第27話 大地の終わり。
空が白み始めた頃、雲の切れ間には光を失くした霞んだ月が浮かんでいた。
旅人はここはどこだろうと寝ぼけた眼でしばし見上げていたが、すぐ側に丸まって寝ているミノスケを見つけて荒野に来ていた事を思い出す。
大きく伸びをしながら身を起こすと東の空が薄っすらと赤みを帯びているのが見えた。
「……」
それはただの朝焼けだったが、寝ぼけ眼で見ていると次第にそれがありがたい事のように思えてきて、旅人はなんとなく手を合わせてみる。
しかし何を祈れば良いのかなんて分からなかったため、ただ感謝の言葉を心の中で呟いた。
「旅人さん……それはミノスケのチャームポイントなのですよぅ……」
「ぐぬっ……」
意味の分からないミノスケの寝言に一瞬で感謝の気持ちが雲散した旅人は涎を垂らして寝ているミノスケを睨んだ。
すぐ近くに両手をぴたりと揃えた姿勢でうつ伏せに寝ているカワセミと、非常口のマークのような姿勢でいびきをかいているアブライの姿も見える。
昨夜ずいぶん遅くまで聞こえていた楽しげな話し声を思い出して旅人は苦笑した。
再び東の空を仰ぎ見れば真夏の太陽が今日も旅人を苦しめてやるぞと言わんばかりにその顔を覗かせている。
「今日も長い一日になりそうだな……」
旅人は一人呟くと身支度を整え始める。
それでも目的地のはっきりしている旅は良いものだなと旅人が考えていると、その横でネボスケたちももぞもぞとやっと起きだしてきた。
「もうすぐそこやでー」
昨日からその言葉を何度も聞かされた事かと旅人はアブライを胡乱げに見る。
朝日から逃げるようにひたすら西を目指して進む旅人たちの目の前には未だ代わり映えのない乾いた大地が続いている。
かなりのスピードで進んできたが太陽は既に頭の上を追い越し正面に回りこみ始めていた。
「ちょうどあの丘を越えたとこやわ」
アブライはそう言って前方を指した。
確かに向かう大地の先はなだらかな上り坂になっている。できれば今夜は植物の近くで休みたいと考えていた旅人は先を急ぐ事にした。
昨夜ぐっすり眠れたからか或いは今朝食べたスイカが美味しかったからか今日の旅人は自分でも驚くほど体が軽かった。
ひょいひょいと小走りに坂を登ると、目の前の景色が一歩踏み出す毎に後方の景色へと変わっていく。
旅人はなんだかそれが楽しくて更に先を急ぐよう坂を駆け登った。
「そないに急ぐと危ないでー!」
「そうなのです旅人さん、走ると転ぶのです」
アブライの声はかなり後方から聞こえたような気がしたがミノスケの声はすぐ後ろから聞こえた。
違和感を感じた旅人が振り返ると、すぐ側で自分を旅見上げているミノスケとその遥か後方から空を飛んでこちらに向かってきているカワセミとアブライの姿が見えた。
どうやら旅人は僅かな間にかかなりの距離を進んでいたようだ。
「どうかしたですか?」
ミノスケが旅人を見上げて訊ねる。
「いや……それよりミノスケ、頂上までどっちが早いか競争しないか?」
「おおー、今日の旅人さんはなんだか一味違うのです!」
クラウチングスタートの姿勢をとる旅人の横でミノスケが待ちきれないとばかりにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
こちらに向かってくるカワセミかアブライの内いずれかの足が地に着いた瞬間をスタートの合図と二人は決めていた。
頂上まではまだ距離があるが今日の調子なら全力疾走しても体力が充分保つだろうと旅人は考えていた。
「来たのですよ旅人さん」
「ああ……」
昨日見た巨大昆虫バトルの影響を未だ受けている旅人には負けるつもりなど微塵もなかった。
「やあ今日の旅人君はいつになく元気だね、え……?」
カワセミがふわりと地面に舞い降りる微かな音に、旅人は全力で駆け出した。
少し遅れてミノスケもその後を追う。
風を切り裂きながら超高速で走る旅人の視界には周囲の景色がうねうねと歪んで見える
しかし、その視界の隅に自分と同等以上の速度で走るミノスケの姿だけはハッキリ見えた。
「はやッ!」
ミノスケは残像を残しながらぎゅーんと大地を滑る様に駆けていく。
旅人は驚きの声をあげながらも更に両足に力を込めて大地を蹴った。
「ちょっ! ほんま危ないてー!」
追いすがるアブライの声が旅人にも届いていたが今は構っている暇などない。
ミノスケは今にも頂上に到達しようとしている。
「へ……?」
目の前のミノスケが土煙を上げて急停止すると、旅人はその横をすり抜け――宙を舞った。
空中で無様に足をバタつかせる旅人の足元にはなぜか地面がなかった。
スローモーションの景色の中を振り返ると呆然としたミノスケの顔が、なぜか自分より高い位置にあった。
どうやらその足元は切り立った崖になっているらしい。
旅人がゆっくりと自分の足下に視線を向けると遥か下に日差しを反射させながらキラキラ輝く水面が見えた。
ゆっくりと近付いてきている――否、旅人がが近付いていた。
「あひゃぁぁぁー……」
旅人が言葉にならない悲鳴をあげると止まっていた時が一気に動き出した。
奈落の底へと真っ逆さまに落ちていく。
落下中にドンッと何かにぶつかる衝撃を受けた旅人が悲鳴を上げて暴れると「だから危ない言うたやん」とアブライの声が耳元で聞こえた。
どうやら追いついたアブライに空中で抱えられているようだった。
「これがほんまのお姫様抱っこですやん」
「あ、ああー……」
アブライはケラケラと笑っていたが、この時ばかりは旅人はもさすがにうざくは感じなかった。
旅人はそれほど高いところが苦手だったのだ。
旅人さんにも苦手なものがあったのです!




