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ミノムシの少女と森の旅人(旧題:眠れない夜の書)  作者: fin
虫たちのさざめく季節。
39/72

第39話 菜の花畑に日は落ちて。

お読み頂きありがとうございます。

「いいでつか旅人たん、悪はかなやずほよびゆの!」


 褐色幼女となってしまったクマたんは舌足らずにそう言った。 

 ブラウンのくりくりしたお目々が旅人を見上げている。


「……」


 旅人は睨まれているのかも知れないと思ったが迫力がなさすぎていまいちよく分からなかった。  


「ちゃんと聞いていまつか旅人たん!」


「はあ……」


 泣きじゃくるクマたんはハッチンたちに菜の花で作られた可愛らしいお洋服を着せてもらうとやっと泣き止んだ。

 黄色い花びらで出来たお洋服はクマたんの小麦色の肌にとてもよく映える。


 本人も気に入ったらしく嬉しそうにクルクルと宙を舞い始めるとハッチンたちもそれに加わり楽しげな空中舞踏会が開かれた。


 ようやく着流しを取り戻す事ができた旅人はそれを横目にそそくさと森に帰ろうとしたのだが、「お待ちなたい!」という可愛らしい声と共に眼前に舞い降りたクマたんに再び行く手を阻まれてしまったのである。

 

 背中からちょこんと生えた黒い羽をふるふると震わせ宙に佇むクマたんからは昆虫戦士だった頃の脅威は微塵も感じられなかったが、その瞳にはうるうると滲むものがあり、無視して素通りしようものなら泣き喚くであろう事を雄弁に語っていた。


 結局、抗う術なき旅人は疲れきった身をおしてクマたんのありがたいお説教を受け入れる事となったのである。


 夕日は森の向こうに沈もうとしている。


 カナブン丸もとっくに帰ってしまっていた。


 身動き一つせずに転がっていたカナブン丸は旅人が起こしてやると例によって反逆の頭突きを繰り出した後「また遊ぼうぜェ」と言い残し飛び去っていった。

 ふらふらとおぼつかない飛び方だったがその小さな背中はどこか誇らしげでもあった。

 

「もう、帰っていいかな……?」


「まだおはなちは終わってまてん! 全てのいのちは支えあっていゆの!」

 

 早く帰りたいと願う旅人の周囲ではハッチンたちが「フンドシサンモ、オトマリスルノヨー」「ハッチン、フンドシサンノ、オフトンヨウイスルノヨー」と楽しげな様子でお泊り会の準備に勤しんでいる。


 旅人はいくら可愛いハッチンたちが相手でもフンドシサンなどと言う新たな名を受け入れる気はなかったし今日はもう一人になりたいと考えていた。

 葉っぱの着流しも力を使い果たしてしまったのかあちこち擦り切れくたびれている。


「もう分かったから、クマたん……」


「――クマたんではありまてん! クマたんでつ!」


「ああ、うん……」




 その後、なんとかクマたんをなだめた旅人が森の中へと戻った頃には辺りはすっかり暗くなっていた。


 夏の終わりを儚む虫たちの鳴き声があちらこちらから聞こえている。


「日が暮れるのが早くなったな……」


 少し前まではまだ明るい時間だったはずだ。

 今の旅人には町で暮らしていた頃よりもその事がはっきりと感じられた。


 見上げれば巨木から伸びる空を覆う葉っぱも薄くなってきているようだった。

 隙間から仄かに輝く星明りが見える。


 朝から続いた不慣れな戦いと褐色幼女のありがたいお説教によって肉体的にも精神的にも疲れ果てた旅人は巨木の根本に腰を下ろした。


「……」


 暗い森の中に一人佇み虫たちの声を聞いていると永久の森を初めて訪れた日の事を思い出す。

 あの頃の旅人は今よりずっと疲れていた。


「初夏の頃だったか……」


 長く続いた梅雨により遅れていた夏がようやく訪れ始めた頃だった。

 当時は寂しいと感じる心さえ失くしていたのだと旅人は今になって気付く。


 人の目から逃れるように歩き続け、そしてこの場所に辿り着いたのだ。


「……今日はここで寝るか」


 旅人はそう呟くと背中の巨木に体を預けた。


 夜の永久の森は今の旅人にとってそう危険な場所ではない。

 朝日が昇ればきっとまたこの森のおかしな住人たちと出会う事になるのだろう。

 そしてまた訳の分からないおかしな出来事に巻き込まれるのだ。 


 霞んでいく意識の中、ぼんやりそんな事を考える旅人の口許は微かに綻んでいた。

 



『じーっ……』


「……」


 旅人は草むらから聞こえてきたその聞き慣れた声と視線に安心感を通り越し呆れた。


「……旅人さん、今夜は木の下でお泊まりさんですか?」


「いつからそこに……いや、いつから着いてきてた?」


 旅人が声の主に逆に問いかけるとガサガサと草むらが揺れてそこから黒髪の少女が這い出てきた。

 愛嬌のある大きくて真っ黒い瞳が特徴的な簑を着た少女、ミノスケである。

 実際のところ夜目の効かない旅人にはそこまで正確には視認できなかったが、目を閉じていてもその姿が分かるくらいには見慣れた相手だった。


「旅人さんがカナブン丸さんに必殺、旅人返し! を仕掛けた辺りからなのです! ミノスケは今日も旅人さんを暖かく見守っていたのです」


「くっ……」


 旅人には暗くてよく見えなかったがミノスケは「えっへんなのです!」と腰に手を当て薄い胸を張っているようだった。


 そして何やら興奮した様子で旅人のあまり思い出したくない今日一日の出来事をミノスケの主観たっぷりに語り出すと「これはもはやカナブンさん伝説ではなく旅人さん伝説なのです!」と言って締めくくった。


「いや、そういうのもういいから……」


「――むッ! そうなのです、忘れるところだったのです! ミノスケは旅人さんの落し物を届けにきたですよ」


 ミノスケは思い出したようにぽんと手を打つと簑の隙間からごそごそと何かを取り出した。

 それはオレンジ色のぶよぶよした塊だった。


 旅人はいつの間にか無くしていたそれを特に必要としてはいなかったが一先ず受け取る事にした。


「カワセミさんと三人で食べるか」


「おおー、旅人さんは太っ腹さんなのです」


 旅人がそれを着流しの袖の下に仕舞うと目の前にミノスケの白く小さな手が差し伸べられた。


「ん……? 今食べるのか?」


 ミノスケはもったいつけたように大きく首を振ると子どもを諭すような口調で言った。


「恥ずかしがる事はないのですよ旅人さん。大きな迷子さんなんてとても可愛らしいのです」


「ぐっ……」


 子どものような姿をしたミノスケに迷子扱いされるのはさすがの旅人も屈辱的だったが、諦めたようにため息を吐くとその手を握った。


 ミノスケの小さな手は樹液酵母でベタついてはいたが先の見えない暗がりを歩く旅人の心に微かな明かりを灯してくれた。


 夏の終わりが近付く静かな夜の森の中、旅人はミノスケに手を引かれ栗の木の洞へと帰っていく。

 いつかこんな時間を遠く感じる日が来るのだろうかとぼんやり考えながら。







次話が第二章エピローグなのです!

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