第12話 めだかに乗った旅人。
川の水はとても透明度が高く水辺特有の生き物の死んだような生臭い匂いもない。
藻や苔も茂っていないため川べりを歩いて足を滑らせる事もなかった。
旅人は濡れたシャツとスニーカーを脱いで石の上に置くと改めてに川へと入ってみる事にした。
「冷たぁ……」
流れは緩やかだが水温は低かった。
視界の先には青く澄んだ水平線が広がっている。
旅人は川でも水平線と呼ぶのだろうかとぼんやり考えながらその不思議な光景に魅入られていた。
大河を縦横無尽に泳ぎ回るカワセミは時折イルカのように水上へと大きく飛び跳ねては奇声をあげながらまた水中へと戻っていく。
ミノスケは川岸の石の上に座りぱしゃぱしゃと水を撥ねて遊んでいる。
旅人はそのどこか非現実的な、しかし美しい景色にふいに寂しさがこみ上げてくるのを感じた。
自分はなぜここにいるのか。そしてこの先どうなっていくのか。
俯く旅人の視線の先にはただ静かに流れる水面だけが広がっていた。
「……」
大河は旅人に何も語りかけてはくれなかったが、見れば川底から淡いオレンジ色をした巨大な何かが見上げている。
「――うわッ!」
驚いた拍子にバランスを崩した旅人は派手に水しぶきを上げながら尻餅をついた。
「きみはだれ~?」
肩まで水に浸かり呆然としている旅人の目の前に川底にいた何かがぷかりと浮かび上がるとのんびりとした口調で話しかけてきた。
「……いや、お前が誰だ」
それは透明がかったオレンジ色をした大きな魚だった。
頭部に垂れ目がちの目玉があり愛嬌があるというよりはやや間抜けな顔をしている。
「ぼくはめだか号だよ~」
「……ああ、そう」
全長2メートルは悠にあろうかという巨大な喋るめだかだった。
めだか号は人懐っこい性格なのか改めてこの地の非常識さに呆れている旅人に擦り寄ると更に訊ねてくる。
「何してるの~?」
「何って、川遊び……かな?」
「ぼくも混ぜてよ~」
「え……ああ、いいんじゃない?」
旅人が困惑しながら返事を返すとめだか号はくるりと尾びれを跳ねて水平線に頭を向けるよう方向転換した。
「じゃあ、乗って~」
そして胸びれと尾びれをバチャバチャさせながら旅人にせがんでくる。
「……」
旅人は水を撥ねられてうっとおしく感じながらも好奇心からその背をそっと撫でてみた。
「くすぐったいよ~」
めだか号の背は見た目と違い分厚いゴムタイヤのようにしっかりとした感触をしている。
意外と乗れそうだと思った旅人は背びれを綱代わりにめだか号の背に跨ってみる事にした。
「いくよ~」
めだか号がゆらゆらと尾びれを揺らして泳ぎだすと旅人の体も水面を滑るように移動していった。
初めは不安に感じていた旅人だったがすぐにその心地良い浮遊感の虜になった。
「落ちないでよ~?」
旅人が落ち着いてきたのを感じためだか号が更に泳ぐ速度を上げると青一色の景色がぐんぐんと旅人の横を通り過ぎていく。
見渡す視界の先にはどこまでも続く青空とその色を映した水面だけが広がり遮るものは何一つない。
飛び散る水しぶきは強い日差しを受けていくつもの小さな虹を描いている。
「壮観だ……」
それまで感じた事のない解放感に旅人はめだか号の背に必死にしがみ付きながらもその口元を綻ばせるのだった。




