第45話 落ち葉を纏って。
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「旅人さーん、子鹿さーん! ミノスケが初栗を採ってきたですよーっ!」
洞の外からミノスケの元気な声が聞こえる。
もぞもぞと寝床から起き出した旅人は洞内に差し込む眩しい朝日に目を細めた。
今朝も爽やかな秋晴れのようだ。
足元を見れば先に起きていた子鹿が寄り添いぼんやりしている。
「お前も寝不足か……?」
旅人がそっと頭を撫でると子鹿はどこか安心したように旅人を見上げた。
昨夜もイガ栗の落ちる衝撃が洞の寝床を幾度となく揺らしていた。
子鹿は暴れる事さえなかったものの、その都度全身の毛をたんぽぽの綿毛のように逆立て怯えていた。
旅人は子鹿を落ち着かせるために度々その毛並みを整えるよう撫でてやっていたのである。
そういえばミノスケは平気で熟睡していたなと旅人が改めてミノスケの剛胆ぶりに呆れていると、洞の入り口の向こうに何やら黄色い大きな塊が見えた。
どうやら栗の実のようだ。
どうやってあの固い殻を剥いたのかは不明だがほのかに甘い匂いが洞内にまで漂ってきている。
その栗の実がゴツンと硬い音を立てて洞の入り口にぶつかった。
ミノスケは中に入れるつもりのようだが、明らかに入り口よりも大きいため到底入りそうにはない。
しかしミノスケはそんな事などお構いなしにぐいぐいと無理やり押し込んできた。
洞の入り口がミシミシと軋む。
そして、ところてんのように入り口の形をした栗の実がズズズと洞内に侵入してきた。
「……」
鼻先まで迫ったそれがやっと動きを止めると旅人はほっとため息を吐いた。
つっかえてしまってそれ以上入らないようである。
栗の実に密閉された薄暗い洞内では子鹿がたんぽぽの綿毛のようにその毛を逆立てていた。
「大変なのです旅人さん! ミノスケが入れないのです!」
洞の外からぺしぺしと悔しげに栗の実の叩く音とミノスケのくぐもった声が聞こえてきた。
結局、栗の実を両側から食べきる事でなんとか窮地を乗り切った旅人たちは腹を抱えて洞内に転がっていた。
その身に似合わず大食漢のミノスケも、初めのうちは「ポッキーゲームのようなのです」などとふざけた事を言っていたが流石に今は身動きできないようである。
「とても美味しかったのですぅ……」
「……」
満ち足りた表情で寝息を立て始めたミノスケに旅人は呆れた視線を向けた。
確かにこの地の栗の実は固くはあっても味はモンブランのようで美味しかった。
しかし、ものには限度というものがある。甘いものともなれば尚の事だ。
旅人は今はもう二度と栗を見たくない気分だった。
旅人の顔のすぐ横では小さい体で健気に頑張り食べていた子鹿が再びたんぽぽ状態で転がっていたが、今の旅人にはその毛並みを整えてやる事すらできなかった。
体を少しでも横に傾ければ全て戻してしまいそうだったからである。
「――たッ、旅人ォォォ! 誰だッ! 誰にやられたァァァァ!」
まだ栗の実がこびり付いている洞の入り口から喧しい声が響く。
旅人には顔を見るまでもなく誰が来たのか分かったが、一応目の端でカナブン丸だと確認すると力なく呟いた。
「栗だ……」
しばらく休んで回復した旅人たちは落ち葉の積もる森の中を進んでいた。
先導するようにふよふよと前を飛ぶカナブン丸の後ろを落ち葉を踏み散らかしながら旅人が着いて行く。
ミノスケは辺りをぴょんぴょんと気ままに飛び跳ね、子鹿は旅人の後ろをトコトコと着いて来ている。
当初の予定では何かと物知りなカワセミに子鹿の仲間の居そうな場所を尋ねに行くつもりだったのだが、カナブン丸にも幾つか心当たりがあるらしい。
伊達に冬眠もせずにブンブン飛び回っているだけの事はあるようだ。
「しっかし、相変わらず旅人はどん臭いなァァ……」
「くっ……」
旅人はお前も相変わらず心ない事を言うなとカナブン丸の背を睨んだ。
栗の食べ過ぎで倒れていた事も含めてなのだろうが、旅人だけを名指しした事から落ち葉を散らかながら進む無様な姿を見ての発言だと分かる。
「向こうに着く頃にはチビまでミノスケみたいになっちまうぜェ? そんなヘンな子知りませんなんて言われたらよォ。お前のせいだからなァァ……」
「カナブン丸さん、酷いのです! ミノスケの簑は厳選された藁で出来ているのです! ヘンではないのです!」
カナブン丸に抗議するミノスケを横目に旅人は子鹿を振り返る。
「……」
なぜか少し楽しげな様子で着いてきていた子鹿は、旅人が立ち止まると不思議そうに顔を上げた。
子鹿の頭や背中には大小様々な落ち葉が絡み付いている。
軽く身を震わせればすぐに落とせそうなものなのだが、子鹿は気にした様子もなくきょとんと旅人を見上げていた。
「それ、落とそうよ……あと、少し離れて歩こうか……」
旅人は努めて優しく子鹿に語りかけた。
しかし子鹿はまだ小さいためか、喋れないだけではなく相手の意思も読み取れないようである。
叱られた子供のようにじっと頭を下げると、おどおどと地面の匂いを嗅ぐばかりだった。
「……」
旅人はこの子鹿は毛繕いというものを知らないのだろうかとぼんやり考えながら、優しく落ち葉を払ってやった。
そしてそっと抱き上げて少し離れた位置に子鹿を降ろす。
「このくらい離れていれば、落ち葉が飛んでこないから……」
再び旅人が優しく告げると、子鹿は今度は耳をぴんと立てて旅人を見ていた。
旅人はこれで大丈夫だろうとまた落ち葉を踏み散らかして歩き出す。
しかし、子鹿はやはり旅人の後ろをトコトコと着いて来るのだった。
落ち葉をその身に纒いながら。
小鹿さんはおしゃれさんなのです!




