メートル。

 旅人たちの住む栗の巨木のある地域から、現在旅人たちのいる霊峰山頂までは直線距離にしておよそ50キロメートルほど。


 つまり、音速すら超える存在であれば、ものの数分で辿り着けてしまう距離である。

 


『──金剛屠龍撃ズムウォルト・ミサイル


 旅人の目の前までナウマンゾウが迫った時、その牙を中心に、突如として嵐のような爆発が巻き起こった。


「ぐっ──!」


 爆風に飲まれた旅人は、気付けば雪原をゴロゴロと転がっていた。

 目まぐるしく回転する視界の中でナウマンゾウの巨体がゆっくりと仰向けに倒れていくのが見える。


『──グヴォォォォーンッ!』


 ナウマンゾウが倒れると、今度は大きな衝撃と津波のような雪煙が旅人を襲った。 


 それはほんの一時の出来事だったが、旅人には無限の時間のようも感じられた。


「ゴホッ、ゴホッ……」


 銀色の雪煙に覆われた視界の中、ナウマンゾウの怒声とも呻きとも取れる不気味な雄叫びだけが響いている。 

 

『あれで仕留めきれないか……』

 

「なっ……!?」

 

 旅人は雪煙の中に佇む金剛丸の姿を見つけた。

 何が起きたのかを瞬時に理解する旅人だったが、その姿は旅人の知るものとはあまりにもかけ離れたものだった。


 金剛丸は「よう」とばかりに片方の前足を上げるが、その先端が欠けている。


「金剛丸……」


 ナウマンゾウの危険性を察知した金剛丸は、自身の縄張りから長距離弾道ミサイルが如き突撃を敢行したのだが、その反動はあまりに大きかった。


 まるで戦車の大砲のように強大だったその角すらも半ば辺りで折れていた。

 全身に深くひび割れた傷があり、そこからドクドクと流れ落ちる体液が銀色の雪原を緑に染めていた。


『まあ、なんとかなんだろ』


「その傷で……?」


 永久の森に住む者たちの生命力は計り知れないものがある。

 それでも決して不死という訳ではない事を旅人は知っていた。


『旅人よお。角が折れる事なんかより、心が折れちまう事の方が、男にとってはよっぽど重症なんだぜ?』

 

 金剛丸はギチギチッと笑うように関節を鳴らすと外羽根を広げて再び戦闘体制に入る。


 薄れ始めた雪煙の中、ゆっくりと身を起こすナウマンゾウの巨体が見える。

 ナウマンゾウもまた、全身に深い傷を負い、その左の牙は根元から砕け散っている。


『──いくぜっ!』


 粉雪と緑色の体液を撒き散らしながら、再び金剛丸がナウマンゾウ目がけて飛び立った。


 ナウマンゾウがその巨大な鼻と、残された右の牙を振るうのを、金剛丸は折れた角で真っ向から受け止める。

 その度に飛び散る緑色の血しぶきが、雪原を少しずつ染めていた。


「ち、ちっと油断しちまったぜェェ……」


 意識を取り戻したカナブン丸も雪の中からよろよろと這い出てきた。

 そして、ふらふらとバランスを失いながらも飛び立つと、再びナウマンゾウへと立ち向かう。


『なんだお前、生きてたのか?』


『うるせェェェ! こいつはオイラと旅人の獲物だァァァ!』


「……」


 窮地に屈する事なきその精神は、甲虫特有の闘争本能によるものなのだろう。

 しかし、旅人は胸の奥が熱くなるのを感じていた。


『──明日もきっと楽しい事がたくさんあるのです』


 その時に旅人の頭に浮かんだのは、なぜかそんな言葉だった。

 いつ聞いたのかも思い出せないし、大体いつもそんな事を言っていたようにも思える。


「でも、そうだな……そうじゃないといけないな……」


 あの危険なナウマンゾウをこのまま野放しにしておく訳にはいかない。

 旅人はおかしな住人たちばかりが住むこの永久の森が今では大好きになっていたからだ。


 既に紅葉の着流しの力も失われ、旅人自身も満身創痍である。


「それでも、心は折れてないぞ……」

 

 旅人は自身にそう言い聞かせると気力を奮って立ち上がる。

  

 ……まだ戦うんだね。旅人くん。


 その時、旅人に語りかけてくるものがあった。

 以前に聞いた時よりもずっと弱々しいものだったが、それは紅葉の着流しの声だった。


「ああ、もう少し頑張ってくれるか……?」


 ……もちろん。どこまでも一緒に戦うよ。


「──紅蓮の咆哮ファイアストーム!」


 旅人が叫ぶと着流しは微かに赤い輝きを放ち始める。

 その熱量はナウマンゾウに挑むには、あまりも頼りないものだった。


「それでも──ッ!」


 ──待って、待ってよ旅人くん。今回ばかりはぼくたちだけでは手に負えないよ。


 勢いのままに走り出そうとした旅人は、着流しの声に転びそうになるのをなんとか堪える。


「……どうすればいい?」


 旅人は戸惑いながらも話の続きを聞く事にする。

 今のままでは何もできない事を旅人自身よく分かっていた。


 ──周りをよく見て。こんな暗い場所にでもぼくたちの仲間はたくさんいるよ。


 きょろきょろと辺りを見渡す旅人は、視界の隅にララヴィが落としていったであろうススキを見つける。


「……」


 手に取ってみればそれは微かに輝いているようにも見える。


「──金色の誉サンダーヴォルト!」


 祈るような気持ちで旅人は叫ぶ。

 愚かしくも思えたが、案外そういう事を着流しは伝えたいのかもしれない。


 そして、ススキの穂先からは、旅人の淡い期待に応えるようにゆらゆらと光の粒子が湧き出てきていた。


「なるほど……」


 旅人は再びナウマンゾウを見据えた。

 そこには頼もしき二匹の甲虫たちの姿もある。


 旅人は今度こそ全力で走り出した。


 銀色の雪だけが照らす薄闇の中、その身に赤と金の輝きを纏いながら。







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