第53話 雪原を行く。
よろしくお願いします。
旅人はラグビーボールほどの大きさのどんぐりの皮を剥くと洞の寝床に広げた葉っぱの風呂敷に積み上げていく。
ユッケの好物であるどんぐりを今回の旅に持っていく事にしたのだ。
「食べるのか?」
作業を続ける旅人の脇からにゅっと首先を伸ばしてユッケがどんぐりを見ている。
しかし少食のユッケは空腹という訳でもないらしい。
旅人が口元にどんぐりを運んでやるも、すんすんと匂いを嗅ぐだけで食べようとはしなかった。
「……自分で持つか?」
旅人は小さめの葉っぱにどんぐりを一つ包んで両端を結ぶとユッケの首から下げてみる。
ユッケは嫌がる素振りも見せずにどんぐりを楽しげに揺らしながら前足を小さく踏み鳴らしていた。
どうやら喜んでいるらしい。
旅人がその様子を微笑み混じりに見ていると、洞の入り口に見慣れた顔が覗いた。
「皆さんいらしたのですよ」
「分かった」
今日のミノスケは重装備だ。
いつも来ている蓑の上から、初めて出会った頃に身に着けていた頭から肩まで覆う藁で出来た三角形の笠を被っている。
背中にはいつになく大きく膨らんだ葉っぱの風呂敷も見える。
葉っぱの風呂敷は中身がなくなったらそのまま食べられるというなんともエコな代物である。
氷雪地帯には氷の木や草といった植物なのか氷なのかよく分からないものがあるそうだが、凍っているためとても食べづらいらしい。
旅人もどんぐりの入った葉っぱの風呂敷をぎゅっと縛ると立ち上がった。
その葉っぱの風呂敷もミノスケから渡されていたものだった。そして、他にも渡されていたものがある。
藁で編んだ三度笠と背中に羽織る蓑だ。
三度笠に赤い着流しに蓑。
そして藁で編まれた長靴を履き、更には大きな葉っぱの風呂敷を背負った旅人の姿は実に珍妙なものだった。
ユッケも不思議そうに旅人の匂いを嗅いでいる。
「おおー、旅人さん。とてもお似合いなのですよ」
「どこがだよ……」
旅人はため息を吐くと洞の外に出た。
「やあ、旅人君! この雪だるまはなかなか趣き深いね!」
カワセミの纏う青いマントもいつもより厚手になっていた。
ふさふさした細かい羽毛が首元から背中のフードへと繋がっている。
同色の手袋とロングブーツを身に着けて、肩に担いだ蔦の網には木の実がごろごろ入っている。
「雪だるまって言うのかァ、なかなか強そうだぜェェ!」
雪だるまの回りをブンブン飛び回るカナブン丸はいつも通りのカナブンだ。
「オイラは土でもなんでも食えるからなァ! それに、本当になんにもなきゃ食わなきゃいーだろォ。剛の者なんだからよォォ」
「そうか……」
そんな事を話しながら旅人たちは森の奥へと進んでいった。
真っ白な雪に覆われた森の上空を分厚い雲が流れていく。
山神の住む氷雪地帯はセミの谷の向かいにある崖の、更にその遥か先にあるという。
向かいの崖までの距離はかなりあるが、この時期そこに橋がかかっているそうだ。
カワセミからその事を聞かされた旅人は崖から落ちた日を思い出して身震いする。
出発したばかりで早くも後悔し始めた旅人の視界の先には、どこまでも続く灰色の空が広がり始めていた。
雪に覆われた森を抜け、セミの谷へと続く荒野に辿り着いたのだ。
しかし、今は荒野というより雪原と呼んだ方が正しいだろう。
空を覆う木々の少ない荒野では、森の中よりも更に膨大な雪の大地が果てしなく続いている。
頭上を覆う壁のような分厚い雲からはピンポン玉ほどの大きさの雪がふわふわと舞い降り始めていた。
「斬九郎はどうしてるかな……?」
かつてこの地で見た金剛丸と斬九郎の戦いは今も旅人の脳裏に鮮明に焼きついている。
それはその後の旅人の暮らしに大きな影響を与えるほど衝撃的なものだった。
「……さあなァ。こっちの方にはオイラもあんまり来ないからなァ」
カナブン丸の話では斬九郎もかつては森にいたそうだ。
そして日々、金剛丸と死闘を繰り拡げていたらしい。
しかし、ついぞ金剛丸に勝利する事のできなかった斬九郎は、より過酷な環境を求めてこの荒野へと移り住んだそうだ。いずれ金剛丸を打ち倒すための更なる力を求めて。
「……」
旅人は金剛丸の戦いを二度、目にした事がある。
一度目は斬九朗との戦い。そして二度目はカゲチカとの戦いだ。
巨体を誇るカゲチカを軽々と一蹴した金剛丸だったが、斬九朗との戦いではそれなりに苦戦していたようにも思える。
それは即ち、斬九朗が金剛丸に近い戦闘力を有しているという証明である。
「お前、アイツとも因縁あんだってなァァ……まあ、もし出会っちまったら腹ァ括るしかねーなァ」
「……やっぱり、引き返さないか?」
旅人がそう提案してみるが、周囲にはまともに話の通じる相手など誰一人としていなかった。
「ム、ミノスケたちの事を案じてくれているのですね、旅人さん。ですがご安心なのです! ミノスケは雪に潜るのも得意なのです! ユッケさんの事もお任せなのですよ! えっへんなのです!」
「フッ、旅人君。キミもやっぱり男の子だね。私から見れば戦いなんて愚かな事でしかないが、だけどキミのそんな愚かな所も私は嫌いじゃないんだ……いいだろう! その時は存分にやりたまえ! 私も遠くから見守っているよ!」
「……」
旅人は死んだ魚のような目でミノスケとカワセミを見ると、とぼとぼと雪の荒野に足を踏み出す。
残念ながら旅人には二人を説得する話術など初めから持ち合わせてはいなかった。
大粒の雪が降り積もる遥かに続く雪の大地は、或いは夏に見た荒野よりもずっと美しい景色だったかも知れない。
しかし、今の旅人には景色に見惚れる余裕などなかった。
背を丸めて歩く旅人のすぐ後ろをトコトコと着いてくるユッケの可愛らしい足音だけが、微かな癒しを与えてくれていた。
これは来てしまうパターンなのです!




