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第56話 黒いカラス。

宜しくお願い致します。

 旅人は荒野に突き刺さる斬九郎の折れた大アゴを見つめていた。


「カナブン丸、斬九郎はどうなったんだ……?」


「さあなァ……どっか飛んでったんじゃねーかァ? 強いやつってなァ弱ってる姿を見せねェもんだからよォ……」


 旅人はそれを聞いてなぜかほっとしていた。

 傷の癒えた斬九郎がいつかまた復讐に現れる事も考えられたが、その時は不思議と安堵の方が大きかった。

 

「旅人さーん! お勤めご苦労様なのですよーっ!」


 頭の上にユッケを乗せたミノスケが走ってくる。

 右手には旅人の三度笠を持ちぶんぶんと振っている。いつの間にか回収してくれていたようだ。


「旅人君、お疲れ様! 見事な戦いぶりだったね!」


 空からはカワセミも降りて来た。

 こちらも旅人が戦場に残してきた葉っぱの風呂敷を抱えてきてくれている。


「ありがとう……」


 旅人が礼を言って受け取ると、ミノスケとカワセミは興奮した様子で先ほどまでの戦いをあれやこれやと話し出す。


「――旅人さんはミノスケのお渡しした三度笠を投げてパワーアップしたですよ! これは必殺、三度笠パワーなのです! いえ、もはや必殺、ミノスケパワーなのですよ!」


「それを言うなら斬九朗を倒した空中殺法にも注目するべきなんじゃないかな? 大空を舞うあの優雅な動きは必殺、カワセミパワーと呼ぶべきかも知れないね!」


 話の内容は元より、体の痛みと疲労も手伝い、心底うんざりしている旅人の前にもう一つの黒い影が舞い降りる。


「いやぁ、お陰で助かったよ!」


「ああ……」


 それは斬九郎に追われ、墜落していたカラスだった。

 その存在をすっかり忘れていた旅人は改めてカラスの姿を見る。


 あちこち跳び跳ねたクセの強いショートカットの黒髪で、前髪は長く、左目を隠すように配している。

 

 整った顔立ちにはニコニコと屈託のない笑みが浮かべられ、細められた黒い右目だけが旅人を映していた。


 しかし、表情とは裏腹にその姿はどこか歪なものだった。


 カラスのような姿をした女性――否。ともすれば逆なのだろう。


 顔から胸の辺りまでは白く滑らかな肌をしており、線の細さに見合わないしっかりとした胸の谷間が視線を奪う。

 しかし、そこから下は艶のある黒く長い鳥の羽で覆われていた。


 一見すると衣装のようにも見えるのだが、膝の下辺りからすらりと伸びる二本の足は完全にカラスのそれだった。


 枯れ木のような黒く硬質な足からは、前に三本、そしてかかとからも一本、鋭いツメが伸びている。

 ミノスケやカワセミのように靴を履いてはいなかった。


 そして、それ以上に特徴的だったのが両肩から伸びる黒い翼だ。


 その右の翼がまるで人間の手のように、ひらひらと旅人に向けて振られていた。


「……」


 旅人は手を振り返す気にはならなかった。 

 カラスが両足のツメで斬九郎の一撃を受け止めていた事を思い出していたからだ。


 ――ただ者ではないはずだ。


 警戒する旅人の頬を冷たい北風がなでると、カラスの前髪が微かに揺れた。


 その時、旅人はカラスの左目の上に走る三本の鋭い傷痕を目にした。

 目玉は白く濁っており、視力を完全に失くしているようだ。


「そ、そんなに見つめられたら恥ずかしいよぉ……」


「すいません……」


 慌てて左目を隠し、誤魔化すように身をくねらせるカラスに、旅人は謝罪すると警戒を解いた。

 やましい気持ちがあった訳ではないが、少しばかり配慮に欠ける視線だったかもしれない。


「それで、キミは何者だ?」


 今度はカワセミがカラスに訊ねる。

 多少ずれた所はあっても面倒見の良いカワセミにしては、珍しく厳しい口調だった。

 

「あ、ごめん! 挨拶がまだだったよ! ボクはカラス。この森に来てまだ間もないんだ。何か失礼があったら謝るから、そう警戒しないでおくれよ……」

 

 カラスは両翼の先を肩の高さに持ちあげると、敵意がない事をアピールするよう振ってみせる。


「警戒もするさ。まさか、永久の森で猛禽類に出くわす日が来るとは思ってもみなかったからね!」


「ちょ、ちょっと待ってよ! カラスは猛禽類じゃないよ! あなたと同じ鳥類だよ!」


 カラスは必死に反論するが、カワセミは受け入れる気がないようだ。

 

「そうなのかい? それじゃあ、キミたちは同族を食うんだね。私はカラスに襲われた哀れな鳥たちを何度も見てきたよ」


「う……でも、ボクは、木の実しか食べなかったよ……」


 長身のカワセミを前に、頭一つ分ほど小さいカラスが所在なさげに翼を遊ばせている。

 それは外の世界とはまるで真逆の光景だ。

 カワセミとカラスの間には鳥同士の因縁があるらしい。


 困惑する旅人の隣では、例によってミノスケが「ご飯にするです」と、のん気に葉っぱの風呂敷を広げていた。


「……」


 旅人は唖然とするも、周りが口を出すべき問題ではないのだろうと思う事にした。

 それより今は、苦痛と疲労から全身が栄養を求めている気がする。


 地べたでじっと動かずにいるカナブン丸にも分けてやり、旅人はミノスケと並んでどんぐりを食べた。

 ユッケも自分で運んできた残りのどんぐりを食べている。


 カワセミとカラスが未だ睨み合う中での食事はとても微妙なものだった。

 ミノスケも珍しく空気を読んだのか、もそもそと無言で葉っぱを食べている。


「ミノスケも食べるか……?」


 荷物を少しでも減らしたいと考えた旅人は、小声でそっと囁くとミノスケにどんぐりを差し出した。


「おおー、これは勝者さんのどんぐりなのです! ありがたくいただくのですよ!」


「なんだそのヘンな食べ物は……」


 ミノスケは嬉しそうにどんぐりを受け取ると、すぐにポリポリ食べ始める。

 そして、もう喋っても良いとでも判断したのか、器用に食べ続けながらも旅人と斬九郎の死闘を主観たっぷりに、身振り手振りを交えて熱く熱く語り出す。


「――そこで、必殺、旅人キックが火を噴いたですよ! ちょうどあのお空の辺りなのです! その恐るべき破壊力に大地は消し飛び、空は割れたのです! ミノスケはユッケさんと一緒にしかとこの目で見届けたのです!」


「どこで何を見てきたんだ……」


 小食のユッケはどんぐりを半分ほど食べると旅人の膝を枕にうとうとしていた。

 呆れながらに聞いている旅人の横からは、どんぐりを食べて元気が出たのかカナブン丸も口を挟む。


「オイラだって大活躍だったぞォ、持てる力の全てを注いだ一撃だったぜェェ!」


「……確かにカナブン丸さんも頑張ったのです。ですが、旅人さん伝説の前では、さすがに霞んでしまうレベルなのですよ」


「な、なにィィィ! カナブン伝説じゃなかったのかァァァッ!?」


 ミノスケはなにやら偉そうにうんうんと頷いていた。


 カナブン丸が加わって一層喧しくなると、さすがにカワセミもばからしくなってきたのかカラスから視線を外して旅人の方へと向き直る。


「……旅人君、私にも勝者のどんぐりを分けてくれるかい?」


「ああ、はい……」


 旅人は普通のどんぐりしか持っていないと思いつつもカワセミにどんぐりを手渡した。

 そして、カワセミにやり込められて落ち込んでいるカラスにも一つ分けてやる事にする。


「え、くれるの!? ありがとう!」


 カラスは嬉しそうに礼を言うと輪に加わってどんぐりを美味そうに食べていた。

 旅人にはそんなカラスがそれほど悪い存在には思えなかった。



「山神様に会いに行くんだ……ほら、ボクってこんな姿でしょ? なんとかならないかなぁってさ、ハハ……だけど、あのクワガタに見つかっちゃって……」


 人の姿に憧れたカラスは長い旅の果てに永久の森へと辿り着いたのだそうだ。

 それでも完全な擬人化は出来なかったため、なんとかしてもえないかと山神の元に頼みに行くつもりなのだと言う。

 

「……そうか、目的地は同じという訳か」


 カワセミは多少態度を軟化させてはいたが、その表情は未だに優れないものがある。

 ミノスケはそんなカワセミとカラスの顔を交互に見つめていた。


「あっ! ボクは一人で行くつもりだから、ぜんぜん平気だよ!」


「……私は旅人君の決定に従おう」


 カラスの言葉は明らかに無理をしているように見える。

 そして、カワセミは旅人に判断を委ねると言う。


「え……?」


 旅人が何を決定するのかと首を捻ると、ミノスケのつぶらな瞳と目が合った。


「旅人さんはリーダーさんなのですよ?」


 ミノスケも旅人を真似るように首を捻っていた。

 いつの間にかリーダーにされていた事もそうだが、何よりその仕草に旅人は苛立ちを覚える。

 しかし、決定権が自分にあるのなら答えは一つしかない。


「それならいっそ帰らないか……?」


「お前は本当に空気が読めないなァァ……」


「ぐっ……」


 カナブン丸にだけは言われたくない一言に旅人は深く傷付いた。

 そして、目的地が一緒である以上、カワセミが問題ないなら、同行しても構わないのではないかと考える。


「え、いいの!? 本当に!? ありがとう……本当は、すごく心細かったんだよ」


 旅人が同行を許可するとカラスは嬉しそうにしていた。

 カワセミも渋々といった様子ではあるが頷いている。

 カナブン丸とユッケは特に気にした様子もなく、ミノスケは旅の仲間が増えた事を素直に喜んでいるようだ。


 しかし、この時の判断を、後に旅人は後悔する事になるのである。

 

 この先の険しい道のりを予期するかのように、空からはいつの間にか大粒の雪が舞い降り始めている。


 その様は、むき出しの大地を再び白く塗り替えようとしているようだった。







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