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ミノムシの少女と森の旅人(旧題:眠れない夜の書)  作者: fin
虫たちのさざめく季節。
35/72

第35話 星になったカナブン丸。

 旅人は疲れた体を背の高い芝の上に横たえて呼吸を整えていた。

 さわさわと揺れる芝と共に頬をくすぐる少し冷気を帯び始めた夏の終わりのそよ風が今は心地良かった。


 傍らに目を向ければ仰向けに転がったまま骸のように動かなくなってしまったカナブン丸の姿がある。


 旅人はどうしてこうなってしまったのだろうと考える。


 旅人は争い事が苦手だった。

 自分が傷付くのも嫌だったし、それ以上に相手を傷付ける事が苦手だった。

 だからいつも戦う事から逃げてきたはずだった。


 しかし、カナブン丸だけは何かが違っていたのだ。


「そうか、カナブンだからか……」


「――ざっけんな旅人ォォォ! 人間ごときがカナブン見くびってんじゃねえぞォェェアアッ!」

 

「あ、生きてる……」


 旅人は怒りのあまりわしゃわしゃと六本の足を激しく回転させているカナブン丸を眺めた。


「まさか、勝ったつもりじゃねーだろうなァァァ! 次はコテンパンにしてやっから、起こせェェ! 起こせよ旅人ォォォ!」


「……」


 旅人は更に猛り狂ってわしゃわしゃしているカナブン丸に呆れた視線を向ける。

 既にこのようなやり取りを幾度となく繰り返していた。


 相手の意表を突く事に意味があり、おまけに自分でもびっくりしてしまうため旅人自身も多用したくなかった猫だまし改め『必殺、旅人だまし』だが、その威力を警戒するカナブン丸に対して旅人は新たなるフェイント技『必殺、旅人だましだまし』を編み出していた。


 旅人は『必殺、旅人返し』と『必殺、旅人だまし』そして『必殺、旅人だましだまし』と言うこの三種の人畜無害な必殺技を駆使し既にカナブンの足では足りない数の勝利を納めていたのである。


「そろそろ行くけど……?」


 さすがに疲れてきた旅人は立ち上がるとカナブン丸にそう声をかけた。

 旅人はこの小物臭漂うカナブン丸がなぜか嫌いになれなかった。

 毎度毎度性懲りも、手加減もなく全力で挑みかかられる戦いもどこか楽しかったのだ。


「……まあ、今日はこんくらいにしといてやらァ」


 カナブン丸も旅人との戦いが楽しかったのか仰向けに寝転んだまま偉そうに六本の足を組むと口元の触覚を揺らしながらそう言った。

 旅人も苦笑すると顎をしゃくって早く起こせとばかりに見上げてくるカナブン丸を蹴り起こす。


「もっと優しく起こせやァァァ!」


「お前また頭突きする気だったろ……」


 カナブン丸はへっと吐き捨てるように笑うと旅人を先導しながら森の奥へと進んでいった。



 巨大な草木が鬱蒼と生い茂る森の経路は旅人には覚える事が難しかったがそれでもどこか懐かしさを感じてきた。

 かつて永久の森を訪れてすぐの頃にミノスケに連れられて歩いた辺りだろうと旅人は考える。

 大クヌギの木もそろそろ近いはずだった。


「なあ旅人よォ、もし金剛丸の兄貴が怒り狂って襲いかかってきたらどうすんだ?」


 少し前をふよふよと進んでいたカナブン丸はふいに旅人にそんな事を聞いてきた。


「……」


 旅人は正直その事態を考えないようにしていた。

 斬九朗ならともかく金剛丸はそこまで直情的にも思えなかった。

 しかし、もし攻撃されようものなら確かにひとたまりもないだろうなと今更ながら考える。


「ほんっとトロいヤツだなお前。まあいいや、オイラもいつまでも三下でいるつもりはねぇしな……」


「え……?」


 ぼそりと呟いたその言葉をよく聞き取れなかった旅人にカナブン丸は今度こそはっきりと告げた。


「もうすぐそこだぞ。覚悟はいいな旅人ォォ」


「え? あ、ああ……」


 旅人はごくりと唾を飲み込むと、一先ず余計な考えは置いておいて金剛丸に会う事にした。



 横幅が6メートルはあろうかという見事なクヌギの木にはこれまた見事な大きさのカブトムシが張り付いている。

 いつか見た光景と寸分違わなかった。


 頑強な甲冑を纏ったかのような黒一色のその巨体には茶色く変色した無数の傷跡が見える。

 歴戦の勇士と呼ぶにふさわしいその静かなる佇まいは正しく金剛丸のそれである。


「兄貴。金剛丸の兄貴、旅人を連れてきましたぜ」


 カナブン丸がそう声をかけると金剛丸はゆっくりと頭部を動かし片側の目で旅人を見据えた。

 そして関節を「ギチッ」と鳴らす。

 

『元気そうだな小僧』


 その声はシロナガス提督と同じように旅人の頭の中に直接響いてきた。


「どうも……」


『ほぉ……俺らの声も聞き取れるようになったか。あの死にかけたツラした小僧が、短い間にずいぶんと成長したみたいだな』


「なッ!? 旅人ォ! オイラの剛の声は聞こえねーのに、金剛丸の兄貴の声は聞こえるってのかァァ!?」


『……おい、そこのカナブンちっと黙ってろ』


「うす……」


 急に会話に割り込んできたカナブン丸だったが、金剛丸に一睨みされると大人しく旅人の足元に控えた。

 旅人は以前カワセミが教えてくれた言霊以外にも色々とあるようだなとぼんやりと考える。


『ところで小僧――いや、今は旅人っつったな。セミの噂に聞いたんだが、どうやら俺はお前の配下って事にされちまっているらしい……』


 ズシンと地響きの音が旅人の耳に届いた時には金剛丸は既に木の幹にはいなかった。

 いつの間にか大地に六つの足で降り立っていた金剛丸と旅人の間には多少の距離こそあったが、その強靭な角はしっかりと旅人の方を向いている。

 戦車の大砲を目の前に突きつけられたような圧倒的な威圧感に旅人はただ冷たい汗を流しながら硬直するしかなかった。

 その時、足元に控えていたカナブン丸が声を潜めて旅人に話しかけてきた。


「……チッ、やっぱりこうなっちなったか、おい旅人。オイラが時間を稼いでやるからその間に逃げろ……最後にお前と遊べて結構楽しかったぜ!」

 

「へ……?」


 困惑する旅人をよそにカナブン丸は天高く舞い上がる。


 そして、叫んだ。


「おう、金剛丸! いつまでも最強でいられると思うなよ! こっからオイラのカナブン時代の幕開けだぜェェェ!」


「……な、何やってんだあいつ……」


 その刹那――呆然と見上げる旅人の目にカナブン丸が猛然と金剛丸に突っ込んでいく姿が映った。


 高速で降下する摩擦熱によりその全身からは赤熱したオレンジ色の輝きが放たれている。

 そして、煌々と輝く火の粉のような燐粉を幾重にも引き連れたカナブン丸は激しく吼えた。

 

「食らえェェ金剛丸ッ! これがオイラの究極奥義! 橙色彗星地爆撃バンカーバスターだァァァッ!」


 ――衝撃に備え旅人が腕で顔を覆ったその瞬間、僅かに動いた金剛丸の角が赤熱した塊を捉えるのが見えた。


 ――カッキーン!


 旅人が予想していた激突音とは若干趣の異なる快音が辺りに響き渡る。

 見れば雲の切れ間に向かって降下してきた時よりも激しく赤熱しながら輝くカナブン丸が消えていくのが見えた。


 旅人は微かに「あーれー」と情けない声が聞こえてきたような気がした。


『あいつ……何がしたかったんだ……?』


 カナブン丸が消えていった空を眺めながら金剛丸が呟いた時、旅人も全く同じ事を考えていた。


『……ま、まあいいか。そんな事より俺は自分より弱いやつの配下になんざなる気はねぇぞ。――だから旅人。お前ちっと修行ってやつをしてみねぇか?』


 お前なら俺より強くなれるかも知れねぇぞと金剛丸が続けて言うと、旅人はこの人は何を言っているんだろうと呆れた表情を浮かべて返事を返す。


「……いや、そういうの興味ないんで」


『……え? マジか? いやでも、漢だったら最強ってやつを目指すもんだろっ!?』


 旅人はその最強うんぬんと言うのは甲虫たち独特の価値観なのだろうと考える。カナブン丸も同じような事を言っていた。


 しかし、それは人間である旅人にとっては全く意味のない価値観でしかない。


「いや、別に……」


『お、おう。そう、なのか……? でもあれだぞ? それじゃ配下にもなってやらないぞ?』


 これまで何事にも動じぬ姿勢を見せてきた金剛丸だったが微かに戸惑っているようにも見えた。


「いや、それは別に、全然いいけど……」


『そ、そう、なのか……分かった。じゃ、まあ、何かあったらまた来いよ……』


 そう言ってすごすごと大クヌギの幹に戻って行った金剛丸の背中はどこか寂しそうにも見えた。



 別れ際にみやげにと渡されたバスケットボール大の樹液酵母を手元で遊ばせながら一人森を歩く旅人は誰にともなく呟いた。


「結局、何だったんだ……?」


 旅人は立ち止まってしばし首を捻るとまた歩き出した。

 そんな事より一人で永久の森を歩くのはこれが初めての事だった。


 以前は一人で過ごす事が多かった旅人は、せっかくなので適当にぶらぶらしながら遊んで帰ろうと考える。

 久しぶりの一人ぼっちと言う名の自由が嬉しかったのか旅人は微かに口元を綻ばせていた。












ミノスケ不在でまだ続くのです! やるせないのです!

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