第63話 緑色の残光。
「なぜじゃ、なぜ封印が解けているのじゃ……」
キツネたちに手を引かれ洞穴を出てきた山神が呻くように呟いた。
洞穴からは地下の森林に住んでいた生き物たちが次々と逃げ出してきている。
「旅人くん、ボクらも早く逃げた方がいいよ……」
ふいに背後から聞こえた声に、旅人が振り返ればそこにはカラスがいた。
闇に溶け込むような黒い体の上に血の気の引いた青白い顔だけが浮かんで見える。
「いや、でも……」
「旅人さん、一先ずユッケさんをお預かりするのです」
「旅人君、急いだ方がいい! あれは不用意に近付いてはいけない存在だ!」
ミノスケとカワセミが駆け寄ると、旅人はユッケを抱いていた事を今更ながらに思い出す。
そして、ミノスケの頭の上にユッケを載せた。
『──グルヴオオォォォーンンッ!』
その時、ナウマンゾウの雄叫びが、再び大地を激しく震わせた。
『小さき……憎き……人間……』
憎悪に淀んだ暗い瞳がいつの間にか旅人へと定められている。
「いかん、皆の者逃げるのじゃ……」
圧倒的な威圧感だった。
剛の者とか、強者とか、そういった次元のものではなく、全ての終焉を予期させるような、それはそんな存在だった。
山神を連れたキツネたちや地下に住む生き物たちがバタバタと逃げ惑う。
旅人はそれをどこか遠い出来事のように感じていた。
「た、旅人くん、ごめん! ボクは先に逃げるよ! カ、カラスはさ、好きなんだよ、光り物が──本当にごめんね!」
「え……?」
夜空に紛れるように消えていくカラスの胸元にはちらりと光るものがあった。
ナウマンゾウの出現により既に祭壇は吹き飛んでいるが、恐らくカラスはそこにあった古びた鏡を持ち出してしまったのだろう。
「旅人ォォ、来るぜェェ!」
いつになく緊張したカナブン丸の声が響く。
「──お主ら何をしとる! 早く逃げるんじゃ!」
「山神様、早く、早く~っ!」
キツネたちと合流した朱雀とスズメたちが山神を無理やり引っ張っていく。
鳥居の先の氷の階段は地下から逃げ出た生き物たちで大渋滞となっている。
「──行くぞライデン! 今こそ永久の森と、そして山神様への大恩を返す時!」
『ぐええっ!』
ララヴィを背に乗せたライデンが雷光を纏って雪原を駆ける。
「唸れ! サンダーヴォル──ぐわあああーっ!」
しかし、ナウマンゾウがその鼻を無造作に振り上げると、ララヴィとライデンは一瞬にして天高く吹き飛ばされていった。
山頂の雪原を悠に超え、そのまま青白く輝く凍土へと吸い込まれるよう落ちていく。
『グルヴォォォーン!』
振り上げた鼻をそのままにナウマンゾウが走り出す。
凄まじい地響きと、そして圧力が旅人へと迫る。
「──紅蓮の咆哮!」
旅人は叫ぶと同時に大地を蹴った。
上空から自身のいた場所を見下ろせば、大地が陥没し白煙をあげていた。
その余波により氷の鳥居は砕け散り、洞穴のあるとんがり山も半壊していた。
氷の階段の先からは悲鳴が聞こえている。
その中には頭にユッケを載せたミノスケやカワセミ、それに山神たちの姿もあった。
『──よくもっ!』
旅人は宙をかくようにしてナウマンゾウ目がけて降下していく。
視界の隅には追従するようにカナブン丸が突撃していく姿も見える。
──いくぞ!
紅葉の着流しは旅人の戦意に呼応するように紅蓮の炎を噴き出している。
旅人はナウマンゾウの頭上に到達すると、その巨大な耳に向けて全力で両手を叩いた。
『──必殺、旅人だまし!』
着流しの業火を込めた渾身の一撃は、球体状の衝撃波を生み出すと、炎の燐粉を纏いながら周囲に広がっていく。
しかし、ナウマンゾウの暗い瞳には、なんの驚きも映ってはいなかった。
──聞こえてない!?
音の消えた世界の中、旅人は自身の失敗と、そして死を悟る。
ナウマンゾウの巨大な牙が、旅人目がけて横なぎに払われようとしていたからだ。
「──ォォォ!」
硬いドッジボールでも当てられたような衝撃に、旅人は大地を転がった。
「痛っ──!」
見れば、紅葉の着流しが枯れていた。
左のわき腹から右肩までがバッサリと切り裂かれ、そこから真っ赤な血が吹き出ている。
しかし、旅人は生きていた。
それに叩きつけられた方向もおかしい。
「なっ──!」
激痛を堪えて顔をあげた旅人は、目の前の光景に言葉を失った。
ナウマンゾウになぎ払われたカナブン丸が雪原へと突き刺さる。
旅人は既に何度も似たような光景を見ていたが、今までのものとは明らかに様子が違う。
本来カナブン丸の背にあるべきはずの外羽根が一枚、旅人の目の前へと落ちてきていたのだ。
これまで数々の強敵の攻撃からカナブン丸を守り続けたメタリックグリーンに輝く頑強なそれが、どこか虚しい音を立てて雪原へと突き刺さる。
「カナブン丸……」
その時、旅人はようやく何が起きたのかを悟った。
旅人がナウマンゾウの牙で払われる直前、カナブン丸は旅人を突き飛ばした。
そして、代わりにその牙の犠牲となったのだ。
雪原に僅かに見えるカナブン丸の後ろ足はピクピクと力なく痙攣していた。
『汝に滅亡を……』
ナウマンゾウは再び旅人を見据えると、ゆっくりと動き出す。
「……」
紅葉の着流しの力は既に失われている。
身を挺したカナブン丸の行動も、目前まで迫った終焉の時を僅かに遅らせただけなのかもしれない。




