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第58話 オーロラの夜。

 まだ夕暮れ前にも関わらず、夜のように薄暗い凍った大地を旅人は興味深く眺めて歩いた。

 

 そこには青白く幻想的な輝きを放つ美しい世界が広がっている。


「これは木なのか……?」


「はいです。氷の木なのです。残念ながら葉っぱは実らないですよ……」


 見上げるほどの高さの氷の塊の前で足を止めた旅人に、ミノスケが本当に残念そうに言う。


 尖ったサボテンのような形をした氷の塊には、中心部にぼんやりと光る芯がある。

 それは根元から枝の先まで伸びていて、薄闇の中に氷の木の青白い輪郭を浮かび上がらせていた。


 あちらこちらに群生している剣山のような氷の草も同様に光る芯がある。

 それらの光と、空を覆う銀色の雲の輝きが、この凍土全域を淡く輝せているようだ。


「どうして光ってるんだ?」


「暗いからなのです」


「……まあ、そうだろうな」


 ミノスケから予想通りの言葉が返ってくると旅人は改めて周囲を見渡した。 


 どこまでも続く凍土の先には、こんもりとした山がある。

 山頂に積もる雪は、そのすぐ上を覆う雲と同じ銀色をしていた。


 青い台座に銀の帽子を被せたようなその山は、けして険しいものには見えないが、どこか神聖な雰囲気が感じられる。


 それが山神の住む霊峰だという。


「……」


 いよいよ山神の存在を身近に感じ始めた旅人は気を引き締める事にする。

 ここまで来た以上会ってみたい気持ちと、できれば会いたくないと思う気持ちと、今は半々くらいだった。


「旅人ォォ! ヘンなヤツがいたぞォォ!」


 複雑な心境で霊峰を見つめていた旅人に、カナブン丸から声がかかる。

 カナブン丸は雪玉のような白い塊の周りをぐるぐると飛んでいるようだ。


「カナブン丸も充分ヘンだけどな……」


 カナブン丸が見つけたものは白くて丸い1メートルほどの塊だった。

 遠めには大きな雪玉のようにも見えたが、近くで見るとモフモフしている。


『くえっ?』


「──うわッ!」


 好奇心に駆られ、そっと手を伸ばした旅人の目の前で、白いモフモフの上部がぐるりと180度回転する。

 黒いクチバシに黒い瞳。体格の割りに小さな頭部がそこにあった。


 それは、大きな白い鳥だった。

 

 背中の羽毛に顔を埋めて休んでいたようだ。


「おや、君はライチョウかい? こんにちは」


『ぐえっ』


 カワセミが声をかけると、ライチョウも立ち上がってお辞儀を返す。

 旅人にはその鳴き声が剛の声にも聞こえたが、すぐに気のせいだと思う事する。

 それよりも、短い足首までもが白い羽毛で包まれているあたりになんとも言えない可愛らしさを感じていた。


「大きな鳥さんなのです」


「お前ェ、こんな所で何してんだァ?」


『くえ?』


 カナブン丸の問いかけに、ライチョウは「何してたっけ?」とばかりに首を傾げる。

 その仕草はとても可愛らしいが、どうやら見事な鳥頭のようである。


「──ライデン、何か見付かったのか?」


 どこからか凛とした声が響く。


 旅人が声の主を探すと、いつからそこにいたのかライチョウのすぐ側にもう一つ白い人影があった。


 丈の長い真っ白なファーコートを着た女性だ。

 片手には錫杖のような、身の丈よりも大きなススキを持っている。

 髪の色まで真っ白で、目の色だけが赤かった。

 そして、頭の上にはぴんと長く伸びた耳らしきものが生えている。


『ぐえっ! ぐええっ!』


 ライデンと呼ばれたライチョウが、慌てた様子で白い女性に何やら伝える。


「──おおー、そのお耳はララヴィさんなのです! ミノスケですよ! お久しぶりなのです!」


「本当だ! ララヴィじゃないか! 久しぶりだね、私達の事を覚えているかい?」


 ララヴィは冷めた瞳でライデンを見ていたが、ミノスケとカワセミの声を聞くと、その長い耳をピクリと反応させた。


「ミノスケ、それにカワセミか! 久しいな──ッ!」


 ララヴィはミノスケとカワセミに柔和な表情を見せるが、その視線を旅人に移すとすぐに表情を強張らせた。


「……不穏な気配を感じて来てみれば、人間に……そっちは、カラスか……」


「……」


 殺気を含んだララヴィの視線に戸惑う旅人の横では、カラスも居心地悪そうにしていた。


 

 ララヴィは剣で戦う剣術や、槍を扱う槍術のように、ススキで戦うススキ術という独自の流派を開眼したウサギの神格の少女である。

 かつてその技を磨くため、永久の森各地を廻り武者修行の旅をしていたのだが、その頃にミノスケとカワセミと知り合っていた。


 微妙な空気の流れる中、ミノスケが「皆さんでご飯にするのです」と言い出すと、ララヴィとライデンも交えての夕食となった。


 しかし、どことなく気まずさを感じていた旅人は、そそくさとその場を離れ、カナブン丸と近くにある氷の木の元へとやって来ていた。


 旅人はどんぐりを齧りながら、氷の木の樹液を吸うカナブン丸の姿を眺める。

 氷の木から淡い光が漏れ出ると、カナブン丸の体も微かに発光しているようだった。


「た、旅人ォォ! オイラ今、輝いてないかァァ!?」


「ああ、みたいだな……」


 旅人は呆れたように言うとどんぐりを再び齧った。

 

 ミノスケたちは古い付き合いのようで楽しげな話し声が聞こえてきている。

 旅人は氷の木に背を預けて座ると、トコトコと着いて来ていたユッケを膝の上に乗せてやった。


「ほれれれふね、たびびろふぁんのひっはつわらがひをふくれすよ!」


「食べるか、喋るかどちらかにしろ」


 葉っぱを頬張りながらも興奮した様子で何やらもごもご喋っているミノスケを、ララヴィが軽くたしなめる。


「……しかしまあ、達者に暮らしているようで安心したぞ」


 必死に口の中のものを飲み込もうとしているミノスケの頭をララヴィは優しく撫でた。


 今ひとつ空気が読めないところのあるミノスケは、以前はいつも一人でぶらぶらと遊んでいたものだ。

 その事を思い出すララヴィは、以前と違うミノスケの様子を嬉しく感じて微笑んだ。


「旅人君が来てから向こうは本当に賑やかなんだよ。ララヴィもたまには遊びに来たらどうだい?」


「それは止めておこう。今の私は山神様に仕える身だ。それにしても、人間の、旅人か……」 


 カワセミの言葉にララヴィは、少し離れた氷の木の根元に座る旅人をじっと見据えた。


 

 樹液を吸い終えたカナブン丸は淡く輝きながら、光の燐粉を撒き散らして、どこかに飛んでいってしまった。

 旅人はその様子に以前アニメか何かで見た可愛らしい妖精が飛ぶシーンを思い出したが、甲虫特有の重い羽音と相まって軽く気分が悪くなる。


 うんざりとした表情で旅人が空を見上げれば銀色の雲がなくなっている。

 先ほどまでより闇は濃くなり、いつの間にか夜になっていたようだ。


 太陽の見えない場所では時間の感覚が計りづらい。

 旅人がぼんやりとそんな事を考えていると、ふいに背後から声がかかった。


「ボクも座っていいかなぁ……?」

 

 見れば、夜の闇に溶け込みそうなカラスの姿がそこにあった。

 白い素肌の部分だけが闇の中に映えており、そこだけ宙に浮いているようにも見える。


「ん。ああ……」


 旅人の許可を得ると、カラスも氷の木を背にして腰をおろした。

 そして、ミノスケたちのいる方をじっと見つめた。

 

 少し離れた場所にいるミノスケたちの姿は、もうはっきりとは見えなくなっていたが、楽しげな話し声だけはまだ聞こえてきている。


「……ボクもちゃんと擬人化できたら、周りの人たちと仲良くなれるかなぁ」


 カラスは旅人よりも夜目が効くのだろう。

 ミノスケたちの様子をどこか羨ましげに見つめていた。


 カラスはハッと我に返ると、照れたような笑みを浮かべて旅人の方へと向き直る。

 そして、片方の翼で左目を隠していた前髪をかきあげた。

 そこには視力を失い、白く濁った目玉と三本の傷跡があった。


「……この傷ね。小さい時にネコに襲われて出来たものなんだよ……」


「へぇ……」


 旅人はカラスの話の続きを待った。

 カラスは「よいしょ」と言って再び立ち上がると、何もない真っ暗な夜空を見上げて話し始める。


「野生の世界ってさ。ハンデのある者にはホント厳しい所でね。ボクは、どこの群れにも交ぜてもらえずに、ずっと一人ぼっちだったんだ……」


 野性の世界では強く優秀な子孫を残すため、劣等因子は無残に切り捨てられる。

 幼くして片目を失くしたカラスは仲間たちの攻撃対象となり、近付けば逆に追い回される日々を過ごしていたという。


 木の実や草花を主食とし、冬になると仲間たちの目を盗んで人間の残飯を漁る。


 そんな苦しい日々の中、彼女の唯一の楽しみは人間の暮らしを覗き見る事だったそうだ。

 

「人間は良いよね! みんな助け合っててさ! 強くなくたって、少しくらい劣ってたって、みんな幸せに暮らせるんだもの!」


「……」


 旅人はただ黙ってカラスを見つめていた。


 確かに野生の世界は、人間の世界よりも厳しいものかも知れない。

 しかし人間の世界とて決して甘いものではない。

 でなければ、旅人は今この場にいないはずである。


「だから、ボクはどうしても。人間のようになりたいんだ……だから、山神様に……」


「──そうか」


 旅人は、今にも泣き出しそうなカラスの声を最後まで聞かずに返事をする。

 何もしてやれる事はないだろうが、それでもカラスの願いが叶えば良いなと旅人は思う。


 旅人は最近になって、例えどんな歪なものにも存在理由があるのではないかと思うようになっていた。

 カラスが、そしてかつて無価値な存在だと思っていた自分自身が、この森に来た事にもきっと何かしらの意味があるはずだと感じていた。


「見て! 旅人くん! すごいよ! 綺麗だよ!」


「ああ、本当だ……」


 ふいに嬉しそうな声をあげるカラスの翼の先が指し示す先には、薄緑色に輝くオーロラがあった。

 それは天から垂れる緞帳のように揺らめきながら、淡く儚げな輝きを放っている。


「……」


 しかし、旅人は初めて目にするオーロラよりも、その時はカラスの事が気になっていた。


 無邪気にはしゃぐ姿を、どこか哀れに感じていたからだ。


 旅人は夜空を見上げると、カラスの願いがあのオーロラのように、いつか幻と消えてしまわない事を静かに願うのだった。

 






 


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