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04 バッティングセンターと眩しい笑顔

 四時間目の体育の授業が終わり、昼休みと相成った。

 普段ならば、一にも二にもなく弁当にむさぼりつくのだが、今日の俺は違っていた。


「夢じゃねえだろうな……」


 俺は頬を思いっきりつねる。

 これで頬をつねった合計回数は二桁を軽く超える。おかげで俺の頬はリンゴの様に真っ赤に腫れ上がってしまっている。

 それだけの数、頬をつねってみても俺はまだ夢なのではないのかと疑い続けていた。

 良いことほど、『実は夢でしたー』等という夢オチになった場合の精神的ダメージは計り知れない。故に、油断は禁物なのである。


「ウォォォ! 夢じゃない! 俺の左肩は治ったんだー!」


 勢い勇んで野球部に復帰し、エースピッチャーとなり甲子園の決勝戦まで行ったところで……


「はっ!? 夢かっ!」

 

 と、ベッドの中で目覚めた日には、失意のあまり自殺しかけないレベルに到達することだろう。

 俺は弁当箱を右手で開けながら、左腕をぐるぐると回した。

 肩は驚くほどに軽かった。驚くほどに、と言う表現はよく使われるが、本当に驚いていてしまうくらいに軽かったのだ。


「ウオッ! 軽ッッッ!!」


 と、実際教室の中で声を上げてしまったのだから嘘ではない。その時に、クラスメイトから奇異の視線を頂いたわけだが、そんなことは今の俺にとってはどうでもいいことだった。

 俺は急いで弁当を井の中に放り込むと、時間が早く流れてくれないかとソワソワと身体を揺らした。試したいのだ! 今すぐにでもこの教室を抜けだして、左肩が本当に治っているのか試したくてウズウズしているのだ。

 昼休みが終わり午後の授業が始まっても、俺は黒板に板書される文字など眼に入ることはなかった。

カツカツカツという教師のチョークの音が、苛立ちを加速させた。

 俺は心の中で授業が終わるまでの秒数を延々と数え続けていた。そんなことをしても、物理法則に逆らって時間が早く進むわけでもなんでもないのだけれど、アホな俺はそうでもしていないと、二階にあるこの教室の窓から飛び出していってしまいかねないほどのテンションだったのだから仕方がない。

 

 ※※※※


 放課後。


「よっしゃァァァァッ!」


 俺は大慌てで鞄を鷲掴みに手に取ると、クラスメイトを左右にジグザグのステップで回避しながら教室を猛ダッシュで後にした。

 この時の俺が冷静だったならば、向かう場所は病院だったはずだ。

 病院で先生に診断してもらい、治っているかどうかを確かめてもらう。これが一番だったはずなのだが、俺が勢い勇んで向かった場所は……バッティングセンターだった。

 時間はまだ四時前。

 流石に平日のこんな時間では、バッティングセンターは閑古鳥が鳴いている状態だった。


「よし!」


 俺が向かったのはバッティングセンターの一番隅っこに設置された、球速を測定してくれるマシーンだ。九分活されたストライクゾーンが古めかしいパネルに描かれていて、それに向かって投げることが出来る。

 まずは軽く準備運動を柔軟体操をエッチラホッチラとこなすと、最後に二度三度と左肩を丹念に回す。

 さて、ここでいきなり全力でボールを投げる訳にはいかない。逸る心を抑えて、まずは肩を温めていかなければいけない。

 俺はウォーミングアップに振りかぶったりせずに軽くボールを投げてみる。ボールは見事にコントロールされて九分活された的の中心に命中した。

 流石にこんな軽い投球では球速を見ても意味なんて無いと思うのだけれど、つい興味本位で表示される球速に目を向けると……。


「ひ、ひゃくにさんじゅっきろ……だと……?!」


 俺は目を丸くした。

 本当に、本当に軽く投げただけなのだ。キャッチボールに毛が生えたような投球だったはずなのだ。それが……百三十キロ!?

 ちなみに、俺が左肩を壊す前の全力投球での球速は百三十三キロだ。

 

「いやいやいやいや、壊れてるんだろこれ……」


 俺はあえてその表示も無視して投球を続けた。

 三十球ほど軽く投げ込むと、程よく肩が温まってきた。俺は自分の左肩をさすってみるが、何ら違和感も痛みも感じることはなかった。

 

「ちょっとだけ、力を込めて投げ込んでみるか……」


 全力投球はしない。七割の力で投げる。自分で自分にそう何度も言い聞かす。

 セットポジションから足をあげる、そして軸足に力を込めて大きく一歩を踏み出しながら、左手を振りぬいた。

 ビュン

 そんな風をきるような音が鼓膜に響いた。

 七割、いや怪我の恐怖心からきっと六割程度の力でしか投げ込めなかったであろうボールは、見事にコントロールされてど真ん中へと命中した。

 そして俺は首の筋が切れそうになるくらいに首をひねり、休息が表示される電光掲示板を睨みつける。


 百六十五キロ


「な……」


 そこに表示されたのは、何度見なおしても紛れもなく百六十五キロ。

 プロ野球の速球王でもそうそう出せる速度ではない。球速だけで言えば、余裕でメジャーリーガーに通用してしまうレベルなのだ。

 それを一介の高校生が六割の力で投げて百六十五キロ!?

 ありえない、ありえるはずがない、これは完全に機械が故障している、そうに違いない。

 と、思う反面、俺だって野球経験者のはしくれだ。ボールの速度を体感で感じることくらいは出来る。

 確かに先ほど投げたボールは、今までに見たことのないような矢のような速度で唸りを上げてパネルに命中しては、鋼鉄でガッチリ固定されているはずのパネルをギシギシと大きく揺らしているではないか。

 

「こいつは、肩が直ったとか治らないとか、そう言うレベルの問題じゃないぞ……」


 俺は慌てて周りを見渡すが、野球好きなおっさんが四つほど離れたブースで一人バッティングを楽しんでいるだけで、こちらに興味を抱いているものは誰もいなかった。


 ――全力で投げたらどうなるのか……。


 そんな甘い悪魔の誘惑が、頭の中に囁きかける。

 

「だめだめだめだだめだ!!」


 俺は大きく頭を振ってその誘惑を頭の中から振り落とすと、周りに人がいないのを確認しなおして、もう一度先ほどと同じ六割程度の力でボールを投げ込んで見る。


 百六十七キロ


 先程よりも、二キロほど球速は上がっていた。

 

「これはもしかすると、俺はとんでもないことになっているんじゃないのか……」



 ※※※※


 俺はそれからコソコソと周りを気にしながら、十球ほど投げ込んでみたが、全て百六十キロ超えを記録してしまった。

 興奮のあまり鼻息が荒くなる。自然と拳に力が入る。

 だが、そんな素振りを回りに感づかれないために、『ヒューヒューヒュー』等と、吹けもしない口笛を吹く真似などをして平静を装ってみせる。

 

「ひゃっほー!」


 とは言え、俺は脳みそ筋肉のアホな高校生だ。

 この喜び、感動を隠しきれるわけがない。俺はスキップを踏みながら、今にもトロケてしまいそうなほどの笑顔で、家路へとついたのだった。

 スキップで家まで、その距離数キロメートル。

 それなのに、俺の身体はほとんど疲れを感じていなかった。

 家についた俺は、すぐさまジャージに着替えるといつものようにマウンテンバイクにまたがらずに、その二本の足でかけ出した。

 

「軽い! 昨日は何か身体が軽いなぁ? くらいにしか思っていなかったが、こいつはそんなもんじゃねぇ! 確実に俺の身体能力が上がっている!」


 今ならば野球だけでなく、陸上競技でだってオリンピックを狙えるんじゃないだろうか? 誇張ではなく本当にそう思えてならなかった。

 こうして俺は浮かれ気分で舞い上がったままランニングを終えて、母親が気持ち悪がるほどの笑みを浮かべたまま夕飯をとったのだった。


 しかし……。


「よく考えれば気味が悪いよな……」


 時間が立つに連れて、この脳筋な俺にも不安がよぎってきた。

 別に俺は凄いトレーニングを積んだわけでも、ドーピングをしたわけでもない。ただ昨日、いつもの様に丘までマウンテンバイクに乗って行き、朝になるまで眠りこけてしまっただけなのだ。それなのに、このパワーアップはどういうことなのか? 俺があの丘で寝ている間に、一体何があったのか?

 

「うげぇー」


 どうもそのことを思い出そうとすると、強烈な頭痛と吐き気に見舞われてしまう。

 

「まぁ待て! 寝て起きたら元に戻ってましたちゃんちゃん! なんて落ちがないとも言えん……」


 そう考えてしまうと、寝てしまうことが恐ろしく思えてしまった。が、ベッドに横になると、野○のび太並に即座に深い眠りに落ちていったのだった。

 


 ※※※※


 翌朝いつもより早く目覚めた俺は、即座にランニングに出掛ける。そして自分の身体のポテンシャルが昨日と何ら変わっていないことを確かめると、ホッと安堵の息をついた。

 この状況が続くとなると俺のやるべきことは一つである。

 

 野球部への復帰!!


 今ならば、今の俺ならばエースナンバーを奪い取ることなど、お茶の子さいさい! へそで茶を沸かすほどに余裕なことに違いない。

 

 ※※※※


「とは言え、自分からやめた部活戻るってのは勇気がいるよなぁ……」


 そんなこんなで、放課後に野球部のグラウンドをこっそり覗きに来ているのだが、勇気を出して『部活に戻らさせて下さい!』と言い出せずにいたのだった。


「おい! なにしてるんだっ! スパイか! スパイだなぁー!」


 そう言って、俺の右肩をバシバシと殴りつけてくるのは、昂凪翼たかなぎつばさだった。いつも右肩ばかりを殴りつけてくるのは、俺は左肩を痛めているのを知っているからこその気遣いである。

 

「我が高校の野球部の情報を狙おうというのならばっ、 このマネージャのわたしを倒してからにしてもらおうかっ!」

 

 昂凪翼は『へやっ!』とウルトラマンのファイティングポーズをとってみせる。

 本当にいつ見ても元気がジャージを着て歩いているような存在だ。

 しかしこれはチャンスだ。今ここで、部活に戻りたいってことをこいつに言えば……。


「ん? どったの? 何か考えこんでるみたいな顔して?」

 

 昂凪翼は後ろ手を組んで少し不思議そうに小首を傾げながら、俺の顔を覗き込もうと顔を近づけた。

その距離約数十センチメートル。

 

「うわっ」


 俺は慌てて顔をそらす。

 

「おいおいおい、こんな可愛い女の子に顔を近づけられて、『うわっ』はないっしょ! 失礼しちゃいますわー」


 冗談ぽくプイッと不貞腐れる真似をして、昂凪翼は背を向ける。そうかと思うと、舌を出しながらクルリを振り返っては、いつもの様に百二十パーセントの笑顔を向けてくれる。

 笑顔がまぶしすぎるとは、まさにこういうのを言うのに違いない。

 ここまで素敵元気な笑顔を作れるとは、ある意味人間離れしていると言っても過言ではない。

 そして、そのまぶしすぎる笑顔は、俺の心の暗い部分を照らしだしては、白日のもとに晒しだしてしまうのだ。

 怪我だけではなく、己の才能の無さと嫉妬心から部活をやめてしまったこと。『ああ、もし怪我をしていなかったら、俺だってエースピッチャーになれたのになぁ〜』そんな卑屈な考えを抱いていたこと。そんな事を、この笑顔は思い出させてしまってくれた。

 気が付くと俺の足は、野球部のグラウンドと、昂凪翼から逃げ出すように反対方向に駆け出してしまっていた。

 俺の背中に向けて、昂凪翼が何かを言っていたような気がするが、高鳴る心音がそれをかき消してしまっていた……。


 ※※※※


 それからの数日間、俺は自分らしくもなく苦悩の日々を過ごした。

 そして、夜中に自室のベッドの中で枕を抱きしめながら最終的な結論へとたどり着いたのだ。

 

「悩むのに疲れた……」

 

 そう悩んでいても、何も変化は起こらずに、ただ疲れるだけなのだ。

 だから、もう悩むのはやめた。

 

「今からあの丘に行ってみよう。そして何があったのか、探せるだけ探してみよう。そして、次の日……俺は勇気を出して、部活に戻るんだ!」


 強い決意を胸の奥に秘めて、俺はマウンテンバイクを走らせるのだった。

 

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