第61話 謎の氷塊。
「ご明察の通り、わしが山神じゃ」
白いキツネたちの運ぶ手押し車に乗った老婆がしわくちゃな笑顔を浮かべて言う。
古ぼけた小さな木の切り株のようなお婆さんだ。
旅人にはそれがこの巨大な森の支配者の姿には到底見えなかった。
「まあ、こんな所で立ち話もなんじゃな。着いてくると良い」
「でも、山神様。この人たち危ない人たちじゃないんですか? なんだか前にやって来た剛の者たちの軍団と似たような感じがしますよぅ……」
山神は旅人たちを鳥居の先へと誘うが、朱雀は未だに警戒している。
縛られたままでいるララヴィが「大丈夫だ。問題ない」などと胸を張って答えるがそれも逆効果でしかないだろう。
「朱雀や。剛の者たちはいざという時この森を守る尖兵となるべき存在じゃぞ? そう毛嫌いするものではないよ」
「それはそうですけどぉ~……」
山神にたしなめられた朱雀はスズメたちと共に山神の後に続いて氷の階段を登って行く。
旅人たちもキツネたちの引く手押し車ののんびりとした速度に合わせてぞろぞろとその後に続いた。
鳥居を抜けた先は広い雪原になっていた。
少し行った所に小さな山があり、そこにぽっかりと開いた洞穴が見える。
とんがり帽子のような形をした20メートルほどの高さの山だ。
恐らく山頂なのだろう。
周囲には他に視界を遮る物もなく、空を覆う銀色の雲は今にも手の届きそうなほどの位置にある。
雪原の端からは旅人たちの歩いてきたであろう凍った大地が真下に広がり、反対側の端の先は薄っすらと靄がかかったように霞んでいる。
「あれは……?」
ふと足を止める旅人の視線の先には、雪原に突き刺さるように埋もれた大きな氷の塊があった。
まるで慰霊碑のように佇むその氷塊の前には小さな祭壇が祀られており、そこに古びた鏡が置かれている。
「古い馴染みでのう。わしがこの森を育んだ頃からの付き合いなんじゃ。いたずらしたりしたらいかんぞ?」
「……」
旅人には無論いたずらしようなどというつもりはなかったが、その場所からは何やら嫌な気配が漂っている。
それは旅人が町で暮らしていた頃に何度も感じた事があるものだった。
「ねぇ旅人くん。あれ、綺麗だねぇ……」
カラスの視線は旅人とは違い、祭壇に置かれた古びた鏡に向けられていた。
何か特別な力があるものなのか、ゆらゆらと波打つように優しげな輝きを放っている。
「ムム、以前拝見した時よりも、何やら傾いているような気がするのですよ」
「本当だ。地震でもあったのかな?」
ミノスケとカワセミは二人して体を傾けながら氷塊を眺めている。
ララヴィも何やら難しい表情をしていた。
「ふむ……それはそうとミノスケや。そろそろララヴィの縄を解いてやったらどうなんじゃ? さっきから朱雀が心配そうにしておるぞ?」
「むぅぅ……いくら山神様のご命令でもこればかりは聞けないのです。旅人さんに許可を頂いてほしいのですよ」
「……なんでだよ」
旅人は、山神のどこか面白がるような微笑みと、朱雀の責めるような視線に理不尽なものを感じながらもミノスケにララヴィの縄を解くように伝えた。
「旅人さんの温情に感謝するのですよ?」
「うむ! 旅人よ、感謝するぞ!」
「……」
旅人はこの地に来てしまった事を本気で後悔し始めていた。
山頂の洞穴は地下へと続いており、入り口こそ狭いものの内部には広大な空間が広がっていた。
地下であるにもかかわらず足下には草木が生い茂り、どの植物もその葉脈から暖かな金色の輝きを放っている。
それらは地下に広がる森林を地表よりも明るく照ら出していた。
「さあ、お主らも楽にすると良い」
手押し車を降りた山神は一際立派な一本の大樹の根元に腰を下ろす。
旅人たちの住む地域に生えていてもおかしくないような大きくて立派な木だった。
銀色の雪の天井を押し上げるように、旅人たちの頭上を枝が覆っている。
空になった手押し車をキツネたちがじゃれ合うように運んでいくのを見送りながら、旅人たちも地べたに腰を下ろした。
久しぶりの柔らかな芝の感触を楽しむ旅人の隣では、早くもミノスケがむしゃむしゃと辺りの芝を頬張っている。
「お主が旅人じゃな? 随分とやんちゃばかりしておるらしいのう。噂は耳にしておるよ」
「……」
からかうように微笑む山神に、旅人は恨めしげな視線を向けた。
しかし、実際の所それほど嫌な気分でもなかった。
山神からは不思議とどこか人を安心させる雰囲気が感じられる。
「山神様~、人間って何を食べるんですかねぇ~?」
朱雀を先頭に、スズメやキツネたちが木の実や葉っぱの入った木の器を運んできてくれた。
どうやら旅人たちに食事を振る舞ってくれるようだ。
「なんだか腐葉土とか好きそうな顔してますねぇ~」
「……」
朱雀から僅かに感じる敵意に怯みながらも旅人は、その日山神から多くの事を聞くこととなる。
そして、その日は山神や朱雀たちにとっても、後に大きな意味を持つ特別な日となるのであった。




