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ミノムシの少女と森の旅人(旧題:眠れない夜の書)  作者: fin
虫たちのさざめく季節。
24/72

第24話 荒野を統べる者。

 森を抜け荒野へと辿り着いた旅人の視界を強い西日が遮り始めていた。


 手を翳して遠方を見ればむき出しの乾いた大地が地平線の彼方まで続いているのが見える。緑は少なく所々に岩が転がっているだけのなんともに寂しい景色だった。

 生命の輝き溢れる永久の森の一角にあるとは思えないほど静かな乾いたその土地には時折風が土埃を巻き上げる音が聞こえてくるだけで虫の音一つしなかった。


 旅人たちは今、この荒野の先にあるというセミの谷を目指していた。

 羽化したばかりで上手く飛べないと主張するアブライは勿論の事、喜び勇んで着いてきたミノスケとカワセミも一緒だった。


「いやー、やっぱり夏はええねえ」


「生命がもっとも美しく輝く季節だからね」


「美味しい食べ物もたくさんあるのです」


「……」


 荒野の暑さと代わり映えのない景色に辟易してきた旅人と違い同行者たちはまるでピクニックにでも来ているような軽やかな足取りだった。


「ムッ、旅人さんがお疲れなのです! あの岩影さんで休憩するです!」


 そう宣言したミノスケが大きな岩の日陰を目指して駆け出すと、カワセミとアブライも元気に「おーっ!」と声を挙げて旅人の横をドドドッと走り抜けていった。

 旅人も一つ大きなため息をつくとその後を追った。

 

 一行は岩影に入って思い思い休息をとる。

 カワセミとアブライはどうも気が合うようでぺちゃくちゃとお喋りしていたし、ミノスケは「ボルダリングなのです」と言って岩にへばりついて遊んでいた。


 旅人は岩を背もたれに座り込むと腰帯に吊るしていた水の入ったひょうたんを手に取る。草食チーターの旅人にとっては森を中なら装備はこれ一つで充分だったが荒野の彼方を目指すにはさすがに少し心許なかった。


「……ん?」


 旅人はふと、風に混じって甘い香りを嗅いだような気がして周囲を見渡す。見れば視界の先に乾いた大地から涌き出るようにそこだけ緑が茂っている場所があった。


「あれは……?」


「スイカ畑なのです」


 誰にともなく呟いた旅人の真上からすぐに答えは返ってきた。岩に張り付いて遊んでいたミノスケからだった


「え? スイカって、あのスイカだよな……」


 最後に食べたのはいつだったろうと考えながら旅人は改めて目を凝らす。群生する植物の中にはぽつぽつと大きな丸い塊が転がっているようにも見える。


「……行ってみるか?」


 旅人は頭上に張り付いているミノスケを見上げて訊ねる。


「おおー、さすがは修羅の道行く旅人さんです! ミノスケはどこまでもお供するのです!」


 旅人はまたミノスケがとんちんかんな事言ってるなと苦笑しながら立ち上がると、砂漠でオアシスを見つけた人もきっとこんな気分だろうと思いながらスイカ畑を目指す事にした。

 

 カワセミとアブライはなぜかここで待っていると同行を拒否したが浮かれていた旅人はその時さして気にも留めなかった。

 

 しかし、その事を後に本気で後悔する事になるのであった。



 楽しみが待つ場所へと向かう足取りは軽い。

 例えそれが荒野の中であってもだ。

 旅人が歩を進める毎に辺りに漂う果実の香りはその輪郭を少しづつはっきりとさせていき、目的の場所へはすぐに辿り着いた。

 

 乾いた荒野の中にあってそこだけ葉っぱがわさわさと群生していた。ちょうど学校のプールくらいの広さだろうか。

 旅人の腰の高さほどもあるその葉っぱからは太いパイプのような茎が伸び出ていて高さ1メートルほどの深緑色した球体へと繋がっていた。

 葉っぱの中にいくつも転がっているその球体にはギザギザの縞模様があり大きさこそ違えどまさしくスイカのそれだった。大理石のように艶のある硬質な表皮が西日を眩しく反射させている。


「おおっ」


 感嘆の声をあげて駆け寄る旅人だったが葉っぱの中にスイカの残骸がいくつも転がっているのを見つけるとすぐに足を止めた。

 スイカの残骸はどれも真っ二つに切られており切断面は鋭利な刃物で切られたように鮮やかな切り口をしていた。


「……」


 旅人は改めて周囲の静けさに違和感を覚えた。荒野のただ中とはいえこれだけ甘い香りが漂っていれば他の生き物たちが集まっていてもおかしくはないはずだ。しかし微かに風が葉っぱを揺らす音以外は虫の声一つ聞こえなかった、がその時――


 ――ギギギキィィィーーッ!


 唐突に周囲に鳴り響いた金属を擦り合わせるような硬質な音に旅人はビクリと身構える。


 恐る恐る音のした方を見る旅人の目の前で、斜めに切れ目の入ったスイカがどくどくと果汁を溢れさせながら切断面から少しずつズレ落ちていくのが見えた。

 そして完全に滑り落ちて真っ二つになったスイカが地面にごろりと転がると、その向こうには禍々しい姿をした何かがいた。


 重金属を思わせる黒光りする流線型の体からはしなやかに伸びる六本の足が見て取れた。そして大きく後方に向けてせり出すように発達した頭部からは見るもの全てを震え上がらせるような太くて鋭いノコギリのような大アゴが突き出されている。

 

 この世の悪意を全て詰め込んだかのように凶悪な姿をしたそれは、全長2メートルは悠にあろうかという巨大ノコギリクワガタ――否。巨大ミヤマクワガタであった。


 その巨大ミヤマクワガタは大アゴを『ガギンガギン』と打ち鳴らしながら切り落としたスイカの上に乗って――旅人を見つけた。


「ぐっ……」


 旅人は喉の奥から引きつった声がもれ出るのを聞いた。目の前の存在は以前見た巨大カブトムシが可愛く思えるほどの巨体と凶悪さだった。殺傷能力も雲泥の差だろう。思えば巨大カブトムシには男の子の胸を熱くする浪漫のようなものがあったなどと現実逃避がちに考える。


「斬九朗さんです。この荒野の覇者さんなのです……」


 旅人が声にした方を横目に見ると葉っぱの中に身を隠して顔だけを僅か覗かせているミノスケがいた。

 そういう事は先に教えておいてくれと心の中で悪態をつく旅人に「金剛丸さんよりも遥かに凶暴なのです」と更に聞きたくない情報まで教えてくれた。


 斬九朗は威嚇するように『ギギギィー』と大アゴを開く。旅人にはそれが「貴様、我に挑むと言うか」とでも言っているように聞こえて背筋が寒くなるのを感じた。


 旅人は逃げる機会を伺いつつじりじりと間合いをとろうとするが、斬九朗はそれを許さじとゆっくりと距離を詰めてくる。


「必殺の間合いを探り合っているのです……まるで、お侍さんのようなのです……」


 葉っぱに隠れてぶつぶつ言っているミノスケにそれならせめて刀をくれよと旅人は思う。もっともそんなものがあったとしてもどうにかできる相手にはとても見えなかったが。

 斬九朗の大アゴからは『ギギィ……』と嫌な音がもれ出ている。旅人にはそれが「我が大アゴの錆びにしてくれようぞ」と聞こえた。

 旅人はこの地に来て初めて本気で命の危機を感じる。


「ほんとにまずくないかコレ……」


 ――と、その時の事だった。


 『ブオォォォォーン!』と、森の方から大きな羽音を響かせながら何かが近付いてくる。


 ズシンと重い着地音を響かせて旅人の後方に降り立ったそれは一匹の巨大なカブトムシだった。


 黒一色の体に茶色く変色した無数の傷跡。歴戦の勇士を彷彿とさせるその姿は旅人もよく知るカブトムシ――金剛丸だった。


「前門のクワガタさん、後門のカブトムシさんなのです……」


 葉っぱの陰から聞こえてきたミノスケの呟きに旅人は、苦笑すら浮かべる事ができずにただただ冷や汗を流していた。







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