第3話 新たなるシメイ。
「人間さん。どこからやって来たですか?」
ミノスケと名乗った少女は未だ木にもたれかかったままでいる青年に小首を傾げて訊ねてくる。
「遠くだよ……ずっと遠く……」
青年は正直自分の事はもう放っておいてほしいと思っていたが、子供のような姿をしたミノスケをあまり邪険に扱うのも躊躇われてそれだけ告げるとまた目を閉じた。
これでどこかに行ってくれるだろうと青年は考えていたが、ミノスケはそんな空気を察してくれはしなかった。
「おおー、それはようこそなのです。ちょっと触ってみていいですか?」
「え……?」
ミノスケは恐る恐る青年に近づくと膝の辺りにぽんと触れてすぐにぱっと飛びのいた。
「おおー」
「なんだそれ」
青年が変な子だなと呆れて苦笑するとミノスケもにっこりと微笑みかけてくる。
その笑顔は無邪気で可愛らしくはあったが、やはり人間の子ではないようだった。
顔立ち自体は人とそう変わらないが、白目の部分の全くない真っ黒で大きな瞳がその事を物語っていた。
「人間さん、お名前なんと言うですか?」
無邪気にそう訊ねてくるミノスケの質問に青年は答えに困ってしまう。
青年は辛かった過去と全ての未練を断ち切るために何もかも捨て去っていた。自身の名前すらも。
「……ないよ……」
「お名前ないのですか?」
ミノスケは意味が分からないとばかりに首を傾げている。傾げすぎて片足立ちになってしまっている。
「ああ、ないよ。人はいつかそれまで築いたものを全部捨てて、旅に出る日が来るんだよ……」
自分の場合はそれが少し早かっただけだと、青年はこの旅に至るまでに何度も自問してきた心の内面を改めて自分に言い聞かせるように語った。
もしかするとここは自身の心象世界の中ではないかとも思い始めていた。
「では人間さんは旅人さんなのですか?」
「へ……?」
なぜそうなると戸惑う青年の次の言葉をミノスケは大きな瞳をキラキラさせながら待っていた。
「……いや、違うけど。でも、かっこいいなそれ、いつかまた誰かに会う機会があったら、そう名乗ってみようかな」
「は、はわわっ! はわわわっ! なのですっ!」
ミノスケは一瞬驚いたような表情を浮かべると、今度は花が咲いたような笑顔を浮かべてはしゃぎだした。
「驚愕の事態なのです! 人間さんは旅人さんなのです! そして名づけ親はミノスケなのです!」
旅人と名づけられてしまった青年はよく分からないルールだなと苦笑しつつも「それでいいよ」と受け入れた。
体の奥底から暖かな力が湧き出てくるのを微かに感じながら。