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ミノムシの少女と森の旅人(旧題:眠れない夜の書)  作者: fin
虫たちのさざめく季節。
36/72

第36話 菜の花の妖精。

 朝から大変な目にあって少し疲れていた旅人だが一人森を歩くその足取りは実に軽やかなものだった。


 旅人は永久の森を訪れて以来、常に行動を共にしてきたミノスケとカワセミに心から感謝していたし共に過ごす時間をとても楽しく感じていた。

 しかし、これまでの人生で一人で過ごす時間が多かった旅人には二人が異性という事もあり多少なりとも気疲れする部分があったようだ。


 栗の木の周辺とはまた違った景色を楽しみながら旅人は一人森を歩く。

 小腹が空いたらその辺の葉っぱを千切って食べればいいのだ。

 とても気軽で自由なひと時だった。

  

 ふと大きな黄色い花を見つけて旅人は足を止める。

 近づいてみると旅人の身長よりも幾分高い位置に黄色い花の束を咲かせた菜の花だった。

 トーテムポールのようにひょろりと伸びた緑色の茎からは木のように枝がいくつも伸びておりその先端にも小さな花を付けている。


 旅人が試しに茎の枝に掴まってみると意外にしっかりしていて体重をかけても倒れる事はなかった。

 旅人は逆上がりで枝の上に立つと、そのまま頂上の黄色い花びらに手をかけ昇っていった。


「……?」


 頂上の花びらの上に立った旅人は黄色いふさふさの毛に包まれた何やら子犬のような生き物が花弁に顔をつっ込んでもぞもぞ動いているのを見つけた。

 旅人は最初そのふさふさの毛並みを見て草食動物かと思ったがよくよく見れば背中には薄い透明な羽があり足は六本生えている。


「ダレー?」


 旅人の視線に気付いたその生き物は顔の三分の一ほどもありそうな大きな可愛らしい目を旅人に向けて問いかけてくる。


「うっ、ミツバチか……」


「ソウヨー、ハッチンヨー」


 例えるならポメラニアンを黄色くして羽と触覚を生やしたようなとても可愛らしい姿をしたミツバチだった。

 全身柔らかそうなうぶ毛に包まれもこもこしているため分かり難かったが、その体は頭部と胸部と腹部の三つに分かれており、うぶ毛の下にうっすらと黒い縞模様が見える。


「ハッチン……?」


 旅人は高すぎるソプラノボイスを初め鳴き声かと思ったがどうやら言葉を話しているようだ。


「ソウヨー。ソレナニー?」


 ハッチンと名乗ったミツバチは首を傾げて旅人の方に近寄ってくると樹液酵母に興味を示した。


「ああ、これ? 欲しいの……?」


「……クレルノ?」

 

 ハッチンは頭部の隙間からちょこんと突き出た触覚をぴくぴくと動かしながら躊躇いがちに訊ねてくる。


 旅人はその可愛らしい仕草に微笑むと樹液酵母を千切り、おずおずと両の前足を伸ばしてくるハッチンに手渡した。


「アリガトー」


 下を向きながらもぐもぐと小さな口で樹液酵母食べるハッチンのその愛くるしい佇まいに旅人は撫でてみたいと思ったが相手は針を持ったミツバチである。

 おまけに子犬サイズとあっては手痛いしっぺ返しを受けかねない。

 それでも勇気を出した旅人がそろりそろりと手を伸ばすと、ハッチンはぴくりと身を震わせ旅人を見た。


「……」


 旅人が宙に手を伸ばしたまま動けずにいるとハッチンがその手に触覚でちょんちょんと触れてくる。

 どうやら平気なようだと安心した旅人はハッチンの頭をゆっくりと撫でた。


「お、おお……もふもふだ……」

 

 ハッチンの体を覆う黄色いうぶ毛はとても柔らかくすべすべしていた。

 ハッチンも食事を続けながら気持ち良さそうに目を細めている。


 普通の虫には瞼などないのだが改めて間近で見るこの森の虫は巨大だったり言葉を話したりするだけでなくその姿形も細部まで異なるようだった。


「……コレ、アゲル」


 ハッチンは一度食事の手を止めて樹液酵母の欠片を花びらの上に置くと、後ろ足に黄色いレッグウォーマーのようにくっ付けていた花粉団子を取って旅人に差し出してきた。


「あ、ありがとう……」


 旅人が果たしてこれは食べ物なのだろうかと受け取った花粉団子をまじまじと見つめているとハッチンも触覚をぴくぴくさせながら旅人の様子を伺っている。

 どうやら自分が食べるのを待っているらしい。そう感じた旅人は思い切って花粉団子を口に放り込んだ。


「ん、意外と美味い……」


 花粉団子は少しもそもそしていたが甘みがあってそれなりに美味しかった。


「ヨカッタノー」


 ハッチンは嬉しそうにそう言うと旅人の周りをふよふよと飛び回った。

 そして思い出したように一度花びらの上に降りて樹液酵母の欠片をせっせと後ろ足にくっ付けると今度は旅人の首の後ろに飛び乗ってきた。


「アッチ、モットアルノヨー。イコー?」


 ふわふわのハッチンのうぶ毛に首筋をくすぐられて頬を緩める旅人だったがハッチンは着流しの襟元を六本の足で掴むとふよふよと飛び始めた。


「おわっ! ちょ、ちょっと!」


「スグナノヨー」


 ふいに体が宙に浮いて驚く旅人だったが足元を見れば2メートルほど下には芝に覆われた大地が見える。

 この位の高さなら今の自分には問題ないだろうと考えた旅人は体の力を抜いてハッチンの行きたいように運ばれてみる事にした。

 

 旅人がいつもより高い視点から森を眺めているとすぐ先のなだらかな斜面に優しげな黄色に包まれた菜の花畑が広がっているのが見えてきた。

 斜面の下には小川が流れており日差しを浴びてキラキラと輝いている。

 向こう岸には菜の花とはまた違った黄色い花が咲いているようだ。


「ハッチンドコー?」


 菜の花畑の上をふよふよ飛びながらハッチンは誰か探しているようだった。

 旅人もハッチンにぷらんぷらんと吊るされながら周囲を見渡すと一面黄色いカーペットのような菜の花畑の上を数匹のミツバチたちが飛んでくるのが見えた。


「ハッチン、ドシター?」 


「ハッチンハ、ミンナノココロノナカヨー」

 

「ハッチンオカエリー。ダレー?」


「イッシンドウタイー」


 菜の花畑の先にある小川の淵に降ろされた旅人をハッチン含め計五匹のミツバチたちが取り囲み楽しげにふよふよと舞っている。

 どの子もハッチン同様とても可愛らしい姿をしていたが、困った事にここにいるミツバチたちは全てハッチンという名前らしい。

 聞けば山神からはそれぞれ名前を授かってはいたが覚えられなかったため今では皆ハッチンで統一してしまったらしい。

 もはや名前の役割を果たしてはいなかったが、いかにもこの地の住人らしいなと旅人は苦笑する。

 

「ニンゲンサンー?」


「ヨーホージョ、ヤーヨー」


「ハッチン、ヤーヨー」


「テンカタイヘー」


「いや、大丈夫だから……」


 旅人は周囲を舞いながら可愛らしい声で囁くように騒いでいるハッチンたちに樹液酵母を千切って手渡していった。

 くすんだオレンジ色のぶよぶよしたそれを旅人はあまり好きではなかったためミノスケとカワセミ用に半分くらい持ち帰ればそれで良いだろうと考えていた。


「クレルノー?」


「トレビアーンナノヨー」


「アリガトー!」


「キョウエツシゴクニゴザイマスー」 


「ほんとに名前覚えられなかったの?」


 中にはかなり言葉の達者な子もいるようだと旅人が呆れているとハッチンたちは地面に降りて一斉に樹液酵母を食べ始めた。

 最初に出会ったハッチンも後ろ足にくっ付けた樹液酵母の残りを一緒に食べている。

 急に静かになってしまった菜の花畑の可愛らしい食事会を旅人は微笑ましく眺めていた。



 ――その時だった。


 一陣の黒い風が吹いた気がした旅人が頭上を見上げると、濃い褐色の肌をした女性が羽もないのに何故か宙に浮いていた。


「あらあら、楽しげな様子に誘われてきてみれば見かけない方がいるようね。もしかして新たな神格の方かしら?」


 ウェーブのかかった背中まである黄金色の髪をかき上げながらその女性はそう言った。

 光沢のある黒いタイトなドレスから伸びる手足はしなやかではあったが鍛え上げられた強靭な筋肉が見てとれる。


「初めまして。私は向こう岸のたんぽぽ畑に住むにクマという者ですわ」


「たんぽぽ畑のクマさん……」

 

 その名をどこがで聞いた気がした旅人は呆然と反芻した。






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