第18話 夜空を見上げて。
第1章の終了です。
別れを惜しむカイコらに見送られて旅人たちは桑の森を後にした。
辺りには儚げな虫たちの鳴き声と共に夜の帳が降り始めている。
帰りは巨大な笹の葉で作った笹舟で大河を下っていく事になった。
酔いから冷めたカワセミが、痴態を晒して恥ずかしかったのか終始無言で船頭を務めている。
悠然と流れる夜の大河を笹舟はゆっくりと下っていく。
賑やかだった行きの道中とは違い、とても穏やかな静けさに包まれていた。
旅人は腰帯に吊るしたひょうたんを取り出すと、中の果実酒をちびりと一口飲んだ。
酸味と共に、喉の奥からお腹の方へと温かい感覚がじんわりと広がっていく。
「貰ってばかりだなあ……」
旅人はひょうたんを見ながらぽつりと呟く。
カイコが別れ際におみやげにと渡してくれたものだった。
カワセミは旅人が酒を飲むのを横目に見ると、うぷっと一瞬口元を押さえる。
桑の森で飲み過ぎたため、今は酒を見るのも辛いようだ。
「できたのです!」
静寂の中でミノスケが声をあげる。
ミノスケは笹舟の船尾に乗り込んで以来、旅人に背を向けて何やらごそごそと作っているようだった。
「何が?」
旅人が訊ねるとミノスケは「どうぞです」と藁で編んだ草履を旅人に差し出した。
見れば身に着けていた蓑の藁がまたいくらか減っているようだった。
「自分で履きなよ……」
旅人は着流しに古びたスニーカーというやや奇抜な格好ではあったが、ミノスケは旅人の部屋に藁を敷いて以来ずっと裸足で過ごしている。
ミノスケは今気づいたと言わんばかりに真っ黒に汚れた自分の足の裏を見ると、ぱっぱっと手で汚れを払った。そしてにっこりと微笑む。
「旅人さんとおそろいのを作るです」
ミノスケはそう言って旅人の前に草履を置くと、ごそごそと第二の草履作りに取り掛かった。
「ありがとう」
旅人はすっかりボロボロになってしまったスニーカーと靴下を脱ぐと、ミノスケがくれた草履に履き替えた。
脱げ難いように足首に巻きつける結び目が付いた草履だ。
履き心地もとても良かった。
旅人は桑の森で着替えた際に元の服を包んでもらった葉っぱの風呂敷にスニーカーと靴下も仕舞う。
そしてなんとなく手持ち無沙汰で、手元でぽんぽんとそれを跳ねて遊ばせた。
「今夜は星が綺麗だね」
旅人の前に立ち船頭を務めていたカワセミが久しぶりに口を開いた。
「おお……」
言われて見上げる旅人の視界には無限に続くかのような星空が広がっている。
自分の居場所さえ分からなくなってしまいそうな深い闇の中に、星だけが静かに瞬いていた。
「……」
手を伸ばせば掴めてしまいそうなその星空を、旅人はただただ無心で見上げていた。
草履作りを中断したミノスケは星空ではなく旅人の顔をじっと見ていた。
そしてぶしっと蓑から藁を毟り取ると旅人の頬をそれで拭った。
「うわ! 何を……」
するんだと言い掛けて、旅人はいつの間にか自分がぽろぽろと涙を零していた事に気付いた。
自分でも訳が分からなかったが、ただその事が無性に恥ずかしくて服の袖で乱暴に涙を拭うと、思い出したように目の前に立つカワセミを見た。
カワセミはただ黙って星空を見上げていた。
「……」
旅人は気持ちが落ち着くと、自分の藁で頬を拭ってくれたミノスケと、何も言わずに気付かぬふりをしてくれていたカワセミに心が暖かくなるのを感じた。
「……もう、大丈夫だから」
旅人はミノスケの頭に手を置くと二人にそう告げた。
そして再び夜空を見上げると、ここで貰ったたくさんのものをいつか返せる日が来ますようにと小さく星に祈るのだった。
無限に広がる星空には旅人たちを見下ろすように夏の大三角が瞬いていた。




