第41話 栗の降る夜。
第3章の始まりです。
天高くそびえ立つ巨大な木々がその葉を赤や黄色に染め始めている。
落ち葉の舞い散る儚くも美しい季節の到来である。
風はいよいよ冷たくなり、我が物顔で森を飛び交う虫たちの姿もすっかり見られなくなった。
代わりに森の主役となるのはリスや野ウサギといった草食動物たちである。
しかし彼らは虫たちと違い、皆一様に大人しく落ち葉の上で静かに木の実を食むだけで鳴き声をあげる事すら滅多にない。
栗の木の洞で暮らす旅人は僅かに寂しさを感じながらも平穏な日々を過ごしていた。
草食動物たちは人間である旅人に不用意に近付いてはこなかったし、ましてや夏の虫たちのように寝床に進入される心配もなくなっていたからだ。
旅人の良き友人であるミノスケらが相変わらず周囲を賑わせてはいるが、静かな森での穏やかな暮らしは、かつて町にいた頃に旅人が思い描いた理想の暮らしに近いものだった。
しかし、何かと不条理な事象の多いこの地ではそんな穏やかな日々が長く続くはずもないのであった。
――ズシィィィーン……
深夜、突如起こった轟音に森の木々がわさわさと落ち葉を降らせた。
「何が……」
音のした地点は旅人の住む栗の巨木のすぐ側だった。
耳を押さえて寝床から跳ね起きる旅人は薄暗い森をそっと覗き見た。
ヒカリゴケにぼんやりと照らされる洞のすぐ先には巨大な何かがもくもくと煙をあげながら佇んでいるのが見える。
それは禍々しい球体だった。
重みと衝撃により地面に半ば程まで埋もれているが掘り起こせば悠に3メートルはありそうだ。
表皮から鋭く尖った無数のトゲが突き出ており、事情を知らないものが見れば凶悪な破壊兵器か、或いは異星人の襲来にでも思えた事だろう。
しかし、旅人は一目見てそれが何であるのか理解できてしまった。
この洞に住み始めて以来あえて考えないようにしてきた事がついに起きてしまったのだ。
そう、イガ栗である。
天高くそびえ立つ塔のような栗の木の、その遥か高みに実るイガ栗もまた巨大すぎるものだった。
――ズドゴォォォーン!
「――ぶはッ!」
更に大きな二つ目のそれが落ちてきた瞬間、大地を揺らす衝撃と吹き込んできた風圧に旅人の体は寝床を転がった。
呆然と天井を見上げれば風圧と共に入り込んできた落ち葉の残骸がひらひらと洞内を舞っているのが見える。
再び身を起こした旅人が恐る恐る外の様子を見てみれば、地面に深々と突き刺さった巨大イガ栗と、その周囲に広がるクレーターが見えた。
「……」
その後も止む事なく降り続けたイガ栗に旅人が眠れない夜を過ごしたのである。
「おおー、大迫力なのです!」
「ああ、今年も豊作のようだね」
翌朝、洞の寝床ではぐったりしている旅人をよそにミノスケとカワセミが呑気にイガ栗が降る様を眺めていた。
「実に風情があるのです」
「……」
イガ栗が地面に衝突する度キャッキャとはしゃいでいる二人に、旅人が言うべき言葉は何もなかった。
この地で常識を求める事がいかに愚かな行為であるかとっくに分かっていたからだ。
カナブン丸に至っては洞の外を飛び回り、修行と称して落下するイガ栗に自ら突っ込んでいった。
そして、嬉々としてはね飛ばされている。
「……」
旅人は諦めきった表情で大きなため息を吐くと不条理な秋の訪れを受け入れるのだった。




