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ミノムシの少女と森の旅人(旧題:眠れない夜の書)  作者: fin
虫たちのさざめく季節。
40/72

第40話 眠れる森に残るもの。

第二章の終了です。

 旅人が菜の花畑での戦いを終えてから数日が経ったある日の事。

 栗の木の洞の寝床では過労と季節変わりの寒暖差に体調を崩した旅人が寝込んでいた。


 ミノスケとカワセミが身の回りの世話をしてくれていた事もあり順調に回復してはいたが朝晩の冷え込みには未だ辛いものがある。


 その日も旅人が寝床に敷かれた藁と羽毛に潜り込み顔だけ出して寝ていると、そこに風呂敷のような大きな葉っぱがふよふよと迷い込んで来たのである。


 洞内のヒカリゴケに照らされる葉っぱには黄金色をした粘度の高い液体が載っており、端を摘んで運んでいる小柄な六体の生き物の姿があった。


「フンドシサンヨー」

 

「フンドシサンガ、ネテルノヨー」


「ハッチンヨー」


「起こちてはだめでつ――んぎぎ……」


 葉っぱを運んでいたのはクマたんとハッチンたちだった。

 葉っぱを掴んだまま旅人の方に飛んでいくハッチンたちをクマたんは反対側から必死に引っ張って止める。


 ハッチンたちは先日大変な思いをした旅人のためにお詫びを兼ねてハチミツを集めてきてくれたのだ。

 第三形態クマたん化して以来、菜の花畑でハッチンたちと暮らすクマたんも一緒だった。

 

「サプライズヨー」


「キョウテンドウチー」


「その通りでつよ。でわでわ、どこに置きまつかね?」


 クマたんは一先ずハッチンたちに葉っぱを任せると洞内に見て回る事にした。 

 そのまま置いて帰ってはせっかく集めたハチミツが零れてしまうからだ。


「これは生活用水なのかちら……?」


 クマたんは旅人が水道代わりに使っている大きな水がめに目を付ける。

 水がめにはまだ半分近く水が残っていたのだが、クマたんはおもむろにそれを持ち上げるとゴクゴクと飲み干した。


「ぷはーっ、ここに入れまつよ」


 ぷっくりとお腹を膨らませたクマたんはハッチンたちを呼びよせるとハチミツを水がめに注いだ。


「ぴったんこでつ!」


「クマタン、サスガヨー」


 ちょうど水がめの縁あたりまで注がれたハチミツを見てクマたんは「むふぅ」と自慢気な表情を見せる。 

 最後にハッチンたちがレッグウォーマーのように足に巻いていた花粉団子を水がめの傍らに置くと旅人を起こさないようにそっと洞を後にした。


 永久の森の住人たちにはアポイントとかドアをノックするといった概念は一切ないのである。


「フンドシサン、ヨロコブノヨー」 


「ハッチンモ、ウレシーノヨー」


「今度は旅人たんが起きている時にあそびにきまちょうね」


「ソウネー、フンドシサン、サヨーナラー」


「サヨナラダケド、サヨナラジャナイノヨー」


「イチジツセンシューノオモイデスー」


 そろそろハッチンたちも長い眠りにつく時期だった。

 神格であるクマたんにはその必要はなかったが、先日の戦いで力を使い果たしてしまったため共に眠りにつく事にしていた。


 次の夏もフンドシサンこと旅人と再び出会える事を楽しみにしながら、ハッチンたちは菜の花畑に帰っていった。

 初秋を迎えた早朝の静かな森の中に楽しげな声を響かせながら。



 旅人が目を覚ましたのはそれから小一時間ほど経ってすっzかり外が明るくなった頃だった。


 まだ少し体が重い旅人だったがここ数日寝てばかりいたためすっかり体が鈍っている。


「今日は少し散歩でもしようか……」


 洞の入り口から差し込む朝日を眺めながら旅人はぼんやりと呟いた。

 ふらふらとした足取りで顔を洗いに水がめに近付くと水の色が少し濁って見えたが熱のせいだろうと考える。

 そして眠気覚ましに水がめに頭をトプンと突っ込んだ。


「――ぶゃばゃッ!」


 異変を感じた旅人は慌てて顔を出すと顔中にまとわりつくハチミツに呼吸困難になりながら必死に手で拭った。


「うわ、なんだ! 甘ッ! 服にッ! ああっ! ああ……なんか、美味しい……」


 呆然と床にへたり込んだ旅人は視界の隅にハッチンたちが残していった花粉団子を見つけた。


「……」


 旅人は大きなため息を吐くと予備の水入れを手に取り外に向かった。


 穏やかな朝日に照らされる森の中はとても静かだった。

 少し前までうるさいほどに森を騒がせた虫たちの声は消え、風が草木を揺らす微かな音だけが聞こえている。


 旅人が心に隙間風が吹いたように感じたのは決して頭からハチミツが垂れてきたせいだけではないだろう。


「……」


 頭や体を水で濯いだ旅人は洞内に戻る気にもなれず、べたつく体が乾くまで近くをぶらつく事にした。


「あっ、芽が出てる……」


 栗の木の裏手に回った旅人は一人声をあげる。

 以前スイカの種を植えた辺りに20センチほどの高さの二つ葉が地面から飛び出すように生えていたからだ。

 植物を育てた経験のない旅人は水遣りすらすっかり忘れていたのだがミノスケあたりがこっそり世話してくれていたのかも知れない。


「――ううっ! さっぷさっぷっ」

 

「うおっ!」


 スイカの芽を眺めていた旅人は背後から突然聞こえた声にその場を飛び退いた。


 見れば旅人のすぐ後ろに半人半虫のケンタウロスのような不気味な生き物がいた。

 下半身は軽自動車ほどの大きさの虫の姿をしており、その頭部からは人間のような上半身が伸びている。

  

「なんやなんや!? 久しぶりに来てみりゃ、人をバケモノみたいに見よってからに!」


「あ、ああ……アブライか、どうしたんだその格好……?」


 それはアブライだった。

 セミの抜け殻の頭部から上半身だけが飛び出ている。

 旅人には実際バケモノにも見えなくはなかったが口には出さなかった。


「これから冬眠するとこやん。それにしても旅人はん、あれきり音沙汰なしやもんなー。寂しいわぁ」


 旅人はミノスケから擬人化した神格や剛の者は冬眠しないと聞いていた。

 それにあの鍾乳洞では季節の変化も影響がないものだと思っていた。


「冬眠する必要ないだろ……?」


「寝る子は育つ言いますやん?」


 相変わらずのアブライの返答に旅人は苦笑する。

 しかし一抹の寂しさを感じていた。


「セミの谷の近くの方が楽じゃないか?」


「可愛い子には旅をさせろて言いますやん」


 アブライは旅人と話しながらもずぶずぶと抜け殻に埋もれ幼虫の姿へと戻っていく。


「ハチミツがあるんだけど、食べていかないか……?」


「お休み前のレディーにおやつ勧めるとかあんたは鬼かッ!?」


「ははっ……」


 旅人は自分たちがセミの谷を去って行った時のアブライもこんな気持ちだったのだろうかと考える。


「そんな悲しそうな顔せんといてぇな旅人はん。また次の夏にお会いしまひょ?」


「ああ、そうだな。また……」


 旅人の返事を聞くとアブライも満足そうに頷いた。

 そして掘削機のような轟音と土煙を撒きあげながら地中へと潜っていった。

 地面に空いた大穴は下から土が何度か舞い上がるうちに埋まっていき、最後はこんもりとした小さな土の山だけを残してアブライは行ってしまった。 


「次の夏か……」


 アブライが残していった土の山を見つめながら旅人はその頃自分はどうしているだろうかと考える。

 一年後も自分がこの場所で暮らしていられるとはどうしても思えなかったからだ。


「アブライさんは土に帰ってしまったのですね」


「旅人君に見送られて彼女もきっと幸せだったと思うよ」


 旅人が振り返るといつの間にやって来たのかミノスケとカワセミが笑って立っていた。 

 

「……違う意味に聞こえるぞ」


 旅人は呆れたように返した。

 

「旅人君。体の調子はもう良いのかい?」


「ムッ! 旅人さんから何やら美味しそうな匂いがするのです!」


 旅人はカワセミの言葉に体調が悪かった事を思い出した。

 体中ベタついている事を除けばいつの間にか気分も良くなっていた。


「お陰さまで」


 旅人は微笑むと少しおかしな所のある大切な友人たちに感謝を告げた。


 やかましい羽音に空を見上げれば最近できた新しい友人もやって来たようだ。


「元気になったか旅人ォォォ! んじゃあ早速金剛丸(てっぺん)取りに行くかァァ!」


「いや、行かないから」



 生命に溢れた騒がしい季節が終わり、多くの虫たちが眠りについた。

 しかし旅人の周囲ではまだまだ騒がしい日が続きそうである。


 静かな場所を求めて町を出た旅人だったが今はこの騒がしい暮らしを愛しく感じていた。

 そして、先の見えないこの幸せな日々を旅人は大切にしていきたいと思うのだった。


 その日、巨大な草木が生い茂り神族に連なるものたちの住まうここ永久の森の一角では、およそ感傷的な季節を迎えるには不釣合いな賑やかな声がいつまでも響いているのだった。


 





 

まだまだ続く予定です。

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